
2020.11.03Vol.469 頭を垂れようとする必要なんてない
ビートたけしと辛坊治郎が好きだ。最近はほとんどテレビを見ないのでビートたけしの近況は知らないが、辛坊治郎に関しては、この夏から始まった『辛坊治郎ズーム そこまで言うか!』を放送がある月から木までの4日間、毎日ポッドキャストで聞いている。2人に共通しているのは、しょっちゅうくだらない話をする、ということ。世間一般でどうかは知らないが、私の中では「くだらない」と「つまらない」は似て非なるもだ。だが、「どっちだったけ?」となる。確か「くだらない」の方を肯定的な意味で用いてきた気はするのだが、もしかして逆だったか、となることがあるからだ。この文章をきっかけにして、今後はその使い分けを明確にする。作文にはこのような効用がある。言語化することで、自分の中にあったあいまいなものが明瞭になり、それが頭や心に刻まれる。それ以外にも、私はこのブログで勝手にいろいろと宣言し、「言ったからにはやらないと」と意志の弱い自分を叱咤することにも利用している。生徒の意見作文も同様である。彼らの頭の整理に役立つことはもちろんのこと、内容によっては「書いて終わりじゃなくて、ちゃんと実践しいや」と声掛けをする。自分で書いてるとき、生徒のものを添削しているとき、ふとした瞬間にしみじみと「やっぱ、作文っていいよな」となる。夏ぐらいに言及したダイエット。4kg落とす予定(あれ5kgだったかな)で一度は4kgぐらいまで行ったのに2kgぐらいに逆戻りして、その辺りをうろちょろしてる。あのとき成績に例えた気がするのだが、正しくそれと同じ。頑張れば4, 5kgぐらいなら行けるが、努力するのも大変だからこれぐらいでいいいか、となっている自分がいる。結果は出せていないのだが、毎朝体重計に乗りながら「言ったからには」となっていること、ファイティングポーズを今なお取り続けていることだけは報告しておく。
話を戻す。「くだらない話」と「つまらない話」。いずれもどうでもいい内容なのだが、前者にはユーモアがある。「くだらねぇ」と突っ込みながら笑っている記憶はあるが、一方「つまらねぇ」でそういうことは一度もない。無意識レベルで使い分けていたことに今気づいた。2人を好きなのは、私も同様にくだらない話を好んでするからに他ならない。真にくだらないものは、聞き手も話し手も楽しい気分になる。また、私がくだらない話をするのは、それをしようと思えば、それと同等に、それ以上にきちんとした話ができなければいけないからと言うのもある。くだらない話をしても許される人でありたいのだ。子供の頃は空気も読めず、ずっとふざけていたのでよく怒られた。大人になるにしたがってそういうことは自ずと減っていくのだが、悪あがきしてそれに抵抗したせいで他の人よりもそういう部分が残された。それが、いつまでたっても子供だと言われる所以かもしれない。
先週、海外にいる高3の元生徒から「先生と久しぶりに話がしたいです」とラインが来た。連絡すると、今考えていること、そのための将来の大学選びなどに関する相談であった。細かい内容はオープンにしないが、若者にありがちな「海外は良い、日本はダメ」という考え方に陥っていた。日本の良くない部分を変えたい、ということだったので「それであれば日本を全否定するところから始めるのではなく、今の日本を受け入れた上で、海外の良さをどうしたら加味できるか、という方向性で考えた方がいいんじゃない」というアドバイスをした。それに対しては「確かにそうですね」と納得していた。壮大な夢を語っていたので「そういうことを考えられるのは若者の特権なので、誰かに否定されようが気にすることはない。今思い描いていることを必ずしもやり続けなくてもいいが、現実を知って明らかにスケールダウンした、と思われないようにしいや。俺に刺激を与えるためにも頑張れ」と付け加えた。そして、もう少し具体的になったらまた教えてくれ、と伝えて電話を切った。こういう風に連絡をしてくれるのは私にとってとても嬉しいことである。18歳が43歳に相談するというのは中々無いのではないだろうか。そして、それは先の2つのことと無関係ではないはずだ。くだらない話をすることと、それなりにきちんと返答することの2つだ。前者だけであれば相談したところで何も得られないし、後者だけだと声を掛けるのに躊躇するはずなのだ。
初めて面談を行ったのは2007年の秋なので13年前になる。そのときは、私と話すためにわざわざ時間を作ってまで来てくださる親御様はいるのだろうか、と思いながら、生徒のファイルに挟まった個人面談の希望調査票を確認していた気がする。あのとき、希望してくださる方がいることのありがたみをいつまでも忘れないようにしよう、と心に誓った。元来が傲慢な性格だからだ。今になって、そんな誓いなどどうでもいいよな、となっている自分がいる。当時と比べて、希望される方も増え、それなりに大事なことの相談も受けるようになった。実った稲穂は頭を垂れようとはしない。自然とそうなるのだ。誰かに頼られる喜びが増した分だけ私の頭の位置は少しずつ少しずつ低くなっていっている。