2か月前に始めた社員のブログ。それには主に2つの目的がありました。1つ目は、単純に文章力を上げること。そして、2つ目が社員それぞれの人となりを感じてとっていただくこと。それらは『志高く』と同様です。これまでXで投稿していたものをHPに掲載することにしました。このタイミングでタイトルを付けることになったこともあり、それにまつわる説明を以下で行ないます。
先の一文を読み、「行います」ではないのか、となった方もおられるかもしれませんが、「行ないます」も誤りではないのです。それと同様に、「おなじく」にも、「同じく」だけではなく「同く」も無いだろうかと淡い期待を抱いて調べたもののあっさりと打ち砕かれてしまいました。そのようなものが存在すれば韻を踏めることに加えて、字面にも統一感が出るからです。そして決めました。『志同く』とし、「こころざしおなじく」と読んでいただくことを。
「同じ」という言葉を用いていますが、「まったく同じ」ではありません。むしろ、「まったく同じ」であって欲しくはないのです。航海に例えると、船長である私は、目的地を明確に示さなければなりません。それを踏まえて船員たちはそれぞれの役割を果たすことになるのですが、想定外の事態が発生することがあります。そういうときに、臨機応変に対処できる船員たちであって欲しいというのが私の願いです。それが乗客である生徒や生徒の親御様を目的地まで心地良く運ぶことにつながるからです。『志同く』を通して、彼らが人間的に成長して行ってくれることを期待しています。
2023年12月
2023.10.13Vol.2 教え、育む(三浦)
noteに載せてもらえることになったので、ひとつここは「教育」と「書くこと」という大風呂敷をつなげて広げてみようと思う。そんなテーマを扱えるほど立派でもないので筆は重いが、背水の陣である。
まず語るべきは、私が志高塾の講師になった過程だろうか。現状からは考えられないが、私は就職活動の際、いや、それ以前からずっと「教育には携わりたくない」と本気で考えていた。というのも、教えるのが苦手な自覚があったからだ。
そんなわけで、私がまず志していたのはライターのような仕事だった。何かを書いて暮らしたい、本に囲まれて暮らしたい。そんな漠然とした夢のままに色々と探してみたが、甘い考えではもちろんありつけるはずもない。とにかく近くの仕事を探すかと方針転換したところ、志高塾がようやくヒットした……というのが、私と志高塾の出会いである。
もう少し遡ってみると、「何かを書いて暮らしたい」というのは高校時代からぼんやりと思っていた。結果的には四年制大学に通うことになったが、ある芸術大学の文芸科も受験し、合格したこともあった。
大学生活の中では選ばなかった芸大の生活を思う日もあったが、そのたびに「ものを書くには、ものを知らないといけない」ということをしみじみと考えていた。描写ひとつとっても、それを描き出す想像力の基盤は知識になる。例えば私は実家暮らしの影響でまともに料理をしたことがなく、ゆえに料理をする描写などは今のままでは一切描けない。主人公が肉を洗ってしまいそうであるし、みそ汁に出汁を入れなさそうだ。
そういった身近なこと、あるいは社会常識、そして歴史や経済……すべての知識は、言ってしまえばネタになる。技法は後から身に着ければいいが、その下地となる社会を見る目は、知識や教養からしか育てられないものである。世の流れを知らなければ、世に出すものは書けない。と、私は実感としてそう考えている。だが、大学生時代にはそれにうすうす気づいていても、実際に身になるように学んでいたかと言われれば、かなり耳の痛い話だ。もしも本当に気づいていたのなら、自分が何かを書くほど社会に目を向けていないことも、「ものを書く」ことの大変さも、もっと深く実感できていただろう。
繰り返すが、「ものを書く」には、その前段階として「ものを知る」ことが必要だ。
そしてそれ以前に、「ものを知らないことを知る」ことが必要だ。そしてもっと多くの工程があって、長い思考のプロセスを経た後に、ようやく「書く」フェーズへと移り、表現をああでもないこうでもないとこねくり回すことができる。
さて、ここで「教育」に戻る。私が苦手意識を持っていた教育とは、この最終段階だけを行うようなものであった。教壇の上からただ技法を教え、書かれたものを見て、「どうしてできないのか」と嘆くばかり、あるいは「よくできている」と喜ぶばかりのもの。独りよがりなその行為こそが教育なのではないかと思っていた。
しかし、それは教育ではなかった。志高塾では初めこそ要約作文に取り組むが、後々には意見作文や小論文へと移行する。その中で教えるべきは「自分は何を知らねばならないのか」という指針だった。生徒とのコミュニケーションの中で少しずつでも芽を育てていく。何が出来ていないのか、それはなぜなのか、丁寧に拾い上げていく。初めの目標が「文章を書くことに慣れること」だったとしても、最終的な目標は「ものを知って、自分で考えて、それを文章にできること」だと、私はいつも思っている。いつもそれを目指して、私なりの教育を探している。
国語のプロフェッショナルであれ。代表である松蔭から時折受ける言葉である。それを受ける程度には私はまだまだプロフェッショナルではないのだが、そこに含まれているのは「プロフェッショナルになればいい」という意味ではもちろんない。
最低限、国語に関してはプロであれ、だ。
「ものを書ける人間に育てる」という目標は、国語教育という言葉が含むのであろう範囲を大きく越える。何も知らないままに生きてきて、「書くべきこと」も見つからないまま、中身のないまま大人になった自分が反面教師になるように。生徒たちが何かを発信したい、書きたい、作りたいと思ったとき、その思考の土壌が豊かになっているように。
いつか私がもっと自信を持って「教育」について話せるようになったとき、その時には、もっといい文章を披露できるようになりたい。それだけの中身のある人間になることが、目下の、そして人生の目標である。