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2018.07.31Vol.360 出川哲朗と山崎方正改め月亭方正

 昨春、小学校のPTA会長として総会であいさつをした。例年持ち時間2分のところを事前に3分に変更してもらった。そして、その倍以上の6分と少しも話した。なぜか。笑いを取りに行って、リアクションを待っていたらそれが無かったから。山登りをして、向かいの山にヤッホーと叫び、耳の後ろに手を当てて山彦を期待したが全く聞こえず、何度か声の出し方を変えるなどして試したものの結果は同じ。ようやく「あっ、ここでは無理なんだ」と気づいたようなものである。散々な結果だったと伝え聞いた私の友人が、私のことを知っているあるお母さんにそのことを嬉しそうに報告すると「あの人は滑り芸だから」というような返答があったらしい。「幼稚園の会長をしてたときからそうだった」と。おかしい。あの頃は確かな手ごたえを感じていたのだが。
 私が20代であった頃、滑り芸の二大巨匠と言えば、出川哲朗と山崎方正であった。タイトル、冒頭の文章。こんな分かりやすい話の転じ方はない。「転じる」で私が思い浮かべるのは『天声人語』である。本題に入る前に、それについて少し述べてみる。
 『天声人語』の要約などをさせる国語の先生は、それだけで「アカンな。安易すぎる」となる。朝日新聞のCMでも、入試でそれが使われていることをアピールしているが、そのこととそれがテキストとして優れているかは別の話である。確か、あれは2、3人が担当をしている。字数や段落分けの仕方なども決まっている上に、旬の話題を扱わなければならず、かつ話をうまく転じられるかにかなりの力点が置かれている。当然時間にも追われる。それらの制約がある中で「これはうまくまとまった」と筆者自身が納得できるのは、おそらく5回に1回ぐらいしかないのではないか。それゆえ、先生自体が選りすぐってさせるのならまだしも、たとえば、その日の朝刊の分を毎日写す、もしくは要約させる、ということを義務付けていたり、市販のものをただ与えるだけであったり、というのはやり方としてひどすぎる。もし、先生が1か月分の中から3つぐらいをピックアップして、それらを選んだ理由を説明できるのであれば、それなりの効果は期待できるかもしれない。
 話を戻す。今回、これを話題にすることにしたのは、ネットニュースで月亭方正の記事を読んだから。要約すると、次のようになる。
 「滑り芸」や「いじめられ芸」などと言われ人気が上昇し、給料も上がったものの、周りの人に助けられているだけという感覚があり、常に不安にかられていた。夜、枕を濡らしたり、枕に向かって叫ぶことがあったりするほど精神的に不安定だった。ある日、落語に出会い、大人になってから初めて打ち込めるものを見つけられた。初めて上がった舞台で終わった後に巻き上がった拍手は今も忘れられない。昔は暇があれば飲みに行っていたが、今は空いている時間のすべてを落語に費やしている。
 何を書きたくて、これを選んだのかは自分でもよく分からない。でも、何だかいろいろなことを思った。「あれは10年前のことだったのか」「訳の分からんことを始めたな、どうせすぐやめんねやろな、とあのときは思ってたけど、本当はこんな思いを抱えてたのか」「こういうことって、ある程度の年数が経って、ある程度の結果を残して初めて少しぐらいは語ろうと思うもんなんやろな」などなど。抱かれたくない芸人で常に上位にいた出川哲朗も今やテレビ、CMで引っ張りだこである。時を経て、2人がそれぞれの道で人気が出ているのは興味深い。
 評価は人がするもの。それはそうなのだろう。でも、人が評価してくれても自分が納得いかないこともあれば、その逆もある。人はやめろと言うが、この道を行った先に、自らの求めるものがあるという確信。自分だけの、自分らしいものさし。自分のものだからと言って都合よく変えない客観的な指標。そういうものがあれば、5年先、10年先に結果は出てくる。
 なんだかんだと書いてきたが、記事にあった最後の一文「50人集めるのがやっとだった観客も、独演会で800席を満席にするほどの人気となっている」に魅かれ、志高塾もそんな風にならんかなぁ、という願望を持ったのが、このテーマを選んだ最大の理由なのかもしれない。

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