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2025.03.04Vol.677 ノートを書くもう1つの目的

 昨年末ぐらいから、公私の区別なくいろいろと自らのフォームの変更を意図的に行っている。「フォーム」は「取り組み方」、「向き合い方」と言い換えられる。ノートを書くようになったのもその1つである。そのことについては後ほど。と言うことで、余談から。
 先日、どのような文脈でそのようなことを伝えたのかはまったく思い出せないのだが、元生徒の現役大学生に向かって「ワークライフバランスという言葉はおかしい」ということを話した。ワークはライフの一部であるからだ。この手の話はここでも何度かしている。「ワークバランスインライフ」であれば分かる。冒頭、「公私の区別なく」と述べたが、私はもともとそこに明確な境界線を引いていない。「お金をいただいているから」という考えも好きではない。親御様と友達、どちらからも大事な相談を受けたらどうするか。私は基本暇にしているので両者に対して十分な時間を取れるが、もし私が忙しくて一方を選ばないといけない状況に置かれたらどうか。答えにはなっていないが、やはりどちらにもきちんと対応する方法を探る。お金をいただいているかどうかを基準にすると、親御様からの相談であっても内容によって受けることとそうでないことを分けなくてはいけなくなる。お母様が「全然関係のないことなんですけど」と話を始められることがあるのだが、それは志高塾の外のことであるだけで、お子様に関わることであることがほとんどだ。時には、実のもしくは義理の親の介護のこともあったりするが、そんなとき「そんな話を私にされても困ります。介護がどれだけ大変でも切り替えて、子供の教育のことをしっかりと考えてあげてください」などという間抜けな返答はありえない。私に求められていること、できることは、ただ聞くことだけかもしれないが、それによってお母様の気持ちが少しでも和らぐのであれば、私は喜んでその役割を引き受ける。
 さて、本題。今年に入り、「よしっ、ノートを書こう」となった。提出を求められることが減ったため高校生の頃からその機会が徐々に減って行き、大学時代は真面目に勉強していなかったので試験前に慌てて人のものをコピーさせてもらっていた。私が就活をしていた頃、履歴書の提出は紙とデジタルが半々ぐらいであった。ちょうどペーパレスの方に向かっていたので、新入社員の頃に下っ端として議事録を取るにしてもパソコンを会議室に持ち込んで直接ワードに打ち込んでいたような気がする。とは言うものの、過渡期であったため、それと並行してノートも使っていた。ただ、何かを書き留めてもそれがどこにあるのかを見つけるのに苦労をした。考えてみれば学生時代のノートというのは基本的に前から順番になっている。教科書のページ順、問題集の番号順といった感じである。教科ごとにノートも違うので、学生時代に様々な種類の異なる情報を1冊にまとめて整理するという力が自然と養われることは無いのだ。そういう背景があって、いつの頃からかノートやメモ帳みたいなものをまったく使わなくなった。そんな私が方針転換をしたのはある当たり前のことに気付いたからである。それは、備忘録のためだけではなく、頭の整理に役立つということである。そして、後者だけを目的にすることにした。そうなれば気は楽である。後先考えずに思い付きでいろいろと書けば良いし、見返したときに「これはなんだっけ?」となったところでまとめ方の下手さに嫌気がさすことも無い。続けられるかどうかは定かではなかったため、しばらくは家にあった子供たちの使い掛けの大量のノートをその都度適当に手に取っていたのだが、モチベーションを上げるためにもロディアのノートをカバーとセットで買った。大学入学時に、自分へのご褒美として確か2万円ぐらいの皮のシステム手帳を購入したがそれ以来である。そのときの失敗を生かして、小さくて軽いものにした。ボールペンも黒と赤を1本ずつ新調して、翌日、梅田で行われた安藤忠雄のセミナー『夢をかけて走れ』に意気揚々と参加した。最後に、そこでメモしたことを3つ紹介する。
「」が安藤さんの発したワードで、それに続く形で私の感想を付け加える。

「一心不乱」、「努力」、「辛抱」、「あきらめない」
今年に入り、どちらかの『志高く』で「我武者羅」という言葉を用いた。これまでの人生で、「一生懸命やったぞ」と胸を張れるようなものなどないこともあり、そのような表現を避けてきたがあえてそれを使った。1年が終わる頃には、「ことちか」について語れるような状態でありたい。もちろん、「今年力を入れたこと」の略である。

「人には負けないという気持ちが無くなったら終わり」
幼少期は負けず嫌いであったはずなのだが、気付けば、頭で計算して勝てる勝負しかしなくなっていた。中学や高校ぐらいの頃には既にそのようになってしまっていた。そのような経験から、我が子を負けず嫌いには育てて来なかったのだが、相手を負かすためではなく、自分が前に進むエネルギーを得るためにそういう気持ちは欠かせないのではないか、と考えを改めつつある。この半年間ぐらいのことである。

「良いものがあれば人は来る」
良い教育はもちろん大事なのだが、それをどのようにすればより多くの人に知ってもらえるのかを探り、手を打って行くこと。経営者として、今年は後者において試行錯誤をしていきたい。

 昨日、今月下旬にパリに発たれるお母様とこれまでの振り返りや今後のオンラインの授業のことなどを話し合うために面談を行った。持ち込まれたノートは、一時間半出番を待ち続けたものの一度として開かれることは無かった。

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