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2021.01.05Vol.477 初アイデア

 春先にコロナのことばかり書いていたこともあり自粛していた。コロナだけに。書かないだけであって、当然のことながらよく考えもするし、特に意見作文に取り組んでいる中高生とはそのことに関して話をすることは少なくない。そのときに気を付けているのは、私の意見とその理由をセットにして伝えることだ。後は、生徒各人がそれを元にして自由に考えてくれればいい。たとえば、Go toキャンペーンに関して。「いろいろな批判はあるが、そのすべてが悪いわけではなくGo to Eatが良くない、というのが俺の考え。こういうことについて考える時、全体をボヤっと捉えるのではなく、それぞれの要素について吟味をしていかないとアカン。旅行は家族であったり親友であったりと基本的に近しい間柄の人と行くので、日常的に接する機会が多い。一方で、食事というのは、折角安くで飲めるんやったら集まろか、となり、そういうことがなければ会うことのなかった人との接触の機会も増えてしまう」。また、Go to Eatは錬金術も問題になった。代替案を出すとなるとどうなるか。Go to Travelは最大50%オフとなっており、その内訳は旅行代金(宿泊、交通費)35%と地域共通クーポン15%となっている。そのクーポンは電子と紙の2種類に分かれていて使える店自体が限定的であった。紙のクーポンに関しては、すべての飲食店(どこまでをそれに含むかの線引きは必要であろうが)で使用可能にすれば良かったのではないだろうか。そうすれば店側は事前の申請をする必要はなく、受け取ったクーポンを換金してもらうだけで済む。私のアイデアに対しては、旅行に行く人しか恩恵が受けられない、という批判もあるかもしれないが、Go toキャンペーンの目的は飲食業を含む観光産業全体を活性化せることだ。ある業者に10万円の直接給付をすればそれはすべて税金からとなるが、Go toであれば、その半額で済み、残りは旅行者自体が負担することになる。これに関しては、別の観点からも話をした。「『年末年始に医療がひっ迫するおそれがあるから、12月25日まではGo toキャンペーンを一時停止します』というのは訳が分からん。よくて高止まりであって急激に減ることはないんやから、もっと先まで伸ばさなアカン。」もちろん、停止期間が1月11日までに延長される前のやり取りである。やってみないと分からないことはあるが、やる前からかなりの確度で予測可能なことも多々ある。それにも関わらず「やってみないと分かりませんので」では、責任逃れ以外のなにものでもない。Go toキャンペーンについてではなく、一般的なことについて述べているのだ。
 もう少し我々と結びつきの強いことについて。「共通テストの試験会場で検温をしないということが(2020年10月15日の『大学入学共通テスト新型コロナウイルス感染症予防対策案』の中で)発表されたけど、あんなんメチャメチャ過ぎる。そこらへんの店ですら入り口でやってるのに、2日間も長時間同じ空間にいるのに。密を避けるために一部屋あたりの人数を減らすと、教室数がその分多くなり、それだけ関わる人(試験官など)が増える。それによってオペレーションで問題(時間通りにテストを開始できるように問題用紙を配布できないなど)を抱える可能性が高くなる。俺は延期するべきやと言い続けて来たけど、これで予定通り行われることは決まってしまった」。首都圏の1都3県を対象に緊急事態宣言が再発令される。文科省はそのような状況下でも共通テストを行うことを改めて明言した。それに対して「今年の受験生は共通テストに変わることで振り回された上に、直前で延期になるなんてかわいそ過ぎるのでそのままやらせてあげて欲しい」といったようにその判断を支持する声の方が多いはずだ。それはそうだ。このタイミングで延期というのはありえない。試験実施の3か月前にあたる10月15日がタイムリミットだったのだ。センター試験のままで良かったのに共通テストに変更したのも、予定通り実施するという判断をしたのも文科省なのだ。詰め込み教育からゆとり教育へと180度舵を切って失敗した。なぜ、現行の良い点を生かしながら、悪い点にピンポイントで対策をするということができないのか。我々の時はなかったが、英語の試験にはリスニング試験が加わった。そうやって少しずつ改善して行けば、大きな混乱も起こらなかったはずなのだ。なぜ丁寧なマイナーチェンジを繰り返さないのか私には不思議でならない。
 今年も一年、自分の頭で考えたことを生徒たちに話し、また、この『志高く』で読んでいただく。何か立派な考えを提示できるわけでなければ、私が考えていることが正しいわけでもない。ただ、私の考えに接することで、その人の中である事柄に対する思考が前に進むきっかけになったのであれば、それはとても喜ばしいことである。だから、私は批判をされるにしても、「あいつの考え嫌い」で終わるようなものではなく、「あいつの考えのこういうところが、これこれこういう理由で間違えている」と指摘してもらえるようなものを提供して行かなければならない。
 わざわざ読んで良かったと思っていただけるようなアイデアを発信できるよう、「発アイデア」の精神でこのブログと向き合って行きます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

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