2か月前に始めた社員のブログ。それには主に2つの目的がありました。1つ目は、単純に文章力を上げること。そして、2つ目が社員それぞれの人となりを感じてとっていただくこと。それらは『志高く』と同様です。これまでXで投稿していたものをHPに掲載することにしました。このタイミングでタイトルを付けることになったこともあり、それにまつわる説明を以下で行ないます。
先の一文を読み、「行います」ではないのか、となった方もおられるかもしれませんが、「行ないます」も誤りではないのです。それと同様に、「おなじく」にも、「同じく」だけではなく「同く」も無いだろうかと淡い期待を抱いて調べたもののあっさりと打ち砕かれてしまいました。そのようなものが存在すれば韻を踏めることに加えて、字面にも統一感が出るからです。そして決めました。『志同く』とし、「こころざしおなじく」と読んでいただくことを。
「同じ」という言葉を用いていますが、「まったく同じ」ではありません。むしろ、「まったく同じ」であって欲しくはないのです。航海に例えると、船長である私は、目的地を明確に示さなければなりません。それを踏まえて船員たちはそれぞれの役割を果たすことになるのですが、想定外の事態が発生することがあります。そういうときに、臨機応変に対処できる船員たちであって欲しいというのが私の願いです。それが乗客である生徒や生徒の親御様を目的地まで心地良く運ぶことにつながるからです。『志同く』を通して、彼らが人間的に成長して行ってくれることを期待しています。
2023年12月
2023.11.03Vol.4 「その言葉」である意味を見つけられるように(竹内)
高槻校の高2の生徒とオンライン授業で関わる機会がある。新型コロナの流行をきっかけにリモート対応できるようにとzoomを導入したのがそもそもの始まりであったが、それによって現在は遠方への進学や親御様の転勤等によって通塾が難しくなってしまった場合であっても、継続してもらうことが可能になっている。先の高槻校の彼女も、開講日の都合ゆえにオンラインで授業を行っていた一人である。
いきなり話が脱線しかけたが、その生徒は意見作文に取り組んでいる。つい先日の授業中、友人たちとの過去の接し方の変化を振り返る内容を書き進めている際に、「自分を『改革』する」という言い回しは適切なのだろうか、と立ち止まっていた。本人としては、それまでに具体的なエピソードを列挙していたことで柔らかい印象を与えていたため、「改革」という硬い言葉を用いるとアンバランスになってしまわないか、というのが気になったようだ。硬さを感じる所以は例えば「組織を改革する」という用例に見られるように、大きなものに対して「改革」を使うことにあるのかもしれない。しかし、「意識改革」のように個人のことにも当てはめられるので、言葉の選択としては悪くない。加えて、この時はそこまでに述べていた内容を踏まえて「変わらなくてはいけない」という意志が生まれたからこそ、強い言葉が必要なのではないかとアドバイスし、そのまま進めることになった。この授業で扱っていたテーマは教材の中の1つでしかなく、完成したものを学校なりコンクールなりに出す予定もない。中高生にもなれば、必ずしも毎回出来上がった作文を親御様に見せているわけでもないかもしれない。だからこそ、彼女のその一語に対する疑問は、まぎれもなく彼女自身を豊かにするためのものなのだと断言できる。これまでにも何人かの生徒の作文が松蔭のブログに掲載されてきたが、それは彼・彼女らの紡いだ言葉の一つ一つが立っているからである。きれいな文章を書くことがゴールではない。しかし、自分の伝えたいことを表すにふさわしい言葉を模索した結果としての文章には、人を動かす力がきっと宿る。LINEやその他SNSであまりにも簡単に言葉を発せられてしまう昨今、それに対して誠実に向き合う時間を持つことにはとても大きな価値がある。
意見作文に限らず、というよりも『コボちゃん』や『ロダンのココロ』といった要約作文と日々対峙している生徒たちには一層、見直しの意義を伝えている。「同じ語を繰り返さない」というルールは、表現にこだわれるようにするためのものである。それを疎かにしてしまっては、読解問題において筆者の主張や登場人物の内面を汲み取ることや、自分自身の気持ちを表す術となる言葉を蓄えていくことはできない。
NHKの『プロフェッショナル 仕事の流儀』という番組がある。とある回で、校正者の大西寿男氏が取り上げられた。池井戸潤の『陸王』や、宇佐美りんの『推し、燃ゆ』などの校正を担当し、多くの作家から多大な支持を得ている人物である。つい2週間ほど前にも2度目の再放送があったようなので、ご覧になった方もいるかもしれない。本放送は今年の1月にあり、私は4月末の再放送で初めて彼のことや、校正という仕事の奥ゆかしさを知った。
「積極的、受け身」。大西氏は校正者の姿勢をこのように表したのだが、個人的にこれにすごく共感できた。作家や出版社から送られた原稿に目を通し、誤字脱字に留まらず時には登場する事柄に関しても裏を取り、必要に応じて内容について提案をする。これは、「作者の書きたかったものは何なのか」ということを理解しようとする姿勢があるからこそできることである。原稿を介して対話しているのだ。言葉に対する知識という点では、言葉そのものの使い手である校正者には当然ながら私は劣る。けれども、生徒の作文のように人の血が通ったものに触れ、より良くする手助けをするために、まずそれを分かろうとする態度で臨んでいる点には近しいものを感じた。やり取りをしていく中で生徒の考えているものを引き出し、それを通して言葉に対するこだわりを持てるようにしてあげたい。