
2025.01.14Vol.670 生徒の大力作(修正版)
今回は高2の生徒の約4,000字の作文を紹介する。「日本倫理・哲学グランプリ2024」にエントリーし、締め切りの9月末に間に合わせるべく提出したものの納得の行くできでなかったため、その後3か月、10回前後の授業を費やして修正し、書き上げたものである。与えられたテーマは以下の4つで、彼女は④を選択した。なお、志高塾の公式Xで、グランプリに提出したものを掲載している。では、お楽しみください。
①
知識を学ばず獲得していない者は、正しいことで成功することもできず、また、成功しているかどうか判断することもできない。
プルタルコス『モラリア』
②
未来というものがどんな現実の新しさをふくんでいようと、もともとそれぞれの瞬間の独自性と個別性が未来を新しくするのだから、未来を概念的に処理すれば、 その新しさをまったくとりにがしてしまう。
ウィリアム・ジェイムズ『哲学の根本問題』
③
よい歌をよもうと思えば、言葉をえらぶ以外に何ができるだろうか。歌のよしあしが決まるのは、だいたい言葉であって、情ではない。なぜなら、情が浅くてもよい歌は多いが、言葉が悪くて、しかもよい歌というのは、かつてあったためしがないからである。
本居宣長『排蘆小船』
④
「環境破壊や戦争、格差の拡大など、地球の未来に希望はもてない。だから子ども は作るべきではない」という考え方についてどのように考えるか。
現在、地球は数多くの問題を抱えている。環境破壊、戦争、格差など挙げていくとキリがない。SDGsなど、それらの社会的課題を世界全体で解決しようとする気運が高まってはいるものの、一向に前進しない。また、先進国の人々は、生活が豊かになり時間にゆとりが生まれたことと、医療の発達による人生百年時代の到来により、はるか遠い未来であるはずの一世紀後を自分事として深刻に捉えるようになった。そして、それらの国は出生率が低い傾向にある。このことから、課題文と同じ考え方、つまり、地球の未来への不安から出生率の低下を招いていると仮説を立ててみる。ここで、我が国日本を例にとり、出生率低下の原因を探ることにする。まず、女性の社会進出をきっかけとして「大人になったらみんな結婚して跡継ぎを残す」ことが当然ではなくなったことが挙げられる。従来の性別分業に見られた専業主婦ではなく、男性と同じように働き、キャリアアップを目指すようになった。そのような女性は家庭より仕事を重視して、家制度から解放された人生を謳歌している人も多い。また、子どもは欲しいが、経済的事情から諦めざるをえない人もいる。しかし、昔は現代より貧しい状態だったにもかかわらず、子どもが多かった。それは、経済的に貧しく、農業などの労働集約型の産業に従事している人が多かったからこそ、早いうちから一家の労働力としての役割を担わせるためである。昔は衛生状態が今ほどよくなく、乳幼児の間の死亡率が高かったので一人でも多く残そうとした側面もある。時代が進むにつれて生活が豊かになったことで、子どもの人権が叫ばれるようになり、労働ではなく教育を受けさせるなど、子ども一人にかかる時間もお金も増えた。現在の大量の社会問題を深刻に捉え、現在の日本は景気が良くならず、税率ばかりが上がるということもあり、未来を悲観する人もいる。しかし、それが日本の少子化の直接的な原因ではなく、女性と子どもの人権向上という未来へ繋がる良い流れの中生じたものだ。このことから、人間は子どもの産む産まないについては地球規模の大きな問題から判断しない、すなわち仮説は成立しないのだ。
そもそも、現在地球が抱えている諸問題は今に始まったものだろうか。例えば、環境破壊は、人類が現在の生活を継続する上で向き合うべき最重要課題であるが、昔から行われていた。旧石器時代に生息し、当時の人類が捕食していたマンモスが絶滅した原因は気候変動だけでなく人類の狩猟も関係していると言われている。アメリカ西海岸の海藻ケルプは、人類が毛皮を求めてラッコを乱獲したことで、生態系のバランスが悪くなった結果ウニが急増し、ほとんどが失われてしまった。このような人間の身勝手な行動によって絶滅した生物や人間の介入によって破壊された生態系は枚挙にいとまがない。しかし、今までは一地域の小規模なものに過ぎず、どれだけ動物が滅びようが、特定の地域の問題で済み、どれだけ特定の生態系を破壊しようが、他のもので簡単に補うことができた。現在は「地球」温暖化と形容されるように、海面上昇は北極にも南洋諸島にも被害を及ぼし、世界のあらゆる所で異常気象が起こっている。しかも、十年に一度、百年に一度と言われるほど大規模なものが毎年のように起こっている。それらは少なくない数の現存種を滅ぼしかねない。要するに、地球規模で深刻化した故に叫ばれるようになったのだ。
戦争や格差問題も同様だ。二点共に人間が存在する限りは必然的に発生する。人間も動物の一種であるから、争い合い、強いものが上の立場につくのは自然なことである。今までもその繰り返しだったが、当然のことでもあり、そこまで悲観されなかった。自分達のコミュニティーの問題で終わっていたからだ。しかし、時代が進むにつれ、個々で独立していたコミュニティーが緊密な繋がりを持つようになった。それにより、20世紀初頭に初めて世界大戦という大規模な戦争が勃発したことや、中東戦争に起因する日本での石油危機に代表されるように、一地域のことでも全世界に多大な影響を与えるようになった。このように、今抱えている様々な問題は急に発生したものではなく、規模が拡大し、また驚異的な波及力を帯びたことで重大な問題として浮上してきたのだ。
では、世界規模になることの何が不利益なのだろうか。グローバル化は科学技術の発達と密接に結びついている。産業革命によって今までになかった技術を持った国々が他地域に進出することで、科学技術の発達がタイムラグはあるものの全世界に広がったことにより、生産効率が上がるだけではなく、医療や交通手段までも発達したため、1800年に10億人であった世界人口が1900年に18億人、2000年に60億人、そして現在は80億人を超え、たった24年で19世紀の100年間の2.5倍も増えているので、爆発的増加と人やモノが激しく移動することで、世界はより緊密に繋がっていったのだ。2020年に新型コロナウイルスが世界中で大流行したが、一地域で発見された病原体がたった数か月で全世界に広がることは昔ではあり得ないことだった。このように今の社会問題の多くは国家を跨るものなので、一国家、一コミュニティーだけでは対応しきれないところがある。解決のために世界の国々が協調する必要があるのだが、中国に続き、インドを中心とするグローバルサウスの台頭により、足並みを揃えるのが困難な状況に陥っている。だから環境問題に対して有効な対策が見つからないまま、また新たな問題を抱え込むという負の連鎖が続いている。
以上より、未来は見通せず不安定である。しかし、そうであるからこそ、人類は子孫を残していくべきである。未来に希望がないと言われるが、そもそも希望とは何であろうか。アリストテレスの言葉を引用してみる。
「希望とは、目覚めている人間が見る夢である。」
夢とは通常「眠っている人間」が見るものであるが、ここではそうではなく、「目覚めている人間」が夢を見ている。目を閉じてしまえば、必然的に現実は見えないが、目を開けると、現実が否応なく飛び込んでくる。現実と向き合いながら抱く夢、それが希望なのだ。物事を悲観的に捉えすぎるのは、負の感情というフィルターを通して物事を見ていると考えることもできる。フィルター越しに見るものは現実とは異なるため、ある意味夢を見ている状態なのだ。だから、そのような人たちは未来に希望を感じられないのではなく、そもそも希望が存在することのない未来を見ているのだ。人生とは希望であるはずだから、自分の人生と向き合えていないのかもしれない。また、近代日本の哲学者三木清の言葉に次のようなものがある。
「人生は運命であるように、人生は希望である。運命的な存在である人間にとって生きていることは希望をもっていることである。」
つまり、今この時代に存在していること自体が運命であると言える。そしてこの運命について思いを巡らせる時に必ず希望が生じるのだ。
そうは言っても今すぐ希望を見出すのは難しいだろう。今のままではどうすることもできないのに変わりはないからだ。しかし、人類は何万年もの間、変わりゆく環境にその都度適応し、生命を繋いできた。現在、これまでになく様々な課題に振り回されているように感じられるかもしれないが、長期的に見ると、自然の摂理にすぎないと捉えることもできる。その意味で、今ここで存続を絶ってしまうことは自然に反してしまっているのではないだろうか。生きていることが希望を持っていることと同義ならば、生きている人が多ければ多いほど、希望を持っている人が多くなるので、人類全体が抱く希望の大きさは膨れ上がる。子孫を残さないことは未来を生きていたかもしれない多くの人を生み出さない、すなわちそこにあるはずの希望を我々人類の手で葬ってしまうということなのだ。だから、私は少しでも多くの希望を未来に残すためにも、幾ら先が見えなくても子孫を残すことをやめてはならないと主張する。