
2020.07.21Vol.455 借り借り
「このからあげ、外はカリカリなのに中はジューシーでおいしいね」のカリカリではなく、「そんなことぐらいでカリカリしたらアカンで」のそれでもなく、「貸し借り」の「貸し」を「借り」に置き換えて発音するのが正しい。
社会に出て確か2年目の頃、飲みの席でそれなりのポジションの人と真剣に話している最中に「まだ若いから君には分かんないよ」みたいなことを言われて、腹を立てたのを鮮明に覚えている。年を重ねればそれなりの経験があるのが当たり前で、そんなものは何も威張るようなことではない。経験を積めば「これってこういう感じかな」と効率よくポイントを絞り込める反面、「これってこう」の外にある可能性を知らず知らずのうちに排除してしまっていることは少なくない。そのガラクタの山の中からきらりと光るものを見つけ出せるのは経験が浅いからこそできる業である。今振り返ってみると、その発言自体が許せなかったのではなく、その人自体がつまらなかったのだろう。同じ発言でも魅力的な人のものであれば、「おっしゃる通りです。分からないからいろいろ教えてください」となったはずである。その人は現在の私と同じぐらいの年齢であったはずなので、自戒の念も込めている。
大学生の頃、建築っぽいことに関して研究らしきことをしていた。その内容は、大規模工事に関わる業者選定をどのように行えば効率的になるか、というものであった。「『俺は分かっている』と教授は頭がカチコチになっているだろうから、斬新なアイデアを出して驚かせてやる」と意気込んでいた。仮にAという業者がある仕事を請け負った場合、マンパワーが足りないなどの理由から一部をBに回す。別の機会にそのお返しとして、今度はBがAに仕事を融通する。そうすることで、去年は受注できたけど今年はまったくだめというようなことが起きづらいので、浮き沈みが小さくなるのだ。そうなると、人を安定的に雇うことが可能になる。若造は、俺やったら2つの工事共に自分のところだけで賄える態勢を整えて浮き続けてやるのに、と考えていた。読解問題で「『若造は、俺やったら・・・』の『若造は』は誰のことを指していますか。」と問われれば、もちろん「大学生の頃の筆者」が正解である。
ここから話は核心に迫っていく。夏期講習期間中の決定した時間をお伝えすると、あるお母様から「すべて第一希望の時間で調整していただきありがとうございます」というようなメールをいただいた。多くのことがそうであるように、これにも種(もしくは仕掛け)がある。そのお母様は、私が時間割を組みやすいように、第一希望の時間を4つも挙げていただいた上に(ちなみに、第二、三希望もたくさん記入していただいていた)「私のところはどうにでもなるので他のお子様を優先させてあげてください」というコメントまで付けていただいていたのだ。
大学生の頃、極めて日本的な、業者間の「貸し借り」という考えが好きではなかった。そんなものより、契約で決まる欧米型の分かりやすさを好んだ。数十年の時を経て、私は「貸し借り」の先にある「借り借り」という考え方に至った。これには2つの意味がある。1つ目は、当事者双方が「借りがある」と考えるというもの。2つ目は、自分には「借り」が2つあるので、1つ返しても、まだもう1つ借りが残っているというもの。こういうことって、私みたいな勝手な人が「気を付けろよ。気抜いてたら悪い癖が出るぞ」と自分なりに慎重に歩を進めているうちに「あれ、もしかしてこういうこと」とたどり着ける境地であるような気がする。まともな人は無意識のうちにできてしまうことなのだろう。
親御様にしてもらって嬉しいことは、テーマとしては意外と扱いづらい。上のようなお母様の例を挙げることで、ともすれば、そうでない親御様を暗に批判していると誤解されかねないからだ。もちろん、そんなことはない。夏期講習に関して「この曜日のこの時間しか無理です」と限定されれば、「忙しい中通ってくれてるんだ」となり、高校受験生はこの夏休み、学校と塾のスケジュールがパンパン過ぎて何人か休塾になったが、「うちに来てる場合じゃないよな」と心から納得する。
長男の学校の宿題で、親の仕事についてインタビューする、というのがあった。質問項目の1つに「仕事をしていて大変なことは何か?」という典型的なものが用意されていた。「ない」と正直に答えた。それは「借り借り」の上に親御様との人間関係を築けているからだと勝手に思い込んでいる。夏期講習の日程を決められずに、未だに10人ぐらいの親御様には待っていただいている。2つ目の意味に当てはめると、もう1つ増えて「借り借り借り」となる。1つずつきちんと返していきますので、そちらに関してもお待ちください。