2022.12.20Vol.572 本田圭佑から学んだこと
「きよきよしい」。本田圭佑がインタビューの際に「清々しい」のつもりで発語したものである。読み方を知らなかったのだ。その後、漢字が苦手であることを正直に告白していた。
今回のワールドカップの解説をきっかけに、評価を改めた人は少なくない。私もそのうちの一人である。「スポーツの話題のときはよく分かりません」とあるお母様に言われて以来、それまで以上に用語の説明などに気を配るようにはして来たのだが、このタイミングであればある程度省いて大丈夫、と決め付けている。嫌っている人、嫌っていた人の多くは、彼の日本人らしからぬビッグマウスがその理由だろう。私が好きで無かったのもそのことと関係しているのだが、少し補足が必要である。本田が日本代表に入った当時、中心選手は中村俊輔であった。ここからしばらくは余談にお付き合いいただきたい。「輔」の漢字が同じで、私の1学年下ではあるのだが誕生日も同じなのだ。彼が全国高校サッカー大会に出ていたのをテレビで目にしてからのファンである。ちなみに、あのリオネル・メッシも、である。私が彼ら同様に左利きであれば、サッカー選手として大成したのかも。同じ「しゅんすけ」でも「俊介」は全然違う気がする。同じ宗教を信仰していても教派が違えば衝突することがあるように、似ているからこそ違いが際立つこともあるのだろう。もちろん、私は「俊介」を嫌っているわけではない。「しゅんすけ」はこの2つが大勢を占めるのだが、私の長男の「りく」であれば優に10種類以上あるので、漢字が異なってもそのまま親近感を覚えるのかもしれない。補足に戻る。日本代表の試合において、それまでであれば俊輔がフリーキックを蹴る場面で、本田がしゃしゃり出てきた。私から見て、単純に俊輔の方がゴールを決める確率が高かったので、「余計なことするなよ」となった。それに関しては、以下で詳しく述べられている。
https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/245023
その本田、かつてイタリアのビッグクラブに移籍した際の入団会見では、流暢ではない英語を披露していた。あの英語力を前提としたとき、日本人に限らず、どれだけの人があんなにも堂々と受け答えできるのだろうか、とニュースの映像を見ながら当時思ったものである。今回の本田の解説を、私は日本対クロアチア戦と決勝戦の2試合しか聞いていないのだが、「そんなことも調べてないのか」ということが何度もあった。一番驚いたのは、クロアチア戦で、マリオ・パシャリッチという選手が交代で出てくるときに、「マリオって、あのマリオですか?」というようなことをアナウンサーに尋ねたことである。自分の元チームメートが代表メンバーに入っていることすら分かっていなかったのだ。本田の解説が共感を得られたのはおそらく、専門家でも意外と知らないことが多いんだ、ということと、自分たちと同じようにこういう場面ではやっぱり緊張するんだ、ということが伝わったからではないだろうか。それだけではもちろんだめで、「一流の人って、そういうところを見るのか。やっぱ違うな」という部分があってのことである。そしてもう1つ、実況のアナウンサーはやりやすいだろうな、ということも感じた。他の解説者と組んだときは、事前に情報を頭に入れたり勉強をしたりしているものの専門家ではない自分がどこまで踏み込んで良いか分からず遠慮をするのだろうが、本田の場合は「ここは知らんから任せた」と境界線を明確にしてくれるので、役割分担がはっきりしていて、持てる力を思う存分発揮できるのでやりがいも得られやすかったのではないだろうか。
志高塾を子供たちが積極的に失敗できる場にしたいと常日頃から考えている。たとえば、学校でも、塾などの習い事の場でも、さらには家でも間違える可能性のある言葉は使いにくい。「そんなことも知らないのか」と馬鹿にされてしまう恐れがあるからだ。本田は、失敗から多くを学べることを経験してきたのであろう。そして、それと同時に失敗を他人から批判されてもへこたれない精神を作り上げてきたのであろう。
先日、あるお母様とメールのやり取りをしていた際に、「最近我が家で話題なのは、松蔭さんと本田圭佑がめっちゃ似てると。顔じゃなくて話し方?多分性格が」というようなコメントをいただいた。私はあんなにも自分の負の側面をさらけ出せない。コロナが流行り始めた当初、「テレビに出ている吉村知事の意思の強そうな目が先生にそっくりで、ずっと見られているような気がするから消しちゃいました」と面白い報告を受けたこともある。私にあんな決断力は無い。
明らかに過大評価されている。化けの皮がはがれるときが少しでも先になることを願いつつ、そのときがいつ来ても良いように少しでも中身を充実させておかなければ。