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2021.02.09Vol.482 『十人十色』番外編③ ~進学塾と中学受験~

 前回、受験直前の3学期もいつも通り学校に行かせようとしていたことについて触れた。それと関わることとして習い事がある。サッカーは8月まで週2回で9月からは1回に減らし、さすがに1月は休ませた。生け花に関しては隔週と言うこともあり、そのまま続けた。それゆえ、例年通り年末には3, 4時間掛けて正月花を生けていた。
 中学受験をさせる気も無かったので、進学塾に通わせようとならなかった。もしかすると進学塾に通わせたくなかったから、中学受験をさせる気が無かったのかもしれない。卵が先か鶏が先か、今となってはよく分からない。誤解されないように伝えておくと、進学塾に通うことが良くないと言いたいのではない。ただ、勉強面においては考えない癖がつく恐れがあり、物事の考え方の面においては誤った価値観を植え付けられる恐れがある。後者に関しては、生徒からか我が子だったからかは忘れたが、試験会場で休憩時間になるたびに「めっちゃ簡単やったな」という会話を同じ塾生同士でして、他の生徒を不安にさせるということをしたりする。今年はコロナの影響で禁止されていたらしいのだが、朝にグラウンドかどこかに集まって大手塾の生徒たちが先生と大きな声を上げる。それが自分たちを鼓舞するためであるのなら分かる。だが、同時に他の受験生を委縮させることを兼ねているのであれば、その一石二鳥は間違えている。仮に、委縮させることが副次的なものであったとしても、悪影響を与えるのであればそれを理由にやるべきではない。私が浪人生の頃、センター試験を自己採点し、その結果を提出して二次試験の合格可能性を探るというシステムがあった。実際より高い点数を書くことで、怖気づいたライバルに志望校を変えさせる。自己申告なのでどうにでもなる。私が通っていた予備校のチューターがそれを勧めたのか、そういうことをする予備校があるということを聞いたのか。たとえ軽い気持ちであっても姑息な手段に魂を売るべきではない。ちなみに、予備校のクラスメイトがそれを元に志望校の変更をしようとしていたのだが、なぜ当てにならないデータを当てにしていたのだろうか。
 先の段落で、進学塾に通うことについての2つの恐れについて触れた。逆に言えば、それらを取り除いてあげれば何ら問題が無いのだ。フグの毒のようなものか。そのように不要な部分を除去すると考えてもいいのだが、その場合は否定的な意味合いが濃くなる。それよりは中和するという方が感覚的に近い。進学塾で塩酸(水酸化ナトリウムにしても良かったのだが、塩酸の方が危険な感じが出るので良い)を与えられる。志高塾でそれを中和するための水酸化ナトリウムを混ぜる。その結果、食塩ができる。もし、塩酸を捨ててしまえば新たに調達する必要があるので、そんなことをせずに有効活用してあげればいいのだ。息子に対してはそのような中和の仕方が難しい。他の生徒がいる中で講師たちに我が子を優先してもらうわけにいかないのはもちろんのこと、後回しにするように伝えているからだ。息子達にも「お父さんの子供だから後回しになるので、ちゃんと待っておきなさい」と言い聞かせている。だから、我が子に対してはそのような化学的な製法を諦めて、別の方法を考えざるを得なかった。海水を利用してのそれである。効率は良くないが、その分おいしいものができると思い込むしかない。グツグツ、コトコト。
 その中和、別に他人の手を借りなくても自らできる子もいる。たとえば、勉強面に関しては分かりやすい。できる子であれば、先生の話など適当に聞き流していても理解できるのだ。悲惨なのはそうでない子である。誤解を防ぐために、ここで説明を挟む。あれは4年生の頃だっただろうか。長男の算数を見て「できないな」となった。この「できない」、正確には「できることはない(できるわけではない)」なのだ。「できない」であればマイナスなのだが、「できることはない」は大きなプラスではないということである。「できる」と言っても抽象的なので、イメージしやすいように中学受験をする子のうちのトップ10%とする。それでもかなり多く見積もっているので、実際は90%以上がそうでない子である。だから、何ら問題ではないのだ。「悲惨なのはそうでない子である」に話を戻そう。これまた、正確には「そうでない子が悲惨」なのではない。そうでない子が、進学塾で言われたことを鵜呑みにして、ただただそれをこなそうとすることが悲惨なのだ。もちろん、中にはそれで成績が上がり、中学受験で良い結果を残せる子もいるだろう。しかし、その成功体験にも注意が必要だ。言われたことをちゃんとやることこそが大事だ、となってしまいかねないからだ。
 そうでない子に何ができるのか。そこで生徒の、親御様の役に立って、志高塾は存在する意義があると言えるのだ。できる子は、できるからと調子に乗らせていては宝の持ち腐れである。答えのある問題で優秀な子なのであれば、答えのない問題でも飛び切り優秀な人になるように育ててあげないといけない。やることは多い。きっと、それを「やりがい」と呼ぶのだろう。作詞依頼来たりしないかな。

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