
2か月前に始めた社員のブログ。それには主に2つの目的がありました。1つ目は、単純に文章力を上げること。そして、2つ目が社員それぞれの人となりを感じてとっていただくこと。それらは『志高く』と同様です。これまでXで投稿していたものをHPに掲載することにしました。このタイミングでタイトルを付けることになったこともあり、それにまつわる説明を以下で行ないます。
先の一文を読み、「行います」ではないのか、となった方もおられるかもしれませんが、「行ないます」も誤りではないのです。それと同様に、「おなじく」にも、「同じく」だけではなく「同く」も無いだろうかと淡い期待を抱いて調べたもののあっさりと打ち砕かれてしまいました。そのようなものが存在すれば韻を踏めることに加えて、字面にも統一感が出るからです。そして決めました。『志同く』とし、「こころざしおなじく」と読んでいただくことを。
「同じ」という言葉を用いていますが、「まったく同じ」ではありません。むしろ、「まったく同じ」であって欲しくはないのです。航海に例えると、船長である私は、目的地を明確に示さなければなりません。それを踏まえて船員たちはそれぞれの役割を果たすことになるのですが、想定外の事態が発生することがあります。そういうときに、臨機応変に対処できる船員たちであって欲しいというのが私の願いです。それが乗客である生徒や生徒の親御様を目的地まで心地良く運ぶことにつながるからです。『志同く』を通して、彼らが人間的に成長して行ってくれることを期待しています。
2023年12月
2025.03.28Vol.53 「ペンをシャベルに」(徳野)
つい先日、ある公立高校に合格した女の子(ここではHさんとする)が入学前課題の作文に早速取り組んでいた。ちなみに彼女の第一志望校である。与えられたテーマは「これまでの学校生活の中で自分が成長した部分を振り返ってください」というものだったのだが、とても素敵な設定の仕方だと思った。成績云々ではなく新入生一人ひとりの「人となり」を深く知りたい、という先生方の想いが込められているような気がしたからだ。(実際、昨年の学校説明会に参加したHさんによると「生徒会長や先生が話す内容が良かった」とのことだった。)こういった宿題でよく見かけるのは、「どんな高校生活を送りたいですか」という漠然とした問いかけを通して新入生に目標を立てさせる類のものだ。私自身、授業の中で「とりあえず」という感じで投げかけてしまうことがある。そして、お題を与えられたほとんどの学生たちは、受験の結果がどうであれとりあえず「勉強を頑張る」と書き、おまけのような形で興味のある部活を述べて終わらせるだろう。これぞ型にはまった「クリシェ」、文章を綴る際の最大の敵である。つまり、入学後にだけ焦点を定めると書き手である生徒ごとの違いを生むのが難しくなるのだ。やり取りを通してまずは中学校での3年間、少々大げさだが過去にきちんと向き合うよう導いていくのが講師の役目でもある。
また、「出来るようになったこと」にも向き合わせる方が実態に近い客観視がしやすい。冒頭に登場したHさんの場合、当初から、お題のおかげもあってか先述のような型にはまった内容にはなっていなかった。ところが、部活動で強く後悔していたことがあっただけに「自分が取るべきではなかった行動」の説明に力を入れすぎてしまい、肝心の成長面に言及していなかった。より踏み込んだ話をすると、Hさんは何事にも手を抜かない性分で、この度の高校受験と体育会系のハードな部活動も結果的に両立させてみせた。彼女はけっして小手先が利くタイプではないことを強調しておきたい。本当に強い意志を持って努力したのだ。一方で、部の同級生たちの大半は熱心さに欠け、価値観の違いからHさんは彼らの輪に馴染めなかったらしい。それだけでも充分苦しいのに、ぎくしゃくした人間関係が練習メニューにも支障をきたし始めたため、一時期は彼らと仲良くするために色々と手を尽くしていた。だが、それがかえって大きな心理的負荷になってしまった、というのがHさんの後悔である。そこから「『人に流されない』とはどういうことなのかは今でも分からない」という悩みを打ち明けていた。私からは「自身について率直に述べる姿勢が良い」と伝えた上で、体験談からごくシンプルに導き出すとすれば「人に流されない」とは「気が合わない人と無理に付き合うのをやめて、自分のペースで過ごすこと」ではないか、と尋ねてみた。すると、意欲のある下級生と一緒にトレーニングに励んだり、試合の選抜メンバーに入るために単独で練習したり、という風に自分の軸を持ちながら行動を取れていたことも明らかになった。その情報の有無によって読み手がHさんに受ける印象は180度と言って良い程変わるし、自ら「表明」していた目標である「周囲からの心無い言葉を受け流す術を身につける」にも現実味が生まれる。しかしながら、孤立への不安が消えていないがゆえに「どういうことか分からない」という言葉が出てきたのも事実だ。その、多くの人が抱える恐怖に近い感情は一生付き合っていくものだろう。変えるべきなのは、目の前の人間関係に問題を感じながらも、寂しさから逃れるためだけに維持しようとする視野の狭さだ。H さんの場合は、孤独感を選抜メンバーに加わることへのモチベーションに繋げられた。消極的な逃避とは違う然るべき「居場所探し」であり、それが出来たことじたい立派な成長なのだ。
授業では当の本人も認識していないような「強み」や「前進」が浮き彫りになることがある。意見作文に取り組んでいる子に限らず生徒と接していて最もやり甲斐を感じる瞬間だ。成長したのは生徒の方なのだが。そういう意味では、添削とは採掘のようなものかもしれない。何も無いように見える土地をあちこち掘り起こし、土やら砂やらをふるいにかけて小さな宝石を見つけ出す作業を想像することがある。ちなみに、仮想の採掘仲間はその時やり取りしている生徒本人である。