
2018.06.19Vol.354 自信満々が生む不安
入塾して2か月ほどの小6の受験生のお父様との面談で「うちの嫁が、先生が自信満々すぎて逆に不安になる、と言ってます」と告げられた。「えっ、そうなんですか。じゃあ、今日は自信なさそうでした、とお伝えください」と返したら「それも困ります」とのこと。そのお母様とは問い合わせの電話をいただいた際に話したきりである。そのとき「今からでも間に合いますか」というようなことを尋ねられ、確か「自分の目で見てないので、何とも言えません」というような答えをした。だから、私が何かを確約したわけではない。別に自信があるわけではない。かと言って、自信が無いわけでもない。自分の感覚を信じている、というのが一番近い。正確には、自分の“今”の感覚である。それは不変ではない。過去の経験を踏まえて微調整を繰り返している。もし、私自身が、自分の“今”の感覚を頼れなければ、私は何を拠り所にすればいいのだろうか。
この春、灘に入学した生徒のお母様には、6年生の5月の時点で「今、受験を迎えても合格します」と話していた。合格点より70点ぐらい高い点数で合格しているので、私の予想はおそらく正しかったはずである。開校1年目に3年生であった男の子は、国語も算数も見た上で、出会ってから半年もしないうちに「私より断然賢いので、甲陽、医学部以外であれば東大、京大でも余裕です」とお母様に話した。実際、大して勉強せずに甲陽に合格した。しかし、京大は不合格になり、現役で慶応に行った。京大模試ではA判定を取っていたとのことだったので、私の見立てはそれほど外れてはいなかった。この2つの事実は何を表しているか。私は余計なことを言う、ということである。言質を取られないように、差し障りのないことばかりを並べ立てるわけではない。単純に私がそういう人が好きではないからだ。何かを聞いたときに、それがマニュアルで決まっているからであろう、とりあえず「何とも言えません」というような答えが返ってくることが少なくない。後から「前に~と言っていたのに違うじゃないか!」というクレームが怖いのだ。頭では分かる。だが、心がそれを許さない。先方は、私の現時点での見解を知りたいのだ。上でも述べたように、私も「分からない」と返答することはある。しかし、それはそのように断ることを決めてのことではない。しかるべき判断材料が揃った時点で、私なりの答えを出す。
この3月、慶応高校のニューヨーク校を受験して合格した中3の生徒がいる。1月ぐらいに「先生、よろしくお願いします」と依頼され、2か月で準備をした。国語と数学の2教科を指導した。この件、親御様は我々に実績がないことを百も承知の上で託されているのだ。ネットからプリントアウトした過去問をドサッと渡された。解答はなかった。合格点も公表されていない。五里霧中とは正にこのことだ。「やれるだけのことをやります」と約束した。そして、無事に合格した。ちなみに、彼女を約5年指導してきたこともあり、慶応が願書などの書類と合わせて提出を義務付けている「行動・性格評価書」を記入することを親御様から依頼された。詳しい内容は忘れてしまったが、「目標があれば努力できる人物である」、「周りの人と協調しながら物事を成し遂げられる」というような類の項目が10個ほどあり、それぞれを確か5段階で評価することが求められた。その書類には、必要であれば推薦文を添付してもいいと記されていた。推薦文の一段落目で私の素性を簡単に説明した二段落目で次のように述べた。
「行動・性格評価書」を前にして、少々大げさではありますが途方に暮れてしまいました。どこにどのように印をつけてもAという人間を適切に表現できそうになかったからです。貴校が重要視しているからこそあれらの項目が挙げられているにも関わらず、このような対応になってしまったことを先にお詫びします。
私は結局、どこにもチェックを付けずに出した。なお、途中以下のようなことも述べた。
実に様々な子供たちに接しているため、画一的な物差しで彼らを評価することなく、どうすれば社会でそれぞれがそれぞれらしく活躍できる人間になるのか、ということを念頭におきながら指導しています。彼女には、特に小学生の頃はかなり手を煩わされましたが、当時から「この子はおもしろい人間になる可能性を秘めている」と直感し、特長を伸ばすことを大事にしながら、一方で、それをより生かすためにもできないことを少しずつ減らそうと努めてきました。
私の推薦文に効果があったかどうかは分からない。ただ、チェックをつけなかったことはマイナスに働かなったのは、紛れもない事実である。過去、そのようなものが提出されたことはあるのだろうか。私は何も変わったことがしかったわけではない。時間を置いて、何度かそれと向き合ってみてもどうチェックをするべきか、何も湧き上がってこなかったのだ。その代わりに、心を込めて推薦文をしたためた。
もちろん、うまく行くことばかりではない。受験直前に進学塾から志望校を下げるように説得されてクラスも下げられるとのことで、それであれば、と最後の1か月半、そこには通わず志高塾一本にされた。やれるだけのことはやったが、うまく導いてあげられなかった。結果がすべて。ただ、その後も通い続けくれている。また頑張ろう、という気になる。
自分の“今”の感覚を信じているから、自信満々に映るのか。そうではない気がする。誰かが、自分に、自分達に何かを任そうとしてくれる。それを意気に感じて「やります」と受け止める。普通、その喜びが笑顔になって現れたりするのだろうが、私の場合、そのやる気が力んだ形で顔に出てしまう。もう少し涼やかな顔をしていたら、不安にさせずに済むのだろう。こんな顔でごめんなさい。
でも、よく考えたら、そのお母様は私と会ったことがないんだった。文章としてまとまったからよしとしよう。