
2か月前に始めた社員のブログ。それには主に2つの目的がありました。1つ目は、単純に文章力を上げること。そして、2つ目が社員それぞれの人となりを感じてとっていただくこと。それらは『志高く』と同様です。これまでXで投稿していたものをHPに掲載することにしました。このタイミングでタイトルを付けることになったこともあり、それにまつわる説明を以下で行ないます。
先の一文を読み、「行います」ではないのか、となった方もおられるかもしれませんが、「行ないます」も誤りではないのです。それと同様に、「おなじく」にも、「同じく」だけではなく「同く」も無いだろうかと淡い期待を抱いて調べたもののあっさりと打ち砕かれてしまいました。そのようなものが存在すれば韻を踏めることに加えて、字面にも統一感が出るからです。そして決めました。『志同く』とし、「こころざしおなじく」と読んでいただくことを。
「同じ」という言葉を用いていますが、「まったく同じ」ではありません。むしろ、「まったく同じ」であって欲しくはないのです。航海に例えると、船長である私は、目的地を明確に示さなければなりません。それを踏まえて船員たちはそれぞれの役割を果たすことになるのですが、想定外の事態が発生することがあります。そういうときに、臨機応変に対処できる船員たちであって欲しいというのが私の願いです。それが乗客である生徒や生徒の親御様を目的地まで心地良く運ぶことにつながるからです。『志同く』を通して、彼らが人間的に成長して行ってくれることを期待しています。
2023年12月
2025.02.09vol.48 重なる部分を探す(竹内)
家の近くのとあるカフェ。女性一人で切り盛りしており、落ち着いた雰囲気である。一人で行ったこともあり壁に面したカウンター席を選ぶと、目の前には店主がチョイスした本や雑誌がいくつか並べられていた。たぶん、書店に行っていたのならそのコーナーは通り過ぎていただろう。でもたまたまそこにあったから、「岳人」という山岳雑誌に出くわすこととなった。編集長である辰野勇氏と生物学者の福岡伸一氏の対談が巻頭特集で、福岡氏は教室の本棚に収められている『生物と無生物のあいだ』というベストセラー本の作者なので、「全く知らない人」同士ではなかったために引っかかったのだろう。
対談テーマは「なぜヒトは山に登るのか」。私自身は登山に対してさしたる興味はないのだが、それでかえって、しんどいだけではなく時には危険も伴うそれに魅せられるのはなぜなのかが気になった。この問いに対して最も有名な回答はイギリスの登山家ジョージ・マロリーが残した「そこに山があるから」である。これは実際にはまだ誰も登頂しえなかったエベレストにマロリーが挑むにあたって「なぜエベレストに登りたいのか?」という記者の質問に対して(似たような質問がこれまでにも多かったので)やや投げやりに「Because it’s there.」と答えたところからきている。本人からしてみればぱっと口をついた言葉だったのかもしれないが、単に目の前の山を登るだけだとも、登山家たるもの山がある限りは登り続けるのみだとも、如何様にもとれて示唆に富んでいる。だからこそ多くの登山家たちに与えられた問いにもなっている。記事の中で「なるほどなあ」となったのは、「自分と向き合うため」だという福岡氏の主張だった。登り切るという結果を得ることを目指しているのだと思っていたのだが、過程を重視していることが表れている。一度、箕面駅から箕面大滝を拝みに行った後、勢いに任せてだるまで知られている勝尾寺まで向かったことがある。大して調べもせずに歩き始め、2時間以上はかかって何とか到着した。途中で「こんな革靴でやることじゃなかった」と何度も引き返したくなったのだが、登山が習慣ではないだけに「もうやらへんかもしれへんし」とすぱっと諦めきれずにぜえぜえ言いながらどうにかやり切った。「そこまで行った」という結果が欲しかったということだ。登り始めこそ同行者とぺちゃくちゃ喋っていたもののだんだん坂の険しさにそれどころではなくなり、時々互いを鼓舞する以外はほとんど無言になった。その時自分の頭の中に何があったのかは全く覚えていないが、「しんどい」とか「早く着いてくれ」とかそんなものだったはずだ。「自分と向き合う」という場は、色々な形で作ることができる。志高塾の場合なら、やはり分かりやすいのは「作文」と「読書」である。前者の場合意見作文が想定されがちだが、決してそれに限ったことではなく、要約作文でも自分の中でベストな言葉を見つけ出そうと試行錯誤することはまさに向き合っているといえる。読書については時々「たくさん読んでいる割にテストになると点が取れない」という話を親御様や生徒本人から聞くことがあり、「読む」ということよりも「問題を解く」ことに不慣れであることに原因があると考えていたのだが、「読み方」の方をもっと良くしていくことが必要なのではないかと思うようになっていた。それがまだモヤモヤした状態のままだったのだが、氏の言葉をヒントに、「重なりを探そうとする」ことが内容を捉えるための第一歩だと自分の中で少し答えが見えてきた。「なぜ山を登るのか」が登山家にとっての命題であるように、もっと自分の中で確かな言葉を追いかけていかねばならない。
少し話は変わるが、この「岳人」という雑誌の編集長である辰野氏はアウトドア用品のブランドであるモンベルの創業者・代表取締役でもある。もともとは京大の山岳部有志によって刊行されていた本誌が、1949年から2014年8月号までは中日新聞社から発行されていた。休刊の報を受け、当時は広告主であったモンベル社が運営を引き継ぐこととなったのだ。カフェで手に取るまで存在を知らなかったわけなので、今日まで続けてくれたことに感謝である。ネットメディアによるインタビュー記事(https://yamahack.com/5073)の中で、「岳人」を山に例えると何かと問われ、辰野氏は次のように答えていた。「3000m級の山でありながら、初心者でも訪れやすい立山連峰です。一方で山の上級者も惹きつける魅力があります。古来から山岳宗教が盛んで、山麓を含め文化が息づいています」
「将来に繋がる考える力を身に着けることを目指す場所でありながら、一つひとつのステップである受験に対しても、志高塾だからこそできるアプローチで子どもたちが挑み、乗り越えられるようにします。小学生から高校生、さらには国語や勉強に対する姿勢が様々である生徒一人一人と向き合って、その子がその子らしくいられる場であり続けます」
山に関しての知識は皆無で、立山連峰だってよく知らないのだが、目指しているところに関してはものすごくストンと自分の中に入ってきた。未知の世界からこそ得られる面白さ。