2021.01.19Vol.477 情報と作文
昨年最後のブログVol.476『人』に関して、生徒から「年の締めくくっりぽくない」、「野球のネタなので分かりにくい」などと批判された。偶然にもその翌日の水曜日に次のような記事をネットで発見した。URLも貼り付けるが、それをコピペしたものを以下で紹介する。その後に、少しだけ自分の考えていることを述べる。
https://news.yahoo.co.jp/articles/fce8d945b1ca175f20e3dbf48506d2b4847680ab?page=1
「釈然としませんね」
開口一番、こう言うのは巨人OBの評論家・高橋善正氏。DeNAからFAで梶谷隆幸(32)、井納翔一(34)の2人を獲得した巨人がさらに、「一塁と左翼が補強ポイント」として新外国人2選手を獲得すると公言していることに、「編成本部長を兼ねる大塚球団副代表はリーグ連覇を果たしたことで『育成と発掘』を旗印に掲げていた。言葉通りの方針で若手を鍛え、チャンスを与えるのかと思って期待していたら、まったく逆のことをやっている。FAで2選手を取り、すでに6人が在籍している外国人を8人にするというんじゃ、いよいよ若手のチャンスは限られる。育成と発掘どころじゃなくなりますよ」と、何度もクビをかしげるのである。「まったくだ。」評論家の山崎裕之氏もこう言った。
「巨人と同じように補強のイメージが強いソフトバンクでも、過去にFA補強した人数は13人です。12球団でダントツの28人も獲得している巨人の半分以下で、2013年に獲得した中田賢一、鶴岡慎也以降はFA補強を封印している。育成に舵を切り、三軍を創設し、環境を整えたからこそ、千賀滉大(27)や甲斐拓也(28)、周東佑京(24)に代表される育成契約からも次々に主力が育つサイクルが出来上がった。巨人はそのソフトバンクに日本シリーズで2年連続4連敗という屈辱を味わった。今までのような補強でつぎはぎするやり方ではソフトバンクには勝てない、差は縮まらないと目が覚めるかと思ったが、相変わらず同じことを繰り返している。外野は梶谷、丸という補強組で埋まり、さらに左翼に外国人を取ったら、例えば今季86試合に出場してレギュラー獲得の足掛かりをつかんだ松原聖弥(25)のチャンスが減るのは間違いない。“よーし、来年こそは”と意気込んでいたはずの若手の意欲が喪失してしまう。セの覇権は握れても、これでは、ソフトバンクとの差は開く一方ですよ」
巨人の補強で前面に立つ大塚副代表はあくまで実動部隊のトップ。裏で陣頭指揮を執っているのはもちろん、原辰徳監督(62)だ。球団から編成面の全権も与えられ、梶谷と井納のFA補強も原監督が、「球団に2人と話をしてくださいと伝えた」と自ら要望したことを認めている。今年で計14年目になる原政権で獲得したFA選手はこれで16に達するが、「そもそも、全権監督というのがおかしいんですよ。原監督をかばうわけではないが、現場の指揮官というのは、その年その年をいかに勝つかしか頭にないものですから」と、前出の高橋氏がこう続ける。
「監督の契約年数なんてあってないようなもので、いつクビになるか分からない。口では“3年先、5年先を見据えて”なんて言っても、実際はそんなことは考えませんよ。常に優勝が求められる巨人は特にそうです。そういう監督に編成権を渡せば、あいつも欲しい、こいつも欲しい、となるのは自明の理。なにからなにまで監督に任せるというのはフロントの怠慢ですよ。昔は全権監督が多かったが、そんな時代ではない。今の12球団で監督にそこまでの権限を持たせているのは巨人と石井一久監督がGM兼任で就任した楽天くらいのもの。ドラフトを含めて球団なりGMなりが5年先、10年先を見据えたチームづくりを行って、現場のことは監督に任せる。巨人は球団がその役割を放棄しているように映る。“なんでも欲しがる”原監督の言いなりになっていては、本当の意味での常勝球団は復活しないと思いますね」
性懲りもなく繰り返す「つぎはぎ補強」でセの覇者には君臨できても、日本シリーズではパの覇者に手も足も出ない。ソフトバンクに2年連続の4連敗という現実が、原全権監督の限界を示している。
元の記事を確認していただければ分かるのだが、私がUPした翌日の記事である。もし、これが反対であれば盗用したのではないかと疑われるほど符合している。私はあの文章を書くために、「データ的にこうなっているはず」と予測を立てた上でいろいろと検索し、得られた情報を元に自分なりに意見を組み立ててまとめあげた。どれだけ少なく見積もっても私はあの文章を書き上げるのに5時間以上を要した。一方で、あの記事を読めばたったの5分で済む。
情報が氾濫している時代にそれとどのように付き合っていくか、ということや、情報をどのように活用していくか、ということがしばしば語られる。だが、そのような向き合い方では情報は何も与えてくれない。どうインプットするかではなく、アウトプットするためにはどのようなものをインプットする必要があるか、という姿勢こそが必要なのだ。作文に掛けた時間は裏切らない。私はそう信じている。