
2か月前に始めた社員のブログ。それには主に2つの目的がありました。1つ目は、単純に文章力を上げること。そして、2つ目が社員それぞれの人となりを感じてとっていただくこと。それらは『志高く』と同様です。これまでXで投稿していたものをHPに掲載することにしました。このタイミングでタイトルを付けることになったこともあり、それにまつわる説明を以下で行ないます。
先の一文を読み、「行います」ではないのか、となった方もおられるかもしれませんが、「行ないます」も誤りではないのです。それと同様に、「おなじく」にも、「同じく」だけではなく「同く」も無いだろうかと淡い期待を抱いて調べたもののあっさりと打ち砕かれてしまいました。そのようなものが存在すれば韻を踏めることに加えて、字面にも統一感が出るからです。そして決めました。『志同く』とし、「こころざしおなじく」と読んでいただくことを。
「同じ」という言葉を用いていますが、「まったく同じ」ではありません。むしろ、「まったく同じ」であって欲しくはないのです。航海に例えると、船長である私は、目的地を明確に示さなければなりません。それを踏まえて船員たちはそれぞれの役割を果たすことになるのですが、想定外の事態が発生することがあります。そういうときに、臨機応変に対処できる船員たちであって欲しいというのが私の願いです。それが乗客である生徒や生徒の親御様を目的地まで心地良く運ぶことにつながるからです。『志同く』を通して、彼らが人間的に成長して行ってくれることを期待しています。
2023年12月
2025.02.14Vol.49 連想式作文(三浦)
三題噺。Wikipediaいわく「落語の形態の一つで、寄席で演じる際に観客に適当な言葉・題目を出させ、そうして出された題目3つを折り込んで即興で演じる落語である。」だそうだ。私がこのワードと出会ったのは学生時代、当時学校の図書室にあったライトノベルの棚に置かれていた、“文学少女”シリーズの中だった。「物語を食べる」少女が、でたらめな三つの単語を少年に投げかけ、少年は少女が食べるための物語を書く。それに友人共々憧れて、思いついたキーワードを書き起こした紙きれを集め、ランダムで引いてはお題を決め、そしてルーズリーフに思いつくまま書いていった。そんな思い出が今も残っている。肝はランダムな単語をひとつの話の中でどう扱うかだ。例えば「海」と「水着」ならば話は早いが、これが「海」と「焼き芋」になるとまた変わる。そこにもう一つ、とんでもないキーワードが入ってきでもしたら、場面設定から展開まで悩むことだろう。どうつなげていくべきか。
そんなふうな思考を思い返すと、文章を書くことは、連想ゲームに似ているのではないかとも思った。このブログの内容を練るときも、いくつかのアイデアをつなぎ合わせていることが多い。そして書くことだけでなく、もしかしたら読むことも、連想ゲームなのかもしれない。
ここで書いたことがあるかは忘れたが、過去に芸大の文芸学科の入試を受けたことがある。その時はエッセイの続きを創作するか、課題文(説明文)を読んで関連する小説を創作するか、どちらかをその場で選択して受験するものだった。私は後者を選び、「掃除機をかけている時に壁にぶつかると痛いと感じるように、人の身体性は延長されるものである」といったような説明文だった記憶があるのだが、そこから「人の身体性の延長」というポイントを抽出し、どんな話の中でそれを扱えるのかを考えていった。それもひとつの連想だ。意識を伸ばす、つまりは触れられないものに触れることすらできる、と繋げ、確か聴診器を使って心臓の輪郭を描き出そうとする少年の短編を書き上げた気がする。今考えてみると結構気持ち悪いテーマ設定だが、そこは若気の至りとしたい。ちなみに今の入試要項を見ていると、「与えられたいくつかのキーワードから発想して、小説(冒頭部分)やエッセイ等の形式で作品を創作する。」とあったので、もう少し三題噺に寄っているのかもしれない。それにしても、「キーワードから連想する」ではなく「発想する」なのも面白い。
こうやって色々と書くことを続けてきた人生だったので、連想する力、言ってしまえば「こじつける力」というのはいくらか鍛えられているはずだ。その一方で、論理的に段階を踏むことには未だに不慣れだ。言語とは、人間とは、といった抽象的なテーマが飲みこめても(頭の中で勝手につなげているからだろう)、数学ところか算数の手順はひとつずつ丁寧に追っていかないとわからなくなる。読解で取り上げられる論説を読んでいるときと、生徒の理数系の問題を見守っているとき、その差を実感する。この論理的思考力というものは間違いなく必要になってくるものなので、私の課題としては、これを今からでも鍛えていくことだ。
私のことはさておき、ただ、やはり作文においては、いくらかの連想力は必要だろう。一つのテーマから広げていくとき、他の題材とどう関連性を見出すか。「そういえば」がいくら出せるか。頭の片隅に置いているものがどれだけ反応するのか。
さて、三題噺の話に戻ろう。三題噺のテーマでブログを書こうと思い立った時、やってみたいことがあった。それはChatGPTに書かせてみることだ。
お題は「バカンス」「コップ」「絶体絶命」、字数は400字前後。この三つのお題は、コバルト文庫のWebマガジンにおいて、「夏の三題噺」を募集していたときのテーマだ。下に出力させたものを貼っておくので、自分で考えたいという方は考えてから見ていただければと思う。ちなみに自分でも書いてみたのだがかなり力量が落ちていてしょうもないものになったので、ここでは割愛させていただきたい。
『夏休みの終わりが近づく頃、田中はひとり静かなビーチにいた。しかし、リラックスしきる間もなく、彼の目の前で奇妙な出来事が起こった。水際に立っていた若い女性が、突然、崖から落ちてしまったのだ。驚きと恐怖の中で田中は、何の考えもなしに駆け寄り、必死にその女性を引き上げようとした。手を伸ばし、ついに彼女の腕をつかむが、力尽きそうになった瞬間、足元に転がっていたコップを蹴飛ばしてしまった。コップは崖の下へ転がり落ち、その音が無情に響く。
「助けて!」女性の声が聞こえた。絶体絶命の状況。田中は全力で引っ張り上げるが、彼の腕も限界に達しそうだ。心臓が高鳴り、足元がふらつく。そのとき、ふと目をやると、上から救助隊のヘリが見えていた。「もう少し!」声を振り絞り、田中は全力で女性を引き寄せる。数秒後、ヘリのロープが降りてきて、無事に二人は救助された。
ビーチに戻った田中は、安堵の表情を浮かべつつ、もう一度コップを見つめた。あの一瞬の音が、今でも耳に残っている。』
なかなかうまいオチの付け方である。ただ、コップが無残に割れた姿が女性の結末と重なってしまったとか、そういうところまで入れていればもっと女性とコップの関連性が見えてきたかもしれない。現時点ではバカンスである必要性も薄いし。と、半ばもっともらしく茶々を入れておく。