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 2か月前に始めた社員のブログ。それには主に2つの目的がありました。1つ目は、単純に文章力を上げること。そして、2つ目が社員それぞれの人となりを感じてとっていただくこと。それらは『志高く』と同様です。これまでXで投稿していたものをHPに掲載することにしました。このタイミングでタイトルを付けることになったこともあり、それにまつわる説明を以下で行ないます。
 先の一文を読み、「行います」ではないのか、となった方もおられるかもしれませんが、「行ないます」も誤りではないのです。それと同様に、「おなじく」にも、「同じく」だけではなく「同く」も無いだろうかと淡い期待を抱いて調べたもののあっさりと打ち砕かれてしまいました。そのようなものが存在すれば韻を踏めることに加えて、字面にも統一感が出るからです。そして決めました。『志同く』とし、「こころざしおなじく」と読んでいただくことを。
 「同じ」という言葉を用いていますが、「まったく同じ」ではありません。むしろ、「まったく同じ」であって欲しくはないのです。航海に例えると、船長である私は、目的地を明確に示さなければなりません。それを踏まえて船員たちはそれぞれの役割を果たすことになるのですが、想定外の事態が発生することがあります。そういうときに、臨機応変に対処できる船員たちであって欲しいというのが私の願いです。それが乗客である生徒や生徒の親御様を目的地まで心地良く運ぶことにつながるからです。『志同く』を通して、彼らが人間的に成長して行ってくれることを期待しています。

2023年12月

2025.03.14Vol.52 情報の網目(三浦)

 まず、前回に載せた三題囃についてから。少しおさらいすると、三題噺とはもとは落語の形態のひとつで、「適当な言葉・題目の3つを折り込んで即興で演じる」ものである。落語だけでなく小説の練習などとしても扱われ、前回の私の作文では、コバルト文庫が出していた「バカンス」「コップ」「絶体絶命」というお題を拝借し、それをテーマにしてChat-GPTに書いてもらった。書いてもらうだけ書いてもらって、肝心の自分の文章を載せるのを渋るという情けない状況だったので、改めて自分なりに書き直した。それが以下のものである。

 波間にひとつの島がある。
 透明なその島は波を受けては揺れ、涼し気な空気を運んでくる。彼はその島の上で遠くの景色を眺め、一息ついていた。
 彼は長い間旅をしてきた。時には風に乗り、時にはこのように波に揺られ、ようやく人気のないこの地に辿り着いた。そんな彼にとって、今の一時はまさしくバカンスと形容するに足るものだ。足先からひんやりと漂う冷気は心地よく、ひと眠りしそうにもなる。その時だった。からん、と大きな音がして、足元がぐるりと回転する。すんでのところで水面に落ちずに済んだものの、危ないと思う間もなく、トラブルは続けて起こった。
「きゃあ! 虫!」
 甲高い女の悲鳴だった。彼は迷う暇すら与えられず、女の悲鳴の中で飛び立っていった。その時女の手が身体を掠めたが、危機一髪、彼はわずかに開いていた窓の隙間からの逃走を図る。
 眼下には楽園――コップの中に浮かぶ、ひとつの小さくなった氷が見える。ただの小さないっぴきの羽虫は、その後どこで次なるバカンスを迎えるのだろうか。

 以上、426字。初めに浮かんだ案では「コップの水を落とさないで走る競技をしていて、その優勝者にバカンスが贈られて…」といったようなしょうもないものだったので、多少はマシになっていると信じたい。あまり自分の文章にあれこれ言うと蛇足になりそうなので、ここまでにして、本題に移ろうと思う。
私用のパソコンが壊れて数カ月が経つ。十年以上の付き合いだっただろうか。ノートパソコンではなく一体型なことも相まって、捨てるのも面倒で(あるいは愛着ゆえかもしれない)、そのまま机の上に放置されて、数カ月だ。昔からパソコンに慣れ親しんできた身なので、無いと困ることには結構困るのだが、最近はスマートフォンやiPadがあればそれなり程度のことは出来てしまうので、駆り立てられるような焦りはなく、なあなあでなんとかしながらここまできてしまった。
 買い替えることへの腰の重さは、やはり処分の手間というより、新しいものを選ぶことへの気の重さが要因だ。決断にはかなりのエネルギーが必要だといろいろなところで見かけるが、そもそも、まず決断のための材料を集める段階でへろへろになってしまう。初めは家電量販店で適当に見繕おうと思っていたのだが、一体型ではないほうがいいとやんわりと店員さんに止められた。かといってデスクトップはスペースがないしと悩み、そして知人にBTOパソコン(カスタマイズできる受注生産のもの)を勧められ、ホームページを覗いたところで止まっている。何に使うかを明確にしてから探しに行くべきだともアドバイスをもらったのだが、「用途のために必要なスペックがなにか」を調べる段階が面倒で、やはりへろへろになった。知らない世界だ。
 インターネットスラングに「情弱」という言葉がある。そのまま情報弱者の略称であり、一般的にはネット環境やネットリテラシーが不十分で情報にアクセスできない、いわゆる情報格差のいわば被害者を指す。ただ、ネットスラングとしてはモノを知らない、情報を十分に手に入れていない、だから踊らされているのだ、というような、侮蔑的なニュアンスで使うことがほとんどだ。しかし今の時代、情報を十分に手にしてうまく扱えている人間なんて、もしかしたらほんの一握りなのではないか。
 情報というのは難しい。情報が氾濫する世の中になり、必要な情報をピックアップする力がより一層求められているのだということは肌感覚でもわかるのだが、それを自分でも行えているのかというと、また別の話である。情報を調べる手間を面倒くさがり、まあ多少損するくらいならいいか、と思ってしまう。そしてその分、情報というものの価値を実感する。適切な情報を適切なタイミングで教えてくれるような存在がいればとても助かる、ということも。パソコンだって、素人の私があれこれ調べて考えるより、詳しい人に尋ねて組み合わせてもらったほうが絶対に楽だし早い。いくらか対価を払っても、その価値は当然あるだろう。
 ただ、調べて買ったほうが、愛着が湧くのもそうだろうと思う。情報が氾濫し手に入れることが難しくなったからこそ、玉石混交の中をかき分けるべきだ。手軽でわかりやすい情報にばかり触れていれば、それこそ本質的な部分を知ることはできなくなる。パソコンで言えば、楽をしたい気持ちの反面、そもそもの語句の意味やパーツの働きがわからないままに買ってしまうのは、それはそれで少し不安がある。
 ああだこうだ、うだうだと書き進めてしまったが、「パソコン買わなきゃなあ、めんどくさいなあ」ということをずっと考えているとこうなってしまった。ところで最後になったが、スマートフォンとパソコンの大きな違いは、何かを「消費する」か「創造する」か、というところにあるような気がずっとしている。スマートフォンに出来ることは大幅に増え、それこそ詳しい人であればなんでもできるのだろうが、アプリやサービスを享受するに留まることがほとんどではなかろうか。スペックとしてはパソコンと遜色のないスマートフォンも出てきているが、「開発する」「ものを創る」側になるには一歩足りないような気がする。プログラミングが一般化していく反面、そうやって消費する側ばかりになってしまうことを、ほんの少し危惧している。

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