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 2か月前に始めた社員のブログ。それには主に2つの目的がありました。1つ目は、単純に文章力を上げること。そして、2つ目が社員それぞれの人となりを感じてとっていただくこと。それらは『志高く』と同様です。これまでXで投稿していたものをHPに掲載することにしました。このタイミングでタイトルを付けることになったこともあり、それにまつわる説明を以下で行ないます。
 先の一文を読み、「行います」ではないのか、となった方もおられるかもしれませんが、「行ないます」も誤りではないのです。それと同様に、「おなじく」にも、「同じく」だけではなく「同く」も無いだろうかと淡い期待を抱いて調べたもののあっさりと打ち砕かれてしまいました。そのようなものが存在すれば韻を踏めることに加えて、字面にも統一感が出るからです。そして決めました。『志同く』とし、「こころざしおなじく」と読んでいただくことを。
 「同じ」という言葉を用いていますが、「まったく同じ」ではありません。むしろ、「まったく同じ」であって欲しくはないのです。航海に例えると、船長である私は、目的地を明確に示さなければなりません。それを踏まえて船員たちはそれぞれの役割を果たすことになるのですが、想定外の事態が発生することがあります。そういうときに、臨機応変に対処できる船員たちであって欲しいというのが私の願いです。それが乗客である生徒や生徒の親御様を目的地まで心地良く運ぶことにつながるからです。『志同く』を通して、彼らが人間的に成長して行ってくれることを期待しています。

2023年12月

2025.02.28Vol.50 ネアカ根性(徳野)

 去年からNHKの『映像の世紀 バタフライエフェクト』を時間が合えば視聴している。腰を据えてテレビを見るのも何年ぶりだろうか。いきなり余談になるが、高校生の頃つまり10年ほど前のシリーズを両親と一緒に見ていた団欒の時間は良い思い出である。実家にはWi-fi環境が無く、当時の私と父はスマートフォンを持っていなかったのもあり、家で何か「見る」となるとテレビと映画くらいだった。しかもマンションの間取りの関係で各人に自室が割り当てられず、居間が娯楽の場になるので否が応でも家族と顔を見合わせることになる。スマホが無いせいで少なからず不便な思いはしていたし、トイレ以外に完全なプライバシーが確保される場が存在しないのは正直煩わしかった。それでも一家が何かを共有しやすい環境の価値は、思春期の私でも肌で感じ取っていた。そして、我が家の場合、盛り上がる共通の話題の一つが『映像の世紀』だったのだ。特に父は普段は私と母の趣味に対して「遠巻きに眺める」程度の興味しか示さないのに、歴史系のドキュメンタリーや大河ドラマになると、私が抱いた「1」の疑問に対して「5」くらいの解説をしてくれる、という風に一気に饒舌になる。(そこに酒が入ると「15」くらいになる。)歴史分野に限定すれば時代地域を問わず、彼が質問に答えられなかった記憶は無い。日本史の研究職なのだから当たり前なのかもしれないが、私自身が社会人になり「いかなる質問にもすぐに、且つ中身のある返事をすること」の難しさに突き当たるようになってからは父の凄さを改めて認識している。県立高校の教員時代から30年以上、毎週土曜の休みを返上して地方史の研究に打ち込んできただけのことはある。   
 ようやく本題に入る。去年からのシリーズで印象に残っているのが「バブル ふたりのカリスマ経営者」の回だ。ダイエーの中内功とセゾングループの堤清ニのキャリアの栄枯盛衰を追う内容だったのだが、個人的には前者の方が記憶に残っている。自分の嗜好を踏まえると、芸術への造詣が深く、ビジネスにおいても「コト消費」を重視していた堤に興味を持ちそうなのに。特に覚えているのが、1990年代のダイエー店内で見回りをしている中内の硬い表情と、その映像に被せられた「より良いものを安く提供すれば消費者は満足すると考えてきた中内だったが、バブルで贅沢を覚えた中流階級の人びとが何を求めているか分からなくなっていた」というナレーションだ。視聴後、日本の消費社会の成熟に貢献した張本人でありながら手塩をかけて育てた「我が子」に首を絞められたような彼の内面に興味が湧き、豊中校にあった城山三郎の『価格破壊』を手に取った。矢口というスーパー経営者の生き様を描いた経済小説であり、主人公のモデルは中内とされている。結果から述べると、バブルが崩壊どころか始まってすらいない1960年代が舞台だったため、当初の目的は果たせなかった。間抜けなことに読み始めてから知ったが、本作が『週刊読売』で連載されていたのは1969年なのだから当たり前である。佐野眞一の『カリスマ 中内功とダイエーの「戦後」』の方が適任だっただろう。それでも、「セルフサービス方式」や「プライベートブランド」等のコスト削減の基本のキの成り立ちに触れられたのに加え、何より中内功という人間に対する解像度が少しは上がったことに違いはない。長男である潤氏がインタビューで語っていた父親と矢口の姿は面白いほど重なるので、城山三郎の人物描写力はやはり凄まじい。
 さて、中内が実業家に欠かせない素質として掲げていたのが「ネアカ のびのび へこたれず」である。後ろの2つは、流通業界のルールに囚われない矢口の行動力や執念深さとも容易に結びつく。しかし、「ネアカ(根明)」は言葉通りに受け取れない。本人の映像、潤氏が紹介するエピソード、小説のどれを取っても、少なくとも私の目には自分にも他人にも厳しい不愛想な男としか映らなかったからだ。ちなみに潤氏は「失敗を恐れずチャレンジすること」だと捉えているそうだが、『価格破壊』を元にするならば「トラウマを原動力にする逞しさ」と解釈できるかもしれない。
 矢口は太平洋戦争中、フィリピンの激戦地で従軍していた。戦闘よりも飢餓や伝染病で命を落とす日本兵の方が多い環境で幾度となく死線を乗り越えながら何とか復員を果たし、彼自身、当時味わった辛酸は「二度と経験したくない」と明言している。同時に、店舗や商品展開の規模を拡大するターニングポイントに立つ度に必ず思い浮かべているのも戦場での凄惨な出来事である。日本ではまだ珍しかったインスタントコーヒーや、肉牛の仕入れ先の奄美大島で振舞われたパパイヤといった食料品がきっかけになることが多いのだが、その時の矢口の様子は、フラッシュバックに襲われているというよりもノスタルジーに浸っていると形容する方がふさわしい。そして、直後に必ず「日本中でこういう物(ちょっとした贅沢品)を安く手に入れられるようにする」という誓い、言い換えればアメリカを手本にした自由な大量消費社会の実現という信念を再確認して仕事に戻る。(しかしながら、欧米先進国のビジネスモデルを模倣し尽くしてしまったのがバブル末期以降の中内なのだろう。)矢口の強さは「過去」を大事にするところにあるのだ。「トラウマ」と聞くと「忘れたいのに頭から離れない記憶」というイメージが真っ先に湧いてくるが、「今の自分を形成するもの」という見方もできる。さらに、ネガティブな意味合いが強烈だからこそ「変化を起こしたい」という欲求、そして人生における具体的な指針に昇華される可能性を孕んでいる。もちろん簡単なことではない。強靭な精神力の持ち主である矢口も、戦後10年以上かけて向き合いながら自身の目標を浮き彫りにしていったのだから。
 将来の夢をどうやって決めればいいか分からない、と悩む生徒は少なくない。決まらないからとりあえず医療系の学部に、少しでも偏差値が高い大学に、というのは一つの道ではある。が、入学後も「夢」探しは続くだけでなく、そこに具体性も求められてくるのだから、やりたいことの方向性は高校生の段階で定めておいたほうが良い。そして、「やりたいこと」を模索する上では、楽しい面白いことだけを材料にしなければならないわけではない。だからといって、矢口のように「トラウマ」レベルの経験など滅多に無いし、そもそも、あえてする必要は無い。例えば「学校の先生とそりが合わない」、「地元の病院が人手不足で待ち時間の長さが苦痛」といった日々抱えている不満や不便を元に進路を決める人も存在する。大切なのは、自分の中のネガティブな感情を解消しようとすることが他者のためにもなるか、という視点を持つことなのだ。そういった周囲に対する視野の広さを、生徒の中に培っていきたい。

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