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2025.01.21Vol.671 時間を掛け、ふさわしい成果を出す

 先週、「締め切りの9月末に間に合わせるべく提出したものの納得の行くできでなかったため」と述べた。生徒本人はさておき、私自身が満足できなかったのだ。それぞれの段落を構成している要素はとても良い内容になっているはずなのに、全体としての一体感が無く手応えが得られなかったからだ。部分最適にすらなっていなければ提出した時点で終わりにしていたであろう。そのようなレベルに留まってしまったのには少なくとも2つの理由があった。1つ目は、それなりに時間を掛けてはいたものの十分にはほど遠かったこと。手直しにその後3カ月の時間を費やしていることがそれを証明している。2つ目が私の指導力が完全に不足していたこと。「なんでうまくいかへんかったんやろ?」と振り返りながら、よくよく考えてみれば4,000字の作文を添削したことがなかった、という事実に気付いた。私自身はこのブログで3,000字を超えるものを書くこともある。それに1,000字を付け足すことはそれほど難しいことではない。しかし、哲学グランプリの作文と私のそれとの一番大きな違いは、1つのテーマについて書き切るかどうかにある。このブログは、半分近くが余談で占められることもある。未知の領域であったことに思い至り、「じゃあ、どうすれば良かったんやろか?」と次なる疑問と向き合うことに。こういうとき、机に向かって1つのことについて根を詰めるのではなく、大抵は処理できていない問題を2つ3つと抱えているので、それらを頭の中に置きながら、考えるでもなく考えながら妙案が浮かんでくるのを待つといった感じである。いくつかの牡蠣を鍋に放り込んで茹でると、時間差で1つずつパカッ、パカッと開いて行くのと似ているのかもしれない。その場合、最後まで閉じたままのものは解決できなかったことを表している。数日後、「そっか、記述とおんなじか」となった。生徒たちは解答欄が50字、100字と増えるにしたがって、書き切ったときに不足することを怖がり、だらだらとどうでも良い内容で字数を稼ごうとしてしまう。そのようなことを防ぐため、「字数がどれだけ多くなっても、頭の中で20字から30字ぐらいでコンパクトにまとめて、それに肉付けする感じでやらなアカンで」という指導をする。そこに着想を得て、「次の授業で400字でまとめさせよう」となった。結果、予想以上にうまく行った。それが以下である。あくまでもラフなスケッチのようなものなので細かい部分についての指摘は行っていない。

 環境破壊や戦争、格差の拡大など、現在の地球が抱える問題は数多く、それらの未来へ向けた対策が万全ではない。また、先進国では出生率が下がっている国が多いので、この二つに相関関係があるとする。しかし、例えば日本では出生率低下の究極の原因は女性と子どもの人権向上であり、これは寧ろ、未来に繋がる良い流れの中で生まれたものである。このことからも、人間は子どもを産む産まないについては地球規模の大きなことは考えない、つまり問題と出生率は何の関係ももたないといえる。
 また、そのような問題は昔から存在したが、技術革新によるグローバル化とスピードアップにより深刻化した。それと同時に人口が爆発的に増えた。そして、哲学者によると、希望は現実と向き合うことで生まれる。世界に絶望している人は悲観というフィルター越しに世界を見ているので、現実を直視できておらず、希望を見出せるはずがない。また、人生とは希望なので、世界規模で見れば人口が増えているので、未来は明るいといえる。

 ここでお得意の余談なのだが、最終版に目を通しながら、「そして、医療の発達で人類は長生きになった。人生五十年と言われていたのに人生百年時代が到来した。それにより、私たちははるか遠い未来であるはずの一世紀後について自分事として考えなくてはならなくなった。」の部分が面白かったので、「100年生きるから環境問題について考えるようになった」というアイデアが面白いよな、と伝えたところ、「それ、私じゃなくて先生のアイデアやで」と予想外の返答があった。自分でも完全に忘れていたこともあり、「でもさ、人のアイデアを自分の手柄にする人よりええやん」と続けると、「どっちもうざい」と一刀両断されてしまった。
 私が忘れていたことももちろん原因の一つではあるのだが、それ以外に、彼女が、このときに限らず私が出したアイデアやアドバイスを自分なりに消化して、表現を変えたり、新たな情報をそこに加えたりしてより良いものにできることの方が影響が大きい気がする。その時点で、私のものではなく彼女のものにできているのだ。
 私が作成した彼女の月間報告を要約したものを紹介して終わりとする。

 本来、「時間帯効果」は「効果」÷「時間」という式で求められ、その値をいかに高めるかが大事であるはずなのに、現代の若者は「時間」を短くすることだけに焦点を当てるようになってしまった。彼女はそんな彼らとは違い、「時間」をじっくり掛けなければ得られないものがあるということを経験的に知っている。それは将来活きるはずである。いや、絶対に活かして欲しい。そのためにも、この一年間大学受験に向けての勉強を「時間」を掛けてやらなければならない。そうでなければ得られる「効果」は本来の実力以下のものになってしまうのだから。

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