
2か月前に始めた社員のブログ。それには主に2つの目的がありました。1つ目は、単純に文章力を上げること。そして、2つ目が社員それぞれの人となりを感じてとっていただくこと。それらは『志高く』と同様です。これまでXで投稿していたものをHPに掲載することにしました。このタイミングでタイトルを付けることになったこともあり、それにまつわる説明を以下で行ないます。
先の一文を読み、「行います」ではないのか、となった方もおられるかもしれませんが、「行ないます」も誤りではないのです。それと同様に、「おなじく」にも、「同じく」だけではなく「同く」も無いだろうかと淡い期待を抱いて調べたもののあっさりと打ち砕かれてしまいました。そのようなものが存在すれば韻を踏めることに加えて、字面にも統一感が出るからです。そして決めました。『志同く』とし、「こころざしおなじく」と読んでいただくことを。
「同じ」という言葉を用いていますが、「まったく同じ」ではありません。むしろ、「まったく同じ」であって欲しくはないのです。航海に例えると、船長である私は、目的地を明確に示さなければなりません。それを踏まえて船員たちはそれぞれの役割を果たすことになるのですが、想定外の事態が発生することがあります。そういうときに、臨機応変に対処できる船員たちであって欲しいというのが私の願いです。それが乗客である生徒や生徒の親御様を目的地まで心地良く運ぶことにつながるからです。『志同く』を通して、彼らが人間的に成長して行ってくれることを期待しています。
2023年12月
2025.04.11vol.54 証書(竹内)
速度や度合いに差はあれど、子どもは必ず成長する。学年が上がることも、背が伸びることもその一つだが、数字や見た目に限ったことでは無く、一緒に過ごすことで変化が見えてくる。職業柄、そういうシーンに多く立ち会えていることは私にとって財産である。近年は特にその感覚が強いのだが、背景に姪っ子の存在がある。この春から小学1年生で、特別支援学校に通う。21番目の染色体が通常2本のところ3本あるのが特徴のダウン症で、発達がとてもゆっくりしている。
教室休みの期間を利用し、4/4(金)から福岡へ向かった。姉は結婚後しばらく東京で暮らしていたが、旦那さんの仕事の都合で転居し、そこから約4年経過している。年末には西宮に帰省していたので、姪(と3歳の甥)の遊び相手としての務めを可能な限り果たした。その時点では話にも上がっていなかったのだが、その後急遽旦那さんが再び東京へと異動する運びとなった。それが決まったのが1月末で、その時点で福岡市内の学校への進学準備を整えていたこともあり、お父さんが単身赴任し姉たちは福岡に留まることになった。よりによって何で今なんだというバッドタイミング。少なくとも年内にその話が出ていれば東京で学校を探すことも検討できていたのだが、いかんせん時間が足りなさ過ぎた。ここは姉の踏ん張りどころである。とはいえ早速相当追い詰められているだろうなあと思っていたので、何かしらの力になれればという気持ちと、単純に可愛い子どもたちに会いたい気持ちで顔を出しに行った。結論としては想像通りだった。旦那さんの引っ越し直後というのもあるが、ご飯を作る、保育園の送り迎え、お風呂に入れる、寝かしつけ(2人ともまだそれが必要)、そこに細々とした掃除や洗濯、遊びにも連れて行ってあげる必要があるし、さらには姉自身が今は時短勤務だが仕事していることも相まって、片付けに手を回せる余裕がないようだった。何となくプライドのようなものがあるんだろうなという感じもして、「一人でもできるんだ」ということを示したいのだろうけれど、あいにく子どもの方はなかなかすぐには動いてくれないので、イラっとして母の方が手を出してしまう場面を見たのは一度や二度ではなかった。思い通りにはいかないこと、もっと待ってあげないといけないことは親自身が一番分かっているはずだから、前に前に進んでいく日々の中で焦ってしまう自分への嫌悪感や罪悪感にきっと襲われている。そう思うから、「手出すのはあかんやん」とどうしても口では言えなくて(母や他のきょうだいにはすぐに連絡してまた誰かがヘルプに入ろうという話し合いはしたが)、家事なり子どもたちの面倒を見るなりをとにかく代わりまくった。
ほんの数日間手伝うくらいで分かる苦悩ではないだろうし、「大変だけど可愛いよね」というのも当事者からすればきれいごとでしかないのかもしれない。卒園後についても、私やその他親族は通常の小学校で支援級にも属する形を取ることで、同じ保育園出身の子もいる分変化へのストレスが小さいのではないかと考えていた。しかし、年長児にもなると特に女の子にはおませな子もいて、手紙の交換をしたり、特定の話題で盛り上がったりということが多く、ついていけないことがしばしばだったようだ。ひらがなを読むことはできるのだが今はまだ線を引いたり円を描いたりすることを練習中の段階だし、言葉を上手く発音できず同世代には聞き取りづらいことがほとんどだったと思われるので、混ざれなくて寂しさを感じることは何度もあっただろう。私は姪だけを見ていて、集団の中の姪という視点がなかったので、そこには思い至っていなかった。先生方はもちろん、お友達も活動の時にはよく手助けしてくれていたようなのだが、通常級でクラスメイト達に迷惑をかけてしまうのではないかという心配や、否が応でも他の子と比べてしまうであろう姉の性分を考慮すると、この判断に至るのはごく自然なことだ。そこに合っているとか間違っているとかはなくて、その子が健やかに過ごしてくれることが一番である。
今回の福岡滞在で印象的だった場面をいくつか。毎朝7時前には起きてきて、私が休んでいる布団に潜ってきていた。取っ捕まえてはあと30分もうひと眠りさせていたのだが、ある日は「見てー」と卒園証書を持ってきたのだ。卒園したということを理解しているんだなというのが伝わってきて、さすがにはっきり目が覚め、証書の文章を改めて読み上げて手渡してあげると大変嬉しそうだった。月曜の昼過ぎに帰ったのだが、就学前でも利用できる放課後等デイサービスに行くことになっていたのでその見送りをした。直前まではかなり渋っていたのだが、いざ送迎バスが来るとスタッフの方にはわがままを言わずすっと乗り込み、小さいながらに耐えているんだなあとか、人様に迷惑をかけてはいけないという認識は完全に母親譲りだなあとか頭に浮かんできて、ぐっと込み上げてくるものがあった。お父さんが今はいないということも分かってはいるけれど、それがなぜなのかまでは理解が追い付いていないので、少し不安定なところはある。サポートを必要とする部分が同じ年の子と比べたときに多いのは否めないが、感じる力を確かに持っているし、心が豊かになっていることを実感できて喜ばしい。今回の他にも何回か保育園の送り迎えを手伝ったり、帰省した時も公園遊びに付き添ったりしていたが、乳母車から降りて自分で歩くようになってからは、道端で座り込んだり落ち葉を拾い集めたりしてなかなか前に進まない。それはそれは困るのだが、咲いている花を見て「かわいい~」なんてつぶやくその感性は絶対につぶしたくない。親が少し道に迷ってしまった時に、親ではない立場だからこそ拾ってあげられるものもある。
読解問題の指導をする際に、「必ず」や「絶対」といった文言が含まれている選択肢はかなりの確率で誤りであるという話をする。これはテクニック的なことでは無く、日常生活において「100%こうだ」と言い切れることはほとんどないという肌感覚から来るものである。もちろん、そのような言葉が使われているから違う、とすぐに切り捨てるのも正しくない。あくまでもそこでの主張はどうなっているのかという確認作業が欠かせない。この本文での「必ず伸びる」「絶対につぶしたくない」というのは経験からの断言と、決意表明である。
今日がちょうど支援学校の入学式だった。甥っ子は保育園に行き、父母娘の3人が笑顔の写真がLINEに届いていた。もうすでに卒園の証書はもらっているわけだが、改めてここで姪と姉の母子の人生の区切りを叔母として記録させてもらいたい。