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2020.10.20Vol.467 心のゆらゆら

 遡ること約半年、翌日からのGW期間の1週間の休みを控えた土曜日の午後、突如としてオットマン付きのリクライニングチェアが欲しくなった。読書をする際、いつもはちゃんと座るか完全に寝転がるかのどちらかであるため、長時間集中するためにその中間の姿勢がいいだろうと考えてのことである。家具屋を2、3巡ったものの高かったり在庫がなかったり、で諦めることに。結果的にコーナンで安価な座椅子を手に入れて、それをベッドの上に置いて使うことにした。当時は外出自粛期間中であり、近くの公園で子供と体を動かすことぐらいしかできなかったので、それならば、と気合を入れて長編に挑むことにした。春休みに真田家ゆかりの群馬県の岩櫃(いわびつ)城や沼田城を訪れたこともあり、池波正太郎著『真田太平記』を選んだ。文庫本で12冊。その1週間で5冊程度読めれば遅くとも7月中には読破できるな、となった。情けないことに、その期間に2冊と少しぐらいしか読めず、つい先日ようやく7冊目に入ったので遅れに遅れている。
 話は変わる。開校1年目から10年以上のお付き合いのお母様がおられる。人としても親としても先輩であり、今も勉強させていただいている。文章も上手なため、ここでも過去に2度ほど原文のまま紹介させていただいた。前回「起き上がりこぼし」の話をしたが、私の立ち位置は、そのようなお母様たちとのやり取りを通して微調整しながら「よし、ここにしよう」と決められた。私の良い部分も悪い部分もよくご存じのそのお母様から最近いただいた手紙に次のように書かれていた。
「先生は、エスケープをよくしていました、とおっしゃっていましたが、それは先生の潜在意識がご自身を守るために、そしていつか、持って生まれた役割を果たす力をたくわえるために命じたことかもしれないです」
 小学校時代、保健室の先生の目を盗んで水銀体温計をズボンでこすり、上がりすぎた温度を下げるために振って37.3度ぐらいまで落とし、しんどそうな顔を作りながら早退していたのも、中学校時代、「先生、目が痛いので目薬さしてきます」と言って教室を飛び出し、そのまま保健室の先生と話し込んで授業が終わるまで帰らなかったのも、高校時代、天気の良い日に淀川の河川敷まで行って一人優雅にお昼を楽しんでいたのも、誰がどう見ても単なるさぼりである。ただ、それを上のように評価していただけると、少しは頑張らないとな、という前向きな気分になれる。
 1年を通して事務作業が一番多くなるのは夏期講習の時間割を組むときである。正確にはその時だけでそれ以外は大したことはない。夏期講習直前は、複数の親御様から「そろそろ決まりましたでしょうか?」とつつかれながらも「もう少し待ってください」を繰り返し、ぎりぎりになって確定させるということが恒例になっている。ただ、今年はコロナの影響で6月にもっと大きな波が来た。学校や進学塾は翌週の予定すら決まらない状態であったため、それに伴い生徒の時間が何度も変更になった。密を避けるために、ただ空いているところに入れれば良いということでもなかったため、あの1, 2か月はずっと時間割とにらめっこをしていた気がする。もちろん、教室内でコロナが出たときにはどのように対処するのか、というのもずっと考え続けていた。先が見えない中で「自分だけではなくみんな大変なんだ」ということは頭では分かっていたものの、自分の心に潤いが無くなってきている、というのがあった。
 手抜きの性分なので、常に全力投球することはできない。その代わりに、セーブしたエネルギーを勝負所につぎ込み望むべく結果を出せるような人でありたい、というのは10代の頃には意識していたような気がする。そのためには、勝負所を見極める力とそこで実力を発揮する力の両方が必要になる。そして、そのためには心がきちんと動く状態になっている必要があるのだ。心は「がちがち」になっていても、反対に「ぐらぐら」していてもだめなのだ。
 私の場合、本が一つのバロメーターになる。ペースが落ちているとき、推理小説などを欲するときは余裕がなくなっている。あるお母様から春先に『13歳からのアート思考』を薦めていただきお借りしたのだが、『真田太平記』を読み終えてからと意固地になっていたせいで、ずっと手付かずのままになっていた。このままだと1年経っても返せそうにない、となり1か月ほど前に手を付けると、面白くて一気に読み終えた。その1冊を挟んだおかげで、肝心の『真田太平記』のペースも少し上がり、積んであったままの小説も同時並行で読もうという気になった。拘ることと他の方法を探ることの見極めはこの歳になっても難しい。
 先のお母様の手紙にあった「持って生まれた役割」。自分の心を甘やかし続けて来た私だからできること。それは、生徒たちの心が大事なときにちゃんと動くように、動きが悪くなったときにそれを鋭く感知し、親御様と話し合いしかるべき手を打つこと。傍から見ると大したことではないが、悪くない程度に重要なことだと思う。そして、もし、その役割をそれなりに果たせたのであれば、私自身、悪くない程度に満足できるはずである。

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