
2020.10.06Vol.465 チェック項目
30直前で志高塾を始めたとき、40になったら新たに別のビジネスをする、と心に決めていた。結果的には、アイデアもお金もなく先延ばしにした。どちらかだけならまだしも、両方無いのは情けない話である。10年もやれば答えのある勉強なんてちゃんと教えられて当たり前で、そんなレベルの仕事をしているだけで子供に偉そうに言う人にはなりたくない。そうならないためには新しいことにチャレンジしなければいけない。29の私はそう考えていた。志高塾と並行しながら、あくまでも志高塾が中心なので、そこで得たものを生徒たちに還元したいというのが自分の中にあった。未だにちゃんと教えられないので偉そうになれるはずもなく、少しずつでも教育における自身の伸び代を減らそうと格闘中である。それが13年後の現在地である。
40が見えていた頃なので4, 5年前の話になる。ある採用関連会社の経営者といわゆるサシ飲みをした。参加者(私)が2人分の飲食代を払えば、3, 4時間一緒に話ができるというプログラムに応募してのことである。そのときのことはブログに書いた。私は20代前半から、彼の10冊前後の著書はもちろんのこと毎週のメルマガも欠かさず読んでいた。新規事業のアイデアを見つけるきっかけが欲しくて東京まで会いに行った。アイデアを提供して欲しかったのではなく、やり取りする中で、自分の中に眠っている発想の種みたいなものを見つけたかったのだ。それなりに楽しかったのだが、期待していたようなものではなかった。当時のブログはもう少しポジティブなトーンのはずである。彼が大阪で関わっていたビジネスに加わらないかと声を掛けてもらい嬉しかったことなどが影響している。その1年後ぐらいにメルマガの登録を解除した。私の中での賞味期限が切れたのだ。私のことを知らないブログを読んでくださっている誰かと何かのきっかけで会うことがあれば、直接話した方が断然面白い、と思われるような人でありたい。話を戻す。会話の中で、本の活用の仕方の話になった。私は「エッセンスを吸収する」というようなことを伝えた。その「エッセンス」という言葉が「具体的な方法論」と受け取られてしまったのが私には理解できた。だが、当時の私はそれを訂正することをしなかった。誤解を解こうとしなかったことも、なぜあそこで「エッセンス」という言葉を選択したのかも不明である。辞書に「本質的なもの。最も大切な要素。精髄」とある。私は具体的な方法論の根底にある考え方、その底流にある価値観などに興味がある。さて、今回は私が言うところの「エッセンス」について、伊藤祐靖著『国のために死ねるか~自衛隊「特殊部隊」創設者の思想と行動』を例に取って説明していきたい。小説『邦人奪還』が面白かったので2冊目に手を伸ばした。ここからは本文の内容を示して、それに対する自分の考えを述べて行く形式を取る。
・この能力を発揮できるか否かは、教育・訓練で伸ばせる部分もあるが、最終的には素養だ。私は心理学に通じていないが、その素養とは、ありのままの自分を晒せるか晒せないかだと思っている。こう思われたら嫌だ、とか、こう思われないように何かをする、という姿勢ではなく、他人の目に映る自分を一切演じない姿勢がどうしても必要だ。(中略)実は、以前から薄々気づいていたのだが、素養のない者が何に弱いのかが判って来たのだ。彼らは自分が信じることができないのだ。
素の自分をさらけ出す勇気などない。すべては無理だが、負の面を少しでも見せられれば、これを露呈し続けるわけにはいかない、改善しよう、という力が働く。時に、私は自信家だと勘違いされる。親御様から意見を求められれた際、分からないことには「分かりません」と答えるが、そうでなければ最善の提案をできるように心がける。それで終わりではなく、きちんと結果が出るところまで責任を持つ。もし、私が自信を持てなければ、親御様や生徒の中に余計な迷いを生じさせる原因を作ることになってしまう。自分を信じられなければ人に迷惑をかけてしまうので、信じられるように考え、行動しなければならない。それによって、自信があるように映ることがあるのだろう。
・ある日、私が「寝技の訓練をバドミントンコートで行う」と言ったら、ラレインが猛反発してきた。
「何で、こんなところでグラウンド(寝技)をするの?日本人は、バドミントンコートで戦争するの?」
「そうじゃないけど」
「だったら戦う場所でやりましょう。あなたが戦うのは、船の上?ならば、もっと狭いところでしょ。海岸?砂も岩もあるわよ。市街地?ビンも棒も転がってるわよね」
(実力)×(実力発揮度)=(結果)
私は長時間勉強できなかったこともあり、足りない実力を本番の強さで補わなければいけなかった。浪人生の頃、いつもはふざけまくっていたが、京大模試のときだけは休憩時間に友達と話したりせずにあえて緊張状態に身を置くようにしていた。教室で生徒たちに過去問を解かせるとき、3分の時間を置かせている。50分のテストであれば、ストップウォッチを53分に設定して50分になったら開始させるのだ。その3分間で気持ちを落ち着け、何に気を付けるかなどを考えるように、と伝えている。小学生がその時間を有効に使うのは容易ではないが、そこに意味を持たせた分だけ、本番で力を発揮できるはずなのだ。
・「でもな、俺たち黒人は、権利をプラカードに書いてデモしたわけじゃない。バスケットだって、野球だって、『やらせてくれ』って言ったんじゃない。白人が、『やってみるか?』と言った時に凄い成績を残してきたんだ。『認めてくれ』なんて言ったんじゃなくて、認めざるを得ない結果を積み重ねてきたんだ。差別をひっくり返すにはこれしかない。主張じゃない、要求じゃない、認めざるを得ない結果なんだ」
この2, 3年は生徒が増えているが、最初の10年は思ったように行かなかった。生徒集めの何かうまい方法はないかな、という邪念が湧き起こるたびに「今いる生徒に良い授業をするんだ」と思い直していた気がする。細かい要因分析をしていないので確かなことは分からないのだが、中学生になってからも通い続けてくれる生徒が増えたことが大きく寄与していることは間違いない。実際、中高生の人数は5年前に比べて約60%増しである。生徒が増えているというのは、それだけ親御様から「やってみるか?」のチャンスをいただけているということである。
まとめに入る。20代の頃の読書は、知識を増やそう、世界を広げよう、という目的意識が強かった。もちろん、今も分かった気にならずに新しいことを吸収しようとする姿勢は大事にしなければならないのだが、昔に比べると闇雲にそのようなものを追い求めることはなくなった。自分がやってきたこと、やっていることの是非を1つずつ点検しながら、未来のためにどのような微調整をする必要があるのかを考えるきっかけにしているような気がする。