
2020.07.28Vol.456 宗旨替え ~恐怖との闘い~
時計の針は7月28日(火)のA.M.5:56を指している。早朝の父塾2日目。あるお母様が、子供に勉強を教えるのを確か「母塾」と呼んでいたのでそれに倣ってみた。生徒は、6年生の長男と4年生の二男。この2人は私が強制的に入塾させた。そして、今朝は体験授業の生徒が1人。もちろん、2年生の三男である。昨晩、「僕も教えて欲しい」と言うので、「自分で起きて、続けられそうだ、となったらお願いしなさい。その代わり、一度やると決めたら『今日はやっぱり眠たいからやめる』」は絶対に認めない」と伝えた。「僕も」という気にさせようとして、仲間外れにしたわけではない。二年生なのでそもそもやること自体ないのだ。ベッドを覗きに行くと、アラームをセットした携帯のストラップを首から掛けてスヤスヤと寝ていた。危ないので取り外したが、起きるぞ、という意思は伝わってきた。
宗旨替え。志高塾を始めるまで私はこの言葉の意味を知らなかったどころか、恥ずかしながら「しゅうしがえ」と読むことすらできなかった。「方針転換」でも、同じような内容は伝えられるのだが、それではしっくりこない。ぴったりの表現を見つけたときは中々の快感である。逆にそうでないときは、この時期のじめじめとした天気のようにどこかすっきりとせずに、文章自体も思ったように展開して行ってくれない。今回に関しては、2,3日前にこのタイトルを決定した時点で「書ける!」となっていた。逆に「やばいかもしれない」という予感がするときは、いくつかアイデアを考えておくのだが、どれもものにならないということが往々にしてある。話は変わるが、私が意外と気遣いのできる男だと気づいていただけただろうか。さりげなく「宗旨替え」の読み方と意味を示しているのだ。しょうもない話はさておき、志高塾開校後の10数年で私の言葉のストックはそれ以前に比べて随分と厚みを増した。そして、幸か不幸かまだまだ余地が残されている。それは経験を積んで思考がコチコチになるというマイナスを補って余りあるほどの柔軟性を私が獲得する可能性が大いにあることを示している。
これまでも何度か述べて来たが、我が子に勉強を教えないようにしてきた。教育関連の仕事に従事していなければクイズ感覚で一緒に解くことを楽しんだかもしれない。それでも限定的であったはずである。そして、実際にはその業界に身を置いている。自分で気づけた、と感じるチャンスを私が奪い取ってしまうかもしれない、ということが怖くて怖くてしょうがないのだ。些細なことであっても、自分の頭で考えて、実践して、ということを繰り返してきたつもりである。中学受験での失敗や就活に始まり20代の社会人生活での挫折がその後のエネルギーとなっている。もちろん、失敗するよりは成功した方が良い。ただ、中身が重要なのだ。いい加減にやっていれば失敗しても得るものがないし、何となくの成功もその後にはつながらない。私自身の経験は、志高塾の生徒にもプラスに働く。合格しさえすれば良いとは考えないからだ。生徒に対しては、受験勉強を通して、いかにその後につながるものを身に付けさせてあげられるか、つまり中身のある成功体験をさせてあげるかということが重要なのだ。我が子に対しては、せめて良い失敗をしてくれることを願っている。父塾を開校した理由は、このままだとそれすらもままならない、と考えたからだ。我が子に対しては、転ばぬ先の杖はもってのほかで、転んだ後に自分で杖を見つけて立ち上がってくれればそれでいい。立ち上がりたい、そのために自分で杖を見つけなきゃ、と思える人に育てたいのだ。
件の父塾は、2020年の夏限定で志高塾の夏期講習期間中の5週間、毎朝毎朝6:00~7:00までの1時間だけ開校される。そして、月から金の5日間のうち4日実施すればその週は塾じまいになる。蕎麦屋の「蕎麦が無くなり次第終了」のように。こういう計画の立て方も自らの性に合うように身に付けたものである。無理な予定を立てて「またできなかった」となるよりは、少し余裕を持たせておいて、気が向けばもう1日やる。そうすれば、「計画以上に進んだ」という喜びが得られるからだ。
父塾のせいで志高塾の質が落ちたと言われないようにしなきゃ。