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2024.10.29Vol.660 二人目が一人目、だからと言って三人目が二回目でもきっと一回目(前編)

 タイトルと言うものは難しい。先に決まることで方向性が定まることもあれば、逆にそれに縛られることで文章の自由度が狭まる可能性もある。書いている最中や書き上げた後に閃くこともあれば、どう頭をひねっても納得できるものが思い浮かばないときもある。そういうときは「タイトルはあくまでもおまけやし」と自身に言い訳をしながら諦める。
 先日、中2の二男と2人きりで食卓で向き合いながら、珍しく諭すように話をした。「親にとって、子供が頑張ることなくダラダラと生活をしているのを見るのは楽なことではない。期待をするとそれに応えないことにイライラするし、期待をしなければ腹も立たたないんだろうけど、それもまた違う」。「親が期待しなくなったら終わりですよ」とこれまで幾度となく親御様に伝えて来た私が、それをするわけには行かない。そうやってもやもやとしたものを自分の中に抱えながら数日後に出した答えが、「期待をちゃんとした上で、イライラしないように気持ちをコントロールできるようにするのが、二男に対して今親としてするべきことなんだな」というもの。冷静に考えてみれば、子供には要求するのに親が何もしないというのはおかしな話である。
 現在高1の長男にも中2の頃までは、堪忍袋の緒が切れたときには怒鳴っていた。物心がついたときからいじけた発言が多く、それが私の怒りの対象であった。本当はAが良いのに、「別にAでもBでもどっちでも良い」という感じであった。二男とけんかをして負け、おもちゃを取られたとき、「お兄ちゃんなんだからやられっぱなしで終わるんではなく力づくで取り返しな」と仕向けても、「別にいらないもん」と泣くだけであった。この「お兄ちゃんなんだから」に対して、母から「かわいそうだからやめてあげたら」と何度か注意をされたことはあったのだが、その度に「人間にはどうやっても変えられないものがあって、お兄ちゃんだからこそのメリットもあればデメリットもある。それはワンセットなんだから、都合良く取り除くことはしない」と説明していた。私は二男なので、新しいものを買ってもらえる兄がうらやましくてしょうがなかった。私立の中学校に入ってからは、「みんなより勉強せずに入った学校なんだし、難関校でもないんやから、せめて半分以内にはおらなあかんやろ。入学前から言ってるように、そうでなければ、わざわざ高い金を払って、一時間近く掛けて行く意味は無い。」というような話を定期テストの成績が出た後に何度かして、「今の学校に残りたいんやったらもう少しちゃんと勉強するか、そうでなければ辞めて公立に移るか、どっちが良いんや?」と迫っても、口をつぐんで明確な意思表示をしなかった。別に脅していたわけではなく、中途半端にしかやらないのであれば、高校受験をした方が良いと心底考えていた。
 長男の入学から3年半が経つが、私が学校を訪問したのは2回だけである。1回は運動会。そして、もう1回が三者面談であった。そのときは妻に用事があり、仕方なく私が代役を務めることになった。本人がパワーポイントを使って5分ほどプレゼンをした後に、担任の先生と親である私が質問をするという形式であった。その先生がどんな質問をするのかに興味があったのだが、それがあまりに適切で驚いた。また、全然頑張ってもいないのに「数学はやってもできないので文系に進もうと考えています」と発表した長男に対して、「難関大学を目指すのであれば、英語や国語では差が付かず、文系でも数学勝負になるから、ちゃんとやらないとダメだよ」ということを心に届くように話していた。帰宅後、長男に「全然期待せんと行ったけど、あんなまともな先生おんねんな。ラッキーやん。家庭科の先生やから、逆に全体がよく見えてるんかもしれへんな」といったような感想を述べた。数学で2教科とも平気で平均点以下を取ってくる長男に、「同じ10点を取るのでも、数学やと社会などの暗記教科の2倍、3倍勉強せなアカン。それだけ時間を掛けても点数が悪いんやったらしょうがないけど、みんなが数学に振り向けている時間を別の教科に充てて、それっぽい成績を取るのはインチキや」ということを伝えていた。中3になってから少しぐらいは自覚が芽生えて、今は半分よりもう少し上の上位3割ぐらいのところにはいる。別にすごく頑張っているわけではなく、テスト期間中でも長時間アニメや映画などを楽しんでいる。それに関しては、自身が子供の頃、テスト中にテレビをダラダラと見ていることを指摘されるのが嫌だったので、子供にはそれをしない、と決めていた。「やらなアカンけど、やる気が起こらへん。テレビ見てたら、そのうちなんか言われるんやろな」という葛藤を抱えながらなので、テレビを見ていてもつまらなく、指摘されて仕方なく勉強を始めるので切り替えもうまく行かないという状態であった。高1の長男も中2の二男も、私のことなど気にせず、のんびりとテレビを見ている姿を目の当たりにして、それに関してはうまく行ったな、と感じている。
 長男は中3になった頃ぐらいから、いじけた発言がほぼ無くなり、いつの間にかきつい言葉を投げつける必要がなくなった。本をよく読むこともあり、きちんと会話が成り立つからだ。そこで「二人目が一人目」の話である。二男は明らかに思春期、反抗期に入った。私にはそこまで反抗的ではないのだが、以前から妻に暴言は吐き、長男、三男にけんかをふっかけてよく揉めていたのだが、それに拍車が掛かって来た。これまでは力づくで抑えこんでいたのだが、それでは効果が無いな、となった。今でも鮮明に覚えていることがある。もう10年ぐらい前になるだろうか、第一子がそれぞれ灘と東大寺に進学したお母様が2人目の受験勉強で共に手を焼き、「先生、塾に普通に行かせてたら勝手に勉強ができるようになるわけではないですね」と異口同音に漏らしていた。お兄ちゃんがたまたまできただけの話なのだ。当然のことながら一人目ですべてを経験するわけではない。頭では分かっていても、二人目で新しい問題が発生すると親としては少々戸惑うことになる。
 最後に、今回のタイトルにはかなり手応えを感じている。元は「親としての初体験」というごくごく平凡なものであった。
つづく

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