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 2か月前に始めた社員のブログ。それには主に2つの目的がありました。1つ目は、単純に文章力を上げること。そして、2つ目が社員それぞれの人となりを感じてとっていただくこと。それらは『志高く』と同様です。これまでXで投稿していたものをHPに掲載することにしました。このタイミングでタイトルを付けることになったこともあり、それにまつわる説明を以下で行ないます。
 先の一文を読み、「行います」ではないのか、となった方もおられるかもしれませんが、「行ないます」も誤りではないのです。それと同様に、「おなじく」にも、「同じく」だけではなく「同く」も無いだろうかと淡い期待を抱いて調べたもののあっさりと打ち砕かれてしまいました。そのようなものが存在すれば韻を踏めることに加えて、字面にも統一感が出るからです。そして決めました。『志同く』とし、「こころざしおなじく」と読んでいただくことを。
 「同じ」という言葉を用いていますが、「まったく同じ」ではありません。むしろ、「まったく同じ」であって欲しくはないのです。航海に例えると、船長である私は、目的地を明確に示さなければなりません。それを踏まえて船員たちはそれぞれの役割を果たすことになるのですが、想定外の事態が発生することがあります。そういうときに、臨機応変に対処できる船員たちであって欲しいというのが私の願いです。それが乗客である生徒や生徒の親御様を目的地まで心地良く運ぶことにつながるからです。『志同く』を通して、彼らが人間的に成長して行ってくれることを期待しています。

2023年12月

2024.11.15Vol.40 「できる」の限界(三浦)

 エスカレーターの正しい乗り方は、アナウンスでも流れているように「二列に並んで立ち止まって」乗ることだ。だが、それを守っている人はそういない。「関東は左に立ち、関西は右に立つ」という地域差すら有名になってしまうほどに、皆、歩く列と立ち止まる列に分かれることが当然のようになってしまっている。
 随分前にテレビで見かけたのだが、歩く列と立ち止まる列に分かれるよりも、二列で立ち止まって乗った方が、全員が移動し終わるまでにかかる時間は短いそうだ。だが、理屈の上ではわかっていても、それを実行するのは難しい。自分ひとりの問題ではなく、周囲へ強制することもセットになってしまうからだ。例え立ち止まる気が満々だったとしても、後ろの人からの視線を感じると竦んでしまうのではないだろうか。私は実際にそうだ。何度も「これは立ち止まるのが正しい乗り方なんだ」と自分に言い聞かせても、左側の人波に流されるまま歩いて降りていってしまう。その途中で立ち止まれたことはない。
 ずっとそれが引っかかっていたのだが、以前ふと、名古屋で取り組みをしているという情報を耳にした。エスカレーターの片側に、立ち止まるように促す大きなマークを背負った人が乗っている画像を見かけたことがきっかけだ。改めて調べてみると、名古屋ではエスカレーターを歩くことを禁止する条例が去年から施行されており、その取り組みの一環である「なごやか立ち止まり隊」の働きのようだ。それを見たとき、なんだかとても腑に落ちたことを覚えている。結局のところ、自分が立ち止まれないのは「ひとり」かつ「個人」だからだ。重複しているようだが少し違う。単独ではなく複数人で行えば反感を買ってトラブルに巻き込まれる可能性も減るだろうし、それが公的な機関による活動の一環であるのなら尚更だ。
https://www.city.nagoya.jp/sportsshimin/page/0000162248.html
 上記のような物理的なものだけでなく、AIによって音声を流すという取り組みもあるようだ。自動で流れ続けるアナウンスとは違って、センサーによって歩いている人を検知した場合にのみ、立ち止まるように指示をするのだそうだ。もちろんAIなので人ではないことは百も承知で(聞いているだけではわからないのかもしれない)、けれども、そうやってリアルタイムで対応をされることで、より明らかに「自分に言われている」と感じられるのだろう。
https://www.nhk.or.jp/nagoya/lreport/article/006/15/
 他にも、そもそも立ち止まれないように一人分の幅にするとか、色々な対策が見込めるだろう。けれどもそれらは結局のところ、「自分」だけでは変えられないものだ。教室では『資料読解』という、時事問題に関するグラフを読み解き問いに答える教材があるのだが、現在は全体的な教材自体の見直しを行っているところだ。現代社会に合わせたアップデートをかけることはもちろん、「自分に出来ること」を考えて終わらないようにすることを意識している。
 以前までの教材では、エネルギー問題や地球温暖化などについて、まず自分にも取り組めることを考えるように促していた。それが無意味だとは全く思わないし、規模の大きな話を「自分」に落とし込むには必要ではある。しかし、規模の大きな話は「自分」ひとりの力で変えることはできない。どれだけ一人が節電しようが世界に大きな影響は与えられないのが現実だし、「だからみんなに節電を呼びかける」というのもいささか現実的ではない。仮に一時的には効果があったとしても、続くとは思えない。もちろん、だからといって自分ではどうしようもないからと諦めてしまうのは本末転倒なので、バランスの取りどころである。
 だからこそ、そもそもの仕組みや背景を知る、それをしっかり落とし込むことを主軸として切り替えていくことにした。そして、自分という枠にとらわれずに、けれども他人事として済ませずに、「こうしたらいいのではないか」と色々と考えられるようになってほしいという願いを込めている。

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