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2021.02.02Vol.481 『十人十色』番外編② ~受験と人育て~

 中学受験させるつもりはないと、ということをきっと長男の就学前ぐらいからちょこちょことこのブログで書いてきた気がするが、正に気のせいなのかもしれない。有言、不言の別はさておき、長男の中学受験を実行する予定はなかった。
 そこまで必死になって勉強しなくても東大か京大ぐらい(医学部を除く)には行ってくれるだろう、というのが私の中にはある。子育てをする際、親はまず自分を基準に考えるのでこれもその一例に過ぎない。高校でも大学でも、こいつにはどうやってもかなわない、というのは周りにそれほど多くはなかった。もちろん、自分より優秀なやつはそれなりにいたのだが、「まっ、俺が少し頑張れば追いつけるな」というのはあった。そう思い込んで自分を慰めていたというのもあるが、それが慰めになるほどの距離感であったということだ。灘に通う生徒から、飛び抜けてできる同級生の話を聞くと「なんじゃそれりゃ」となる。その彼に「次元が違い過ぎるやつを間近で見ると、そいつに勝ちたいとかじゃなくて、じゃあ自分には何ができるのか、という考えになれるからいいな」というようなことを伝えたことがある。自分を見つめることは、より高みに上るには欠かせないプロセスである。上のように勉強においてはどうにかなる、と強がっていた私も、就活に始まり社会に出てからは自分の小ささを実感することが非常に多かった。勉強はある程度自分でどうにかできるが、人間の器に関わる部分は親としてきちんと鍛えてあげないといけない、という意識が自分の中では強い。A日程の合格発表からB日程の間までにいろいろと伝えたのもその一環である。また、本人は受験前日まで学校に行きたがったので、それであればそうしなさい、とその考えに賛同した。周りの同級生は休んでいたので「合格すれば『あいつは、ちゃんと学校に来ていたのに合格してすごいな』となるけど、もし、不合格になれば『あいつ、余裕ないのに何で来てたんやろ。あほちゃうか』ってなるぞ」ということは伝えた。年が明けてからの過去問の点数もボーダーの辺り、どちらかと言えば不合格の方が多かった気がするが、私にとっては息子の意見を尊重することの方が重要だった。濃厚接触者は受験ができなくなるとのことで、結果的には始業式だけ行ってその後は休ませざるを得なかったことが残念である。
 「東大か京大ぐらいには行ってくれるだろう」と言いながらも、実際には息子3人ともそのレベルに到達しない可能性の方が高い。ただ、少なくともそういうところに照準を合わせ、逆算して何かをさせ、予定通りに行かなくなったときにより強度を高めようなどという考えはまったくない。親として、人間も勉強も両方バランス良く成長させる自信は無かった。だから、人間を選択した。人間が育てば、勉強をやる意義も自分で見つけられるだろう。そうなれば自ずと学力も上がる。大学受験までの話で言えば、自分のやりたいことを見つけて、そこに進めるだけの力を身につけておいて欲しいというのはある。ただ、どこの中学、高校、大学に行ったかではなく、息子たちが35歳ぐらいになったときに「俺の子供って結構面白いことやっててな」と誰かに話したくなるような、そんな人になっていて欲しい。もちろん、誰かに自慢することが目的ではない。その頃には私も70歳前後になっている。世の中の多くの男性同様、友達もおらずに話し相手自体いないかもしれないが、とにかくそんな人に育っていれば、親として悪くない役割は果たせたかな、となれる気がしている。
 数週間前、二男が「6時に起こして」とお願いしてきたので、「何するの?」と聞いたら「絵を描く」と返ってきた。誰に強制されたわけでもなく、自分で好きなことを見つけて、それを早起きしてまでやる。それが何の役に立つかなんてどうでもいい。ただ、我が子が何かしら作ることに熱中している姿を見ることは大好きだし、「今、そういう風になっているのは、俺が『いいぞ、いいぞ』と背中を押して来たのも関係しているかな」と勝手に思っていたりもする。

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