2か月前に始めた社員のブログ。それには主に2つの目的がありました。1つ目は、単純に文章力を上げること。そして、2つ目が社員それぞれの人となりを感じてとっていただくこと。それらは『志高く』と同様です。これまでXで投稿していたものをHPに掲載することにしました。このタイミングでタイトルを付けることになったこともあり、それにまつわる説明を以下で行ないます。
先の一文を読み、「行います」ではないのか、となった方もおられるかもしれませんが、「行ないます」も誤りではないのです。それと同様に、「おなじく」にも、「同じく」だけではなく「同く」も無いだろうかと淡い期待を抱いて調べたもののあっさりと打ち砕かれてしまいました。そのようなものが存在すれば韻を踏めることに加えて、字面にも統一感が出るからです。そして決めました。『志同く』とし、「こころざしおなじく」と読んでいただくことを。
「同じ」という言葉を用いていますが、「まったく同じ」ではありません。むしろ、「まったく同じ」であって欲しくはないのです。航海に例えると、船長である私は、目的地を明確に示さなければなりません。それを踏まえて船員たちはそれぞれの役割を果たすことになるのですが、想定外の事態が発生することがあります。そういうときに、臨機応変に対処できる船員たちであって欲しいというのが私の願いです。それが乗客である生徒や生徒の親御様を目的地まで心地良く運ぶことにつながるからです。『志同く』を通して、彼らが人間的に成長して行ってくれることを期待しています。
2023年12月
2024.02.09Vol.14 反芻(三浦)
反芻する、という言葉がある。
念のため辞書を引いた。三省堂の例解国語辞典(第十版)には、「①ウシやラクダなどの草食動物が、いちど飲みこんだ食物をまた口にもどして、こまかくかむこと。②頭の中でくりかえし考えたり、味わったりすること。」とある。日常会話や文中で登場する際にはおおよそ②の用法になり、「喜びを反芻する」「先輩からの言葉を反芻する」のように用いる。
さて、小学生だか中学生だか忘れたが、その年の頃になにかの本でこの「反芻」という表現を見かけ、「なんかめっちゃかっこいいやん、使えるようになろ」と思った。それ以降、文章を作る際には隙を見てはねじ込むように使っていた。いや、使おうとした。しかし何度試しても、なかなか自分の中では定着させられなかった。
当時から携帯電話を持っていたので、文章を書くには専ら携帯電話かパソコンだったのだが、毎回「はんしょう」だの「はんぷく」だので漢字変換をしようとしては、見つからずに呆然としていた。芻の字がうろ覚えなので、それに伴ってぼんやりとした響きでしか浮かんでこなかったのだ。それに加えて、文脈からのイメージがどちらかといえば「(頭の中で)反響する」だったこともあり、こんがらがって、そして結局いつも「牛 何回も食べる 言い方」「牛 胃袋 多い」なんかで検索をかけた。おかげで牛の胃袋が四つあることだけは真っ先に覚えた。反芻は覚えられなかったのに、である。
こんなエピソードを覚えているくらいだから、言葉を使えるようにするという難しさは身に染みている。田中芳樹氏の『銀河英雄伝説』を思い出したようにこの頃手に取っているのだが、なかなか使わない言葉が多い。聞いたことがあるのかないのか、前後の文脈からも意味はすぐにわかってしまう。それゆえ意識しなければさらりと読み飛ばしてしまうようなところに、ひっそりとそういった言葉は眠っている。同氏の『アルスラーン戦記』を中学生の頃に愛読していた頃はそういう感覚がなかったので、大人になってきて再び、そのアンテナが磨かれてきたのかもしれない。
最近はnoteにも上がっているように、社員によるビジネス関連書の書評を始めている。なかなかそういった分野には触れてこなかったこともあり、こういった「わかるけど使わない」という言葉にあたる機会が増えている。ひとまずメモに残すようにしてみたが、どうやら「劣後する」「短兵急」などがそうだったようだ。
理解語彙と使用語彙には開きがある。ざっとインターネットで検索をかけたところ、使用語彙は理解語彙の半分程度だという話を見かけた。実際そうなのだろう。あれだけ生徒に言っておいて、この作文でも同じような言葉をわんさか使っているはずだ。私の作文を遡れば、同じような表現しか出てきていないはずだ。むやみやたらに難しい言葉にする必要はないのだが、「わかるけど使わない」というラインの言い回しは憧れである。私の使用語彙を増やしていくしかない。聞きかじった言葉を反芻して、自分のものにしていくしかないのだ。
おまけ。ちなみにこの話を文章にするにあたり、一度母に話題として「反芻するって使う?」と持ちかけたところ、すごい食いつきようで「めっちゃ好きな言葉、この間も使った」と返ってきた。血は争えない。