
2025.03.25Vol.680 自分のことを褒める週間
最近、3人のお母様の仕事に関する話をそれぞれの子供から聞く機会があった。一人目は昇格したことで勤務場所が少し変わったこと、二人目は分野自体は大きく変わらないものの新たにやりたいことがあってそのために必死に勉強して希望通り転職が決まったこと、三人目はパートから社員になり、しかもその組織の長になったこと。その3人のお母様との付き合いは一番短くて6年、長い方だと10年になる。私と同年代のお母様たちが頑張っている話を聞くと、当然のことながら刺激にもなる。その内の1人であり、ブログに何度も登場している高校生の生徒のお母様からいただいたメールの内容を一部抜粋して貼り付ける。
志高塾からの帰宅後の通常会話
母:「松蔭先生いた?」
パターン1
娘:「いなかった」
パターン2
娘:「すぐ帰った」
母の嬉しいパターン
娘:「やっぱり松蔭先生わかりやすいわ」
母の嬉しいパターン増えるといいなぁと心の中で思ってます。
大阪人の端くれとして、「いやいや、めちゃくちゃ言葉にしてますやんか」、一応つっこんでおく。「自分が褒められているということは、他の講師が否定されていることと一緒やから喜んだらアカン」ということを社員にはよく言う。「Aも良いけどBはもっと好き」であれば良いのだが、「AはアカンからBが良い」というパターンである場合が多いからだ。今回、そのお母様とのメールは3往復ぐらいしたのだが、最初は以下のようなものであった。「月間報告書、『志高く』を遡って読み、メールさせて頂いています。(中略)余裕のない日々で、自己肯定感下降の一途をたどっているところです。 ふと、『十人十色』いつあるのかなぁと気になり、読み始めました。中学受験の不安な時に私が過去に遡って『志高く』を読んだという話は覚えて頂いていると思いますが、心が落ち着かない時に読んでもとてもいいです。『志高く』はいつ読んでも軸がブレてなくてほっとします。」ブログで掲載することの許可は得ている。文章なんてうまく書けないことの方が断然多く、やめたくなることもあるのだが、こういう言葉をいただけると「もう少し頑張るか」と元気をもらえる。「喜んだらアカン」と社員に注意をし、私自身もそのことを肝に命じているのだが、今回は「松蔭先生わかりやすいわ」もお母様からの言葉も素直に受け取っておく。話変わって、月に1回か2回ぐらいしか無いことなのだが、先週の土曜は他の講師の都合がつかなかったため、私が豊中校に算数を教えに行った。すると、小学校3年生になる男の子が私の顔を見てニコニコしているので、豊中校を任せている竹内にそのことを伝えると、「松蔭さんに教えてもらうのが好きなんですよ」と返って来た。小学生は私を怖がることが多いので、小3でそんな風になるのはおかしい気がするのだが、これもやはり素直に受け取っておく。ちなみに上で登場した高校生の女の子は、小学生のときは私のことが怖くて近寄らなかったのだが、中学生になってから話す機会が増え、今では恋愛を含め、「ねぇ、先生聞いてやぁ」といろいろな話をしてくるようになった。彼女に限らず、そういうときに「いや、聞かへん」と返しても、皆勝手に話し始める。
私の教え方が分かりやすいと仮定して、それについて少し考えてみる。目の前の問題の解き方を教えること自体に必要以上に重きを置いてないのは世の中の一般的な先生と違う点であり、それゆえ私の特徴であると言える。その問題が他のどのような問題とどうつながっているのか、もっと大げさに表現するならば、その問題を教えることがその子の未来にどうつながって行くかと言うことを無意識に近い形で考えている気がする。また、例え話も多用する。その際に、私の身近な事柄を持ってくるのではなく、できる限り、その子が力を入れていること、ピアノであったりフィギアスケートであったりとの共通点を見出し、「~してるときに・・・するやろ?それと一緒やん」という話し方をする。私の専門外のことであれば、たとえ話のポイントを外すこともあるので、その場合は、生徒とやり取りしながらそのずれの部分を確認し、「じゃあ、こういうことや」と修正する。それによって、私は新たな知識を得ることができる。その他、結果そのものではなく、将来の明るい結果につながるであろう兆しにかなり注意を払っている。「注意を払う」と言っても、この場合もやはり無意識に近い。その小さな変化を捉えたときは、「前より集中して注意深く考えられるようになったやん」、「考え直しをいやがらへんようになったやん」、「口で説明するのがうまくなったやん」などと言葉にして伝える。そういうとき、大抵は「そうですか?」というリアクションされる場合が多い。でも、私には確実にそれは見えている。長男は年長の頃から生け花を続けているが、私も最初の一年は一緒に習っていた。その際、先生から「この枝を切ればきれいに見えるでしょ?」、「この葉っぱ取らないと」と説明されても全然分からなかった。当たり前のことだが、人によって見えるものが違うのだ。私が見落としていることもそれなりにあるかもしれないが、私に見えた兆しに関しては確実に光っている。その導火線についた小さな火を消すことなく、どうやったら大きな炎にすることができるかということをイメージする。そういうことを常に頭に入れながら、どのように伝えれば生徒に響くか言葉を選ぶので、私との相性が合えば、「分かりやすい」というよりかは「腑に落ちやすい」という状況になるのかもしれない。お母様のメールにあったように、自己肯定感を高く保ち続けるのは非常に難しい。私自身のそれを上げるために今回は自分をたくさん褒めてみた。
皆様も是非、今日から次回のブログまでいろいろと自分のことを褒めてみてください。来週は1週間教室がお休みなので次回は4月8日(火)になります。タイトル、「自分のことを褒める週間×2」とすれば良かったかも。
2025.03.18Vol.679 キャンセルキャンセル界隈
例の如く「後編」は先延ばしにして別の話題を。週1回教えに行っている小学校の生徒が『コボちゃん』のタイトルで「~キャンセル界隈」としていたので、それに倣ってみた。なお、「キャンセル界隈」とは、特定の行動をしない人々や、その行動を指すネットスラングであり、私が初めて耳にしたのは、お風呂に入ることを避ける「風呂キャンセル界隈」のはずである。子供たちと接するので、新しい言葉に触れる機会は少なくない。その1つに「あーね」がある。私が解説した際に、生徒がそのように返して来ることがある。「あーなるほどね」や「あーそうだね」の略である。私に対するその言葉遣いが適切かどうかはここでは横に置いておくことにする。新語の多くは省略系のはずなのだが、「キャンセル界隈」はその限りではない。では、この言葉というのは一体どのような目的で生まれたのだろうか。「外出キャンセル界隈」は「インドア派」で、「人付き合いキャンセル界隈」は「人付き合いが苦手(嫌い)」で済む。余計なものを後ろに付けることで、そういう自分を正当化しようとしている気がしてならない。ほとんどの人は好きなこと楽しいことだけをやって生きて行けるわけではない。人と話すことが苦手でも仕事において必要に迫られればそんなことは言っていられない。一歩踏み出すことで新たな発見があるかもしれないし、どうしようもないということを再確認することでコミュニケーションを極力求められない仕事を改めて探すことにつながるかもしれない。だが、「人付き合いキャンセル界隈」というレッテルを自らに貼ってしまっては、それこそその界隈から抜け出せなくなってしまう。
先週、一泊二日で岡山に行き、二日連続でゴルフをしてきた。念のために断っておくと、今年初めてのラウンドである。12月の中旬から3か月間、練習すらしていなかったのでクラブを全く握っていなかった。ゴルフを始めてもうすぐ4年になる。これまではラウンド中はずっとカートに乗っていたのだが、岡山では歩くことに決めた。久しぶりなのでボールはあっちこっちに行き、山岳コースでアップダウンが激しく、また、グリーンから次のティーグラウンドまでも距離があるといった感じで三重苦であった。あまりに私が大変そうにしているのでカートに乗ることを勧められたのだが、頑なに歩き続けた。20年来の付き合いになる昔の会社の同僚から「松蔭さん、ストイックですね」と言われた。何のことはない、三男の小学校の卒業式が迫っており、それに着て行くスーツが少々きつくなってしまっていたので、少しでも痩せたかっただけなのだ。5年ほど前にピッタリのサイズのものを作ったのだが、その時より1.5kgほど体重が増えてしまったことが原因である。昨年末、2年ほど前に辞めたパーソナルトレーニングのトレーナーの20代の男の子と2人で飲んだのだが、通っていた時に教えてもらったストレッチを今も毎日5分ほどではあるが続けていることを伝えたら、やはり同じことを言われた。それも、40歳を過ぎてフットサルなどのダッシュをするスポーツをしたときに、ふくらはぎの肉離れが起きるようになったのでその予防のためにしているだけに過ぎない。
上のいずれのことも、「ストイック」と呼べるようなものではない。他に何かもっと適切な言葉がないかと少し考えてみたのだが見当たらなかった。彼らも無意識のうちに「ストイック」を消去法的に選んだのであろう。ただ、トレーナーの彼に言わせれば、多くの人が私のようには続けられないらしいのだ。「ストイック」について考えたことで、忍耐力や粘り強さは無いものの意外と継続することはできるのもしれない、という考えに至った。高校生の頃は学校の授業をさぼりまくっていたのだが、浪人生になったときに、夏休みまでの3カ月間はどれだけつまらなくても、意味が無さそうでもすべて出る、と決めた。私の同級生たちはその逆で、高校生の頃は怒られることもありちゃんと出席していたが、浪人生になれば各自の判断に任せられるので効率良く間引いていた。以前にもここで書いた気がするが、20代後半のある1年間は毎日日記を付けることを自分に課した。ある晩、飲んで帰って来てそのまま寝てしまい、2時か3時だかに「あっ、今日の分まだや」と起き上がってノートに向かったこともあった。さすがに365日すべてとは行かなかったが、休んだのは10日あったかないかぐらいである。ちょうど1年やって、「日記はもう良いか」となってやめた。1週間に1回のペースで自ら花を買いに行き、教室の玄関に生けていた。それは生徒が学ぶ空間を心地良くすることと私自身が初心を忘れないようにすることの2つの意図があった。結局10年続けて区切りとした。こうやって見て行くと、ストイックではないが、昔から自分が決めたことを途中でやめることが嫌なのだ。先の一文で、タイトルの意味は分かっていただけたのではないだろうか。
思った通りにできないことや自らの意志の弱さに辟易とすることは少なくないが、決めたことをやり続けることで最低限の自信のようなものを保てている気がする。他の人は、気持ちが挫けてしまわないように一体どのような工夫をしているのだろうか。
2025.03.11Vol.678 子育て方針大転換(前編)
これまで我が子には高校生になるまでスマホを持たせないと公言してきたが、中2の二男には1年前倒ししてこの3月から、小6の三男には中学生になるタイミングで買い与えることにした。そして、もう一点、二男は高校受験を1年前に控えたこのタイミングで大手の塾に通うかもしれない。後者に関しては完全に本人任せなのでどうなるかは現状定かではない。それら二点において方針を大きく転換したことの報告が今回の骨子である。内容的には月1回の内部配布の『志高く』の方で扱いたかったのだが、そうなると二男も目を通すことになるのでこちらの方を選択した。
昨年の10月末、二男とのことを話題にした「Vol.660 二人目が一人目、だからと言って三人目が二回目でもきっと一回目(前編)」の中で、「先日、中2の二男と2人きりで食卓で向き合いながら、珍しく諭すように話をした。『親にとって、子供が頑張ることなくダラダラと生活をしているのを見るのは楽なことではない。期待をするとそれに応えないことにイライラするし、期待をしなければ腹も立たたないんだろうけど、それもまた違う』」、その続編のVol.662で、「生きて行く上で大事なことは小5ぐらいまでにすべて伝え切ろう、という心持ちでいた。それは、いつ死んでも良いように、ということではなく、反抗期が来て、父である私のことが鬱陶しくなり話にまったく耳を傾けなくなっても良いように、という考えからであった。大きく括っても中学生、高校生、大学生、社会人それぞれの時期で話すべき内容は違うので、そんな早いタイミングで息子たちに対する父としての役割を全うできるはずはないのだが、いつまでも素直に聞いてくれることはない、ということを自分自身に言い聞かせていた」と述べた。
「いろいろなこと」が積もり積もってのことにはなるが、相変わらずのダラダラ具合に痺れを切らして「そんなんだから中途半端な結果しか出せないんだ」という私の叱責に対して、「それはパパの育て方が中途半端だからだ」と反論して来たことが引き金になった。私も父と親子げんかをよくした。特に中学生の頃は何度か「出て行け」と言われ、その度に大きなバッグに何日間分かの衣服を詰め込んで家出をした。大抵は一泊で帰っていたような気がする。一度などはテスト期間中であったため、勉強道具も荷物に含まれていた。友達の家で、「あっ、あれ持ってくるの忘れた」とはならなかったので、頭に血は上ってはいても最低限の冷静さは保てていたのであろう。箪笥の引き出しを開けながら準備していたときに「早く出て行け」と父に追い討ちを掛けられ、「ちゃんと出ていくわ。今準備してんねん」などと言い返したときの光景を今でも何となくではあるが覚えている。
そんな私ではあったが、相手が父に限らず結果を出せない自分の不甲斐なさを誰かのせいにした記憶は無い。売り言葉に買い言葉であって本心ではなかった、と後から振り返れば認められるような状況であったとしても、そんな恥ずかしいことを口に出すことは無かった。そこが私と二男の決定的な違いである。「いろいろなこと」の例をいくつか挙げる。3人ともサッカーをやっているのだが、一人だけ高いスパイクを要求してくる。「弘法筆を選ばず」ではないが、私に言わせれば、「弘法でもないんだから筆を選ぶな」という話なのだ。サイズが合わずに足を痛めることを含め怪我は避けなければいけないが、同じ型のものであれば、本革ではなく人工皮革のものにすれば良いのだ。私がサッカーを始めたのは高校の頃なので、中学生よりも考え方がしっかりしていて当たり前ではあるが、試合用には少し良いもの(それでも同級生と同等か少し安いものを使っていた)を、練習用は履き潰すので最低限のものでしかなかったし、それにしても週末には持ち帰り、靴墨を塗ったりしながら大切にしていた。勝負をするのは筆の値段ではなく練習量であるべきなのだ。二男が自主練をすることはほとんどない。木曜と金曜だけ学校で朝練があるのだが、月曜から水曜はぎりぎりまで寝ている。私なら絶対に早起きして一人で練習をする。2点目は遊びに行ったときの帰宅時間のことである。「二人目が一人目」シリーズの中でも言及した気はするのだが、休日に遊びに行く際、私は父から「18時までに帰って来い」などと言われることがあったため、楽しんでいる最中に一人だけ抜け出さないといけないのが嫌で嫌でしょうがなかった。切り上げたところで、家に帰って何かする気力が起こるわけでもなかった。自身のその体験談を三人の息子たちに話した上で、「何時に帰ってくるかを伝えた上で、どうしても遅れる場合はその決めた時間を過ぎる前に必ず連絡をしてきなさい」というルールを設けた。二男は予めかなり遅い時間を伝えて来るのだが、それでも度々延長の連絡が入ったり、5分程度ではあるが時間を超えることもあったりする。サッカーのことにしても、帰宅時間のことにしても親としては自主性を持って欲しいのだがそこが全然うまく行っていない。その他、一軒家なのでゴミは家の前に置けば良いだけなのに、今朝も燃えないゴミを三男に持って行かせていた。それに関しても何度も注意をしたのに改善が見られず、兄弟でもめる原因を作るのは大抵二男である。
今朝は、二男と同じ学年の男の子のお母様と臨時で面談を行っていた。その際、「子育てなんてどうせ思ったようになんか行かないもんなんで、問題を抱えたときに『さあ、どうやって前に進んで行こうかな』と考えるしかないですね」というようなことをお伝えした。これ以上ないぐらいに実感のこもった私の言葉は、きっとお母様の心の奥深いところまで届いたはずである。
つづく
2025.03.04Vol.677 ノートを書くもう1つの目的
昨年末ぐらいから、公私の区別なくいろいろと自らのフォームの変更を意図的に行っている。「フォーム」は「取り組み方」、「向き合い方」と言い換えられる。ノートを書くようになったのもその1つである。そのことについては後ほど。と言うことで、余談から。
先日、どのような文脈でそのようなことを伝えたのかはまったく思い出せないのだが、元生徒の現役大学生に向かって「ワークライフバランスという言葉はおかしい」ということを話した。ワークはライフの一部であるからだ。この手の話はここでも何度かしている。「ワークバランスインライフ」であれば分かる。冒頭、「公私の区別なく」と述べたが、私はもともとそこに明確な境界線を引いていない。「お金をいただいているから」という考えも好きではない。親御様と友達、どちらからも大事な相談を受けたらどうするか。私は基本暇にしているので両者に対して十分な時間を取れるが、もし私が忙しくて一方を選ばないといけない状況に置かれたらどうか。答えにはなっていないが、やはりどちらにもきちんと対応する方法を探る。お金をいただいているかどうかを基準にすると、親御様からの相談であっても内容によって受けることとそうでないことを分けなくてはいけなくなる。お母様が「全然関係のないことなんですけど」と話を始められることがあるのだが、それは志高塾の外のことであるだけで、お子様に関わることであることがほとんどだ。時には、実のもしくは義理の親の介護のこともあったりするが、そんなとき「そんな話を私にされても困ります。介護がどれだけ大変でも切り替えて、子供の教育のことをしっかりと考えてあげてください」などという間抜けな返答はありえない。私に求められていること、できることは、ただ聞くことだけかもしれないが、それによってお母様の気持ちが少しでも和らぐのであれば、私は喜んでその役割を引き受ける。
さて、本題。今年に入り、「よしっ、ノートを書こう」となった。提出を求められることが減ったため高校生の頃からその機会が徐々に減って行き、大学時代は真面目に勉強していなかったので試験前に慌てて人のものをコピーさせてもらっていた。私が就活をしていた頃、履歴書の提出は紙とデジタルが半々ぐらいであった。ちょうどペーパレスの方に向かっていたので、新入社員の頃に下っ端として議事録を取るにしてもパソコンを会議室に持ち込んで直接ワードに打ち込んでいたような気がする。とは言うものの、過渡期であったため、それと並行してノートも使っていた。ただ、何かを書き留めてもそれがどこにあるのかを見つけるのに苦労をした。考えてみれば学生時代のノートというのは基本的に前から順番になっている。教科書のページ順、問題集の番号順といった感じである。教科ごとにノートも違うので、学生時代に様々な種類の異なる情報を1冊にまとめて整理するという力が自然と養われることは無いのだ。そういう背景があって、いつの頃からかノートやメモ帳みたいなものをまったく使わなくなった。そんな私が方針転換をしたのはある当たり前のことに気付いたからである。それは、備忘録のためだけではなく、頭の整理に役立つということである。そして、後者だけを目的にすることにした。そうなれば気は楽である。後先考えずに思い付きでいろいろと書けば良いし、見返したときに「これはなんだっけ?」となったところでまとめ方の下手さに嫌気がさすことも無い。続けられるかどうかは定かではなかったため、しばらくは家にあった子供たちの使い掛けの大量のノートをその都度適当に手に取っていたのだが、モチベーションを上げるためにもロディアのノートをカバーとセットで買った。大学入学時に、自分へのご褒美として確か2万円ぐらいの皮のシステム手帳を購入したがそれ以来である。そのときの失敗を生かして、小さくて軽いものにした。ボールペンも黒と赤を1本ずつ新調して、翌日、梅田で行われた安藤忠雄のセミナー『夢をかけて走れ』に意気揚々と参加した。最後に、そこでメモしたことを3つ紹介する。
「」が安藤さんの発したワードで、それに続く形で私の感想を付け加える。
「一心不乱」、「努力」、「辛抱」、「あきらめない」
今年に入り、どちらかの『志高く』で「我武者羅」という言葉を用いた。これまでの人生で、「一生懸命やったぞ」と胸を張れるようなものなどないこともあり、そのような表現を避けてきたがあえてそれを使った。1年が終わる頃には、「ことちか」について語れるような状態でありたい。もちろん、「今年力を入れたこと」の略である。
「人には負けないという気持ちが無くなったら終わり」
幼少期は負けず嫌いであったはずなのだが、気付けば、頭で計算して勝てる勝負しかしなくなっていた。中学や高校ぐらいの頃には既にそのようになってしまっていた。そのような経験から、我が子を負けず嫌いには育てて来なかったのだが、相手を負かすためではなく、自分が前に進むエネルギーを得るためにそういう気持ちは欠かせないのではないか、と考えを改めつつある。この半年間ぐらいのことである。
「良いものがあれば人は来る」
良い教育はもちろん大事なのだが、それをどのようにすればより多くの人に知ってもらえるのかを探り、手を打って行くこと。経営者として、今年は後者において試行錯誤をしていきたい。
昨日、今月下旬にパリに発たれるお母様とこれまでの振り返りや今後のオンラインの授業のことなどを話し合うために面談を行った。持ち込まれたノートは、一時間半出番を待ち続けたものの一度として開かれることは無かった。