
2025.02.18Vol.675 イギリス留学体験記 ~なおも続く異文化とのふれあい~
今回は、高一の女の子が昨年の夏休みに1か月間イギリスへ短期留学したときの体験記です。「なぜ、それを今頃?」のヒントは最後の段落に。私の感想は次回述べることにします。ではご堪能下さい。
高1の夏休み、私は四週間留学へ行った。学校のプログラムではなく、個人で日本人比率が少ないとの評判があったイギリスのケンブリッジを選んだ。ヒースロー空港に到着すると、同じスクールの人たちが30人ほど集まっており、そのうち外国人は二人だけであった。その日本人の多さに落胆し、その中で自分は外国人の輪に身を置けるのだろうかと心配を覚えたが、杞憂に終わった。渡英前に受けていた筆記テストの結果により、私は日本人が一人だけの上級クラスに入ることができ、ほかの国の子と話す機会は自ずと訪れたからだ。私が最も印象に残っている授業の一つに、「自分がエキスパートといえるトピックを3つ挙げて生徒同士でQ&Aをする」というものがあった。ある人はハリーポッターについて、ある人はサッカーについて、など皆自分の好きなことを堂々と話していた。彼らのまくしたてるような話しぶりに圧倒され、自分の番が来ることを恐れるほどだった。私は、語りたいと思うトピックすら浮かばず、先生のアドバイスもあり‘Japanese Culture’を一つひねり出したが、その内容はここに書けたものではない。当然のことながらクラスメイトの興味を引くことはできなかった。その時はボキャブラリーの不足や自信のなさが起因していると感じていた。しかし、このように作文をしながら振り返ってみると、彼らが話していたことはごく普通のことであり、私が委縮してしまった原因は英語力以上に彼らの自信満々の態度にあったという結論に達した。一方、彼らは文法に苦手意識があるらしく、実際に文法授業で一番評価されたのは私だったのだ。日本の、文法を中心とした英語教育はたびたび批判されるが、現地の語学学校でそれが求められていることから、それには一定の価値があると実感することができたのは一つの収穫であった。
留学を通して学んだことを一言でまとめると、英語を身に着けることは国外の人とコミュニケーションをとるためであり、互いの国を理解し合うことにつながるということだ。そのスクールに通う生徒は毎週末新しく加わる人と帰国する人がおり、メンバーが入れ替わる。私が唯一四週間を共にしたのは、スペイン生まれでドイツ在住のソフィーだった。彼女はスペイン人の父とチリ人の母を持ち、今は両親の仕事の関係で半年間チリの学校に通っているという。ソフィーはスペイン語、ドイツ語、英語のトリリンガルであり、短い期間で引っ越し、それも国境を越えるだけでなく、大陸を跨ぐことすらある。そのような点でかなり特殊な例ではあるのだろうが、ヨーロッパでは国籍の違う人同士の結婚が珍しくないため、ロシア国籍のハンガリー人、二つの国籍でそれぞれの国の言語の名前を持つ人が一人や二人ではなかった。関西から関東へ移り住むだけでも大変なことのように語られる日本ではこれまで耳にしたこともないような話であった。
一方で、同世代としての共通点も日々感じていた。私は滞在中授業やアクティビティで仲良くなった友達と6人で過ごしていた。その中で一度、ポーランドの女の子トシャを仲間はずれのようにする雰囲気が生まれた。それに居心地を悪く感じたトシャがひとり別行動をしようとしたため、私は彼女についていくことにした。そのとき他の子たちは彼女の様子を気にする素振りもなかったため、今思えば、授業では伝えられなかった思いやりなどといった日本人らしさを体現できたのではないかと少し誇りに思っている。そんな私に心を開いてくれたのか、自分がみんなから嫌われているのではないかと私に不安をこぼした。このように悩みを打ち明けられた経験はなく、英語でどのような言葉をかけたらよいのかわからなかったので、役に立てた実感はない。しかし、弱っているときに寄りそうという行為に救われるのは世界共通なのだと身をもって感じることができた。
このグループ以外でも友達をつくる機会はあった。毎週末、遠足に行くプログラムがあり、そこではスタッフによって無作為に分けられた班で過ごさなければいけなかった。最初のロンドン行きの際に、知らない子ばかりで、新しい友達を作らねばと私は気が張っていた。そこで同じく独りだった女の子に話しかけ、往路のバスや観光中をふたりで過ごした。彼女はヨルダンの出身であったのだが、私はヨルダンについてほとんど何も知らなかったために、話を広げるのに苦労した。目の前にいる彼女に尋ねるところから会話を始めていけばよいものをそうしなかった。それは、ヨルダンという国に対して中東だから治安が悪そう、紛争が多そう、などといった先入観を持っていたため、質問すると答えづらいだろうと勝手に決めてしまったからだ。ヨルダンの子に会えることなど滅多にないのだから、もっといろいろなことを教えてもらえばよかったと悔いている。
また、帰国後連絡を取り合っている友達の中に、ショートメールで文通のようにやり取りをしているドイツの女の子、ミレテがいる。彼女とは3週間授業を共にした仲で、年下の14歳ながらも優等生のような存在の彼女に私は一目置いていた。彼女との話題の中で、European Youth Parliament(EYP)ということばがたびたび登場している。それは各国の代表生徒が問題点を持ち寄り、解決策を見つけるために皆で話し合いが行われ、実際の政府とのかかわりも持つという会議だ。彼女は地元の学校で生徒会に入っており、ベルリンを代表してそのEYPに立候補するほど政治に意欲ある生徒だった。彼女とのつながりがあったおかげで、ヨーロッパでは選挙権を得る前の学生にとっても政治が身近であることを知った。今後のミレテの活躍に期待しながら、彼女たちに胸を張って報告できる何かを実行したいものだと切に思った。
さまざまな国籍の友達に出会った中で実感したことの一つに、留学体験談などでよく聞かれる「自国についての無知に気づかされた」というものがある。授業で日本の文化を伝えた時も、ヨルダンの子と話した時も、相手に伝えられるだけの何かしらの知識があればと反省したものだ。それがあれば相手への質問だって広がり、それをきっかけにして会話も弾むようになる。日本人は、というと主語が大きすぎるかもしれないし、たった1か月の経験で断言できるものでもないが、少なくとも、日本の英語教育で力を入れている文法力を活用することが自分に自信をつけるうえで肝になると考えた。そして私がトシャにしたように、日本人の気遣いや思いやりの力に長けているといった国民性が誰かを助ける場面はきっとあるはずだ。自分の持つ力を最大限活用することに努める一方で、何かひとつ話せるパッケージを蓄えていくなど、補わなければいけない面を見つける努力も惜しんではいけない。
この体験記は帰国してから松蔭先生の命で4か月ほどかけて形にしている。松蔭先生が留学を振り返るという機会を課してくださったことで、留学をより意味のあるものとして持ち帰れていることに感謝したい。短期留学というものは、その期間中に学べることは限られており、与えられたもの以上を手に入れるのは少し難しい。だからこそ、帰国してからそのつながりをどう残し、どう自分のものにしていくかという点に懸かっているといえる。今、グループチャットやダイレクトメッセージで連絡が続いている彼女たちと話していることはとてもたわいないことだ。試験がどうだった、今日の天気がどうだった、と話す内容は日本の友達と話すこととそう変わらない。けれどもその会話の端々に地域の違いというものを感じ、彼女たちにとっての日常が私にとっての非日常であることを実感する。