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2025.02.25Vol.676 食品ロスはいただけないが

 高一の長男が参加していた大阪大学主催の高校生向けの『SEEDSプログラム』は全日程を終了した。12回のうち8回は全員同じ授業を受け、残り4回は各人が選べるようになっていたとのこと。その受講者の中から来年度、より内容を掘り下げたスペシャルプログラムに参加できるメンバーが選ばれるとのことだったため、チャレンジすることを父として厳命した。その権利を得るためには、自分がどのようなことに興味がありどのような研究をしたいかをポスターを用いてプレゼンテーションをすることが求められていた。2週間ぐらい前に「どれぐらいできてるの?」と確認すると、「まったく。だってアイデアが思い浮かばないから」とあほみたいな答えが返って来たので、「また同じことを繰り返すのか。今、勉強したり本を読んだりしているのもアイデアを生み出すためなんだから、それをしないと意味がないだろっ!」とかなりきつく叱った。「また同じこと」というのは、中3の12月末から2カ月間アメリカに短期留学し、それがきっかけで課外活動に積極的に参加する気持ちが芽生え、日本政策金融公庫主催の『高校生ビジネスプラン・グランプリ』に応募することを私に宣言したにも関わらず、一緒に出ようと約束していた同級生が脱落した時点でやる気を失い、何もせずに終わったからだ。帰国してから半年もあったにも関わらず、である。
 「あのな、アイデアなんて0から生まれるわけじゃないんだから、まずはそのプログラムで面白かった研究室を中心にいろいろと調べてみて、その中から『こういう部分をもっと知りたい』、『こういう研究をしてみたい』というのを見つけて、それを発表したら良いだろ」とアドバイスをしたのだが、「別に阪大でやってるかどうかは関係なく、自分の興味があるものについてプレゼンすれば良いって説明受けたから、僕は生け花をオンラインで世界に広げることをテーマとして取り上げる」ということに落ち着いた。2日ぐらい前から珍しく夜遅くまでパソコンと向き合い、どうにかこうにか準備をして当日を迎えた。帰宅後、「どうだった?すごいプレゼンしていた人それなりにいただろ?」と聞くと、「うん、いた。そもそも僕のやってたこと間違えてた。阪大でやってることの中から選ばないといけなかったみたい」という予想外で想定内の結果報告を受けた。「そりゃ、そやろ。阪大で研究するんだから。お父さんが言った通りやん。あのな、もちろん選ばれるに越したことはないけど、こういう機会に大学でどういうことをやっているかを真剣に調べることに意味があんねん。それをすることで将来自分が何をやりたいかのヒントが得られるんやから」と付け加えた。
 さて、高一のKさんの留学体験記。最後の段落にある「松蔭先生が留学を振り返るという機会を課してくださったことで、留学をより意味のあるものとして持ち帰れていることに感謝したい」という一文は、くすぐったいのでブログの方では削除することも頭をよぎった。単純に照れくさく、そもそも「よしっ、これでブログ1回書かなくて済む」と邪な考えが私の中にちゃんと存在していたため謝辞を受けるに値しなかったからだ。それでもそのまま残したのは、私のことはさておき、彼女自身が「作文を通して留学を振り返ること」に意味を見出していて、それを素直に言葉にしたものなので削ることはもちろんのこと修正しない方が良いと判断したからだ。
 最終的には2,000字強で収まったが、最初に書き上げた時点では4,000字を超えていた。まずは向こうでの出来事を1つずつ列挙して行ったからだ。日記のようなものだったのだが、最初のステップとしてはそれで良かったのだ。それを踏まえて、「異文化とのふれあい」をテーマにして情報を絞り込み、加筆修正を行った。4カ月間、ずっとその作文だけを手掛けていたわけではなく、英語のスピーチコンテストの日本語原稿に関してもかなりじっくりと時間を掛けて仕上げた。彼女の良さは、ほぼ完成に近いところまで来ていても、より良いアイデアが生まれれば、全体の構成にそれなりに手を加えないといけない場合でもそれを厭わないところである。たとえ締め切り間近でもそれをするので、彼女は提出期限が迫ってくると私へのメールが増える。
 Kさんの前回の作文やスピーチコンテストの原稿のことを振り返ってみると、陽の目を見ることの無かった、捨て去られたものが豊かであったことに思い至る。良いものに仕上げるために「時間を掛ける」、「推敲を繰り返す」というのはよく言われることだが、少し発想を変えて、「捨てるものの質を上げる」ということを目標にしてみるのも一つかもしれない。「コスパ」、「タイパ」が重視される今の時代に完全に逆行する考えである。我が長男のプレゼンテーションは間違いなくそのようなロスがほとんど無かったはずである。それは、完成品の質が損なわれていることを意味する。
 志高塾はこの4月を迎えると19年目に突入するわけだが、私にメールで作文のチェックを依頼してくる回数で言えば、Kさんはこれまでの生徒の中で群を抜いている。彼女に限らず、そのような前向きなものにはできる限り応えるようにしている。ふむ、どうやらあの謝辞に値するだけの、いや、あれでは随分と言葉足らずのような仕事を私はしているような気がして来た。今度、「松蔭先生への謝辞作文」に取り組んでもらい2つ、3つとアイデアを出してもらおうかしら。400字では気持ちをすべて伝え切れないだろうから、最低でも800字は必要だろうな。

2025.02.18Vol.675 イギリス留学体験記 ~なおも続く異文化とのふれあい~

 今回は、高一の女の子が昨年の夏休みに1か月間イギリスへ短期留学したときの体験記です。「なぜ、それを今頃?」のヒントは最後の段落に。私の感想は次回述べることにします。ではご堪能下さい。

 高1の夏休み、私は四週間留学へ行った。学校のプログラムではなく、個人で日本人比率が少ないとの評判があったイギリスのケンブリッジを選んだ。ヒースロー空港に到着すると、同じスクールの人たちが30人ほど集まっており、そのうち外国人は二人だけであった。その日本人の多さに落胆し、その中で自分は外国人の輪に身を置けるのだろうかと心配を覚えたが、杞憂に終わった。渡英前に受けていた筆記テストの結果により、私は日本人が一人だけの上級クラスに入ることができ、ほかの国の子と話す機会は自ずと訪れたからだ。私が最も印象に残っている授業の一つに、「自分がエキスパートといえるトピックを3つ挙げて生徒同士でQ&Aをする」というものがあった。ある人はハリーポッターについて、ある人はサッカーについて、など皆自分の好きなことを堂々と話していた。彼らのまくしたてるような話しぶりに圧倒され、自分の番が来ることを恐れるほどだった。私は、語りたいと思うトピックすら浮かばず、先生のアドバイスもあり‘Japanese Culture’を一つひねり出したが、その内容はここに書けたものではない。当然のことながらクラスメイトの興味を引くことはできなかった。その時はボキャブラリーの不足や自信のなさが起因していると感じていた。しかし、このように作文をしながら振り返ってみると、彼らが話していたことはごく普通のことであり、私が委縮してしまった原因は英語力以上に彼らの自信満々の態度にあったという結論に達した。一方、彼らは文法に苦手意識があるらしく、実際に文法授業で一番評価されたのは私だったのだ。日本の、文法を中心とした英語教育はたびたび批判されるが、現地の語学学校でそれが求められていることから、それには一定の価値があると実感することができたのは一つの収穫であった。
 留学を通して学んだことを一言でまとめると、英語を身に着けることは国外の人とコミュニケーションをとるためであり、互いの国を理解し合うことにつながるということだ。そのスクールに通う生徒は毎週末新しく加わる人と帰国する人がおり、メンバーが入れ替わる。私が唯一四週間を共にしたのは、スペイン生まれでドイツ在住のソフィーだった。彼女はスペイン人の父とチリ人の母を持ち、今は両親の仕事の関係で半年間チリの学校に通っているという。ソフィーはスペイン語、ドイツ語、英語のトリリンガルであり、短い期間で引っ越し、それも国境を越えるだけでなく、大陸を跨ぐことすらある。そのような点でかなり特殊な例ではあるのだろうが、ヨーロッパでは国籍の違う人同士の結婚が珍しくないため、ロシア国籍のハンガリー人、二つの国籍でそれぞれの国の言語の名前を持つ人が一人や二人ではなかった。関西から関東へ移り住むだけでも大変なことのように語られる日本ではこれまで耳にしたこともないような話であった。
 一方で、同世代としての共通点も日々感じていた。私は滞在中授業やアクティビティで仲良くなった友達と6人で過ごしていた。その中で一度、ポーランドの女の子トシャを仲間はずれのようにする雰囲気が生まれた。それに居心地を悪く感じたトシャがひとり別行動をしようとしたため、私は彼女についていくことにした。そのとき他の子たちは彼女の様子を気にする素振りもなかったため、今思えば、授業では伝えられなかった思いやりなどといった日本人らしさを体現できたのではないかと少し誇りに思っている。そんな私に心を開いてくれたのか、自分がみんなから嫌われているのではないかと私に不安をこぼした。このように悩みを打ち明けられた経験はなく、英語でどのような言葉をかけたらよいのかわからなかったので、役に立てた実感はない。しかし、弱っているときに寄りそうという行為に救われるのは世界共通なのだと身をもって感じることができた。
 このグループ以外でも友達をつくる機会はあった。毎週末、遠足に行くプログラムがあり、そこではスタッフによって無作為に分けられた班で過ごさなければいけなかった。最初のロンドン行きの際に、知らない子ばかりで、新しい友達を作らねばと私は気が張っていた。そこで同じく独りだった女の子に話しかけ、往路のバスや観光中をふたりで過ごした。彼女はヨルダンの出身であったのだが、私はヨルダンについてほとんど何も知らなかったために、話を広げるのに苦労した。目の前にいる彼女に尋ねるところから会話を始めていけばよいものをそうしなかった。それは、ヨルダンという国に対して中東だから治安が悪そう、紛争が多そう、などといった先入観を持っていたため、質問すると答えづらいだろうと勝手に決めてしまったからだ。ヨルダンの子に会えることなど滅多にないのだから、もっといろいろなことを教えてもらえばよかったと悔いている。
 また、帰国後連絡を取り合っている友達の中に、ショートメールで文通のようにやり取りをしているドイツの女の子、ミレテがいる。彼女とは3週間授業を共にした仲で、年下の14歳ながらも優等生のような存在の彼女に私は一目置いていた。彼女との話題の中で、European Youth Parliament(EYP)ということばがたびたび登場している。それは各国の代表生徒が問題点を持ち寄り、解決策を見つけるために皆で話し合いが行われ、実際の政府とのかかわりも持つという会議だ。彼女は地元の学校で生徒会に入っており、ベルリンを代表してそのEYPに立候補するほど政治に意欲ある生徒だった。彼女とのつながりがあったおかげで、ヨーロッパでは選挙権を得る前の学生にとっても政治が身近であることを知った。今後のミレテの活躍に期待しながら、彼女たちに胸を張って報告できる何かを実行したいものだと切に思った。
 さまざまな国籍の友達に出会った中で実感したことの一つに、留学体験談などでよく聞かれる「自国についての無知に気づかされた」というものがある。授業で日本の文化を伝えた時も、ヨルダンの子と話した時も、相手に伝えられるだけの何かしらの知識があればと反省したものだ。それがあれば相手への質問だって広がり、それをきっかけにして会話も弾むようになる。日本人は、というと主語が大きすぎるかもしれないし、たった1か月の経験で断言できるものでもないが、少なくとも、日本の英語教育で力を入れている文法力を活用することが自分に自信をつけるうえで肝になると考えた。そして私がトシャにしたように、日本人の気遣いや思いやりの力に長けているといった国民性が誰かを助ける場面はきっとあるはずだ。自分の持つ力を最大限活用することに努める一方で、何かひとつ話せるパッケージを蓄えていくなど、補わなければいけない面を見つける努力も惜しんではいけない。
 この体験記は帰国してから松蔭先生の命で4か月ほどかけて形にしている。松蔭先生が留学を振り返るという機会を課してくださったことで、留学をより意味のあるものとして持ち帰れていることに感謝したい。短期留学というものは、その期間中に学べることは限られており、与えられたもの以上を手に入れるのは少し難しい。だからこそ、帰国してからそのつながりをどう残し、どう自分のものにしていくかという点に懸かっているといえる。今、グループチャットやダイレクトメッセージで連絡が続いている彼女たちと話していることはとてもたわいないことだ。試験がどうだった、今日の天気がどうだった、と話す内容は日本の友達と話すこととそう変わらない。けれどもその会話の端々に地域の違いというものを感じ、彼女たちにとっての日常が私にとっての非日常であることを実感する。

2025.02.11Vol.674 まずやろうとしてみる

 「先生、フッかるやな」。フットワークが軽いということである。
「Vol.672 勉強を通して身に付けたこと」の中で、年末に予備校時代の同窓会があったことに触れた。その際、私の隣に座ったOが、「年明けに、Nと一緒に東京で2人で飲むことになってるけど来るか?」と聞いて来たので、二つ返事で「おう、行く行く。で、いつ?」と日程の確認をした。中学受験の統一入試日である1月18日(土)より前であればさすがに難しかったが、20日(月)の19時からとのことだったので、「それならどうにかなる」と参加確定。その日はまだ対策が必要な生徒がいる可能性はあったものの、その場合でも生徒は学校を休むため夕方までに授業は終えられるので17時前後のフライトを予約した。この話を高校生にしたところ、冒頭の「フッかる」認定を受けた。Oは、夏休み明けの後期が始まるタイミングで、医学部クラスから私のいた京大クラスに移って来た変わり種であったので、浪人生の頃の付き合いは半年だけであった。同窓会の際に、「医学部クラスの連中は真面目で面白くなかったから」とその理由について語っていた。そもそも国公立の場合、医学部とその他学部で勉強の内容は変わらない。また、私立の場合は小論文試験が課されたり志願理由書の提出が求められたりするものの、それも特別な対策が必要な訳ではない。実際、志高塾から私立の医学部に合格した生徒はこれまで何人かいるが、他の学部を目指す生徒同様に志望校の過去問を踏まえて小論文対策をしたり、一緒にその学校について調べて志願理由書を練ったりしただけの話である。医学部専門を謳う予備校は、作文関連の特別な対策ができるわけでもないので、授業料が格段に高い以外の特徴がどこにあるのかは分からない。このまま違った方向に突っ走って行きそうなので、この話はここらへんで止めにする。
 さて、そのO、本人の第一志望は現役のときと同様に京大の総合人間学部で、それとは別に親の意向もあり慶応の医学部を受験した。どちらも合格し、悩んだ挙句に後者を選び、今では国立がん研究センターのある診療科の科長を務めている。彼は単に勉強ができただけではなく、当時から人間的にも落ち着いていて話をしていても面白かった。もう一方のNもドクターである。研修医時代の同期と結婚しているのだが、奥さんは5つ下である。なぜか。関西の私立の医大に3浪で合格し、大学で1年留年し、国家試験でも1年浪人したからだ。そのことに何ら後ろめたさを覚えるわけでもなく、「どんなけ遠回りすんねん」と突っ込むと、「だって、やる気なかったからしょうがないよな」と漏らしていた。そのNは、去年銀座に奥さんと一緒に形成外科のクリニックを開業した。ポンコツなので事務仕事ができずに奥さんから怒られるらしいのだが、その代わり、手術のテクニックに関しては自信があるということを淡々と語っていた。あほなまんまであることも、医者としての腕が良いこともどちらも紛れもない事実なんだろうな、と感じさせてくれる奴である。当たり前の話だが、いくら私がフッかるであったとしても誘われたからといってどこにでも顔を出す訳ではない。当時2人とは仲が良かったし、現在対極的な医者となっていることにも興味をそそられたからこそ出向いたのだ。結果的に、もう一人加わって男4人で飲むことに。そいつは大企業の部長になっていると聞き、自分が40代後半になったことをいつもと違った形で実感した。俺らぐらいの世代って、ちょうど社会でそういう責任ある立場を任される歳なんだな、と。そして、次回は、夏ぐらいに神宮球場で阪神の試合をみんなで見に行くこと。
 東京に一泊するだけの場合、羽田空港の近くに宿を取ることが多いのだが、居酒屋が新橋であり、翌日、久しぶりに国立西洋美術館に行く予定にしていたため、初めて両国のホテルを予約した。東京に行く前日に、両国国技館で初場所が開催されていることを知った。まだ千代の富士や小錦が現役であった小学生の頃から社会人になるぐらいまでは毎日スポーツニュースで結果を確認するぐらい相撲には興味があり、幕内力士であれば全員知っていたのだが、今や、横綱や大関ですら名前ぐらいは聞いたことがあるかな、というような状態である。「生で観戦するので、できるだけ楽しみたいな」となり、相撲好きの女友達に連絡することに。彼女は、私がこのブログでも時々話題にする就職活動中に知り合い、今でも年1回東京で会う、10人弱のグループのメンバーの1人である。日曜の晩に、「明後日、初めて相撲見に行きたいから横で解説してや」とメッセージを送ると、すぐに返信があった。「仕事してんのに、そんなん急に言われても行けるわけないやろ」ではなく、「チケット完売しているよ」だった。転売サイトで売っていることは事前に確認していたので、結果的に15時に現地で待ち合わせをして一緒に観戦することに。席に着く前に一通り館内を案内してくれ、その後はマニアックな情報を交えつつ取り組みの解説をしてくれた。私のわがままに18時過ぎまで付き合ってくれ、彼女は2人の小学生が待つ家に母として帰って行った。
 後々、「俺よりあいつの方がよっぽどかフッかるやん」となったのだが、でもよくよく考えたら、出会った当初から、そのグループのメンバーは誰かが企画を立ち上げると、どうやって楽しもうか、という方向で話が進み続けて実行するところまで常に行くから20年以上経った今でもその関係は続いているのだ。学生の頃に比べれば制約は増えているが、基本的な姿勢は変わっていない。ここまで遊びのことについて述べて来たが、その相撲の前日にそのグループのもう1人のメンバーと自由が丘で会っていた。彼と話している最中に、1年後の2026年4月に自由が丘校を出すことに決めた。

2025.02.04Vol.673 家庭の

 昨年、GWを利用して妻と2人でスイスとドイツを旅したときに、「味」よりも「旅」の方が家庭ごとの違いが顕著に出るのではないだろうか、ということに初めて思い至った。帰国後、旅慣れているであろう元CAのお母様に私の大発見をぶつけてみた。
 人は、初対面の人に何を尋ねるのであろうか。私は、体験授業に来られたお母様に年齢を聞くことも少なくない。何歳かを知りたいわけではない。一番分かりやすい例を挙げれば、同じ高校出身だと知ったときに、自分と重なっているか、もしくはそうではないにしても先輩、後輩と知り合いで無いかを確認するためである。高校の場合、「何期ですか?」になる。その問いが発せられた時点で会話の目的が共有される。実際、先日、豊中校の生徒のお母様と初めてお会いしたとき、同窓生であることは知っていたので、「私は108期ですが何期ですか?」「99期です」、「橋下さん(元大阪府知事)の少し上ですか?」、「1学年上で、有働さん(フリーアナウンサー)とクラスメイトでした」と続いた。年齢よりはるかに興味があるのは、どこの出身かである。
 春休みに塾の1週間の休みを利用して、三男と二人で車での旅を考えていて、ひとまず群馬を候補地にすることにした。運が良いことに、そのタイミングで私が応援しているガンバ大阪の試合が3/29(土)に新潟で行われることが分かり、新潟から群馬に下るルートだけを確定させた。新潟に行くと決めた後、偶然新潟出身の人に会い、「新潟市ですか?」、「富山に近い上越ですけど知らないですよね?」、「上杉謙信の春日山城には行ったことがあります」、「大河ドラマの舞台になったとき(謙信の養子である上杉景勝の家臣直江兼続が主人公の『天地人』が2009年に放送された)は観光客もすごかったみたいです」というやり取りをした。1週間ほど前、3年ぶりぐらいにマッサージに行った。ストレッチと筋トレを日常的に行っているのでスポーツ中の怪我以外で体のどこかが痛くなることはほとんどないのだが、1週間以上も背中が張っていたので止むにやまれずのことであった。施術中に、セラピストに例のごとく質問をぶつけると、またもや新潟で、しかも佐渡から出て来たとのこと。人生で初めて佐渡出身の人に出会った。昨年世界遺産に登録された金山はもちろんのこと、一時期話題になったトキも今ではそれなりに増えていることや、たらい舟が有名であることなどを教えてもらった。そのたらい舟、調べてみるとやっているのは3月下旬から11月下旬とのことであった。ラッキーなことにちょうどシーズンインしたところである。日本海は荒れることが多いの、せめて2日ぐらい候補日を設けておかないと乗れない可能性が高くなってしまう。そうなると27日と28日の両日がそれに当たる。塾の休みは3月30日(日)からのなのに、移動距離のことなどを考えると、せめて26日(水)の朝にはこちらを発つことになる。断腸の思いで、それなりの日数仕事を休むという苦渋の決断を迫られることになりそうである。
 「家庭の旅」の話。我が家の場合、私が勝手にいつどこに行くかを大体決める。2週間後に「どこか海外に行こう」となることもあれば(こういう場合、大抵は適当な飛行機が見つからず、国内になることがほとんどである)、ヨーロッパなどであれば3カ月前ぐらいには飛行機だけは押さえる。行くところと大体の日程を決めたら、誰が参加するか、どこに行きたいかなどを聞いた上で少しずつ計画を立てはじめる。学生の頃は2週間ほどヨーロッパに滞在することを何度か経験したが、その際、最初と最後のそれぞれ2, 3日ずつだけホテルを決めて、後は向こうに行ってから予約するというスタイルであった。どこの町にどれぐらい滞在したくなるかは実際に訪れてみないと分からないからだ。この前の旅行では、帰国前日にドイツでサッカーを見ることにしていたのだがチケットは早い段階でどの試合も完売していたため、最後の3日ぐらいの予定は空白であった。日本人が所属するチームが複数あり、どの試合を観戦するか、毎日転売サイトとにらめっこしながら席の空き状況と値段を確認していた。最終確定したのは、試合の3日前ぐらいであったはずである。私はそのようにあそこも良いな、ここも良いな、と考えるのが好きなのだが、それと正反対の人もいる。ある生徒の家族は、旦那様が分刻みに近い入念な計画を立て、お母様と娘2人がそれに必死になって付いて行くというスタイルである。その話を聞き、「そんなん私には絶対無理です」と伝えたところ、「私たちも大変ですよ~」と返って来たことがあった。冒頭のお母様、結婚した当初は旦那様はほとんど旅行の経験がなかったためお母様がリードしていたが、旦那様も場数を踏んで今では現地でそれぞれ好き勝手なことをしているとのことであった。我々夫婦はその逆だったのだが、もし夫婦そろってそれなりに旅好きであった場合はどうなるのだろうか、というのが「家庭の旅」ということを思い付いたときに最初に浮かんだ疑問であった。予定の立て方だけではなく事前の持ち物の準備や、ホテルをチェックアウトする際にどのタイミングで誰がパッキングするかなど、家庭ごとでばらばらなのであろう。元々「家庭の旅」というタイトルにしていたのだが、文章を書きながら「味」や「旅」だけではなく、ありとあらゆることが家庭ごとでやり方が違うんじゃないだろうか、という気がしてきた。それに伴い、タイトルから「旅」を取り除いた。

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