志高塾

志高塾について
志高塾とは
代表挨拶
通塾基本情報
アクセス
お問い合わせ
志高塾の教え方
指導方法
志高塾の作文
志高塾の添削
読解問題の教え方
使用教材と進め方
志高塾の教え方
志高く
志同く
採用情報
お知らせ
志高く

2025.01.07Vol.669 ヒルガエル君飼っていますか?

 本年もどうぞよろしくお願いいたします。
 年と年度の初めに当たる1月と4月に1年間の目標を立てる日本人は少なくない。気持ちを新たにするに際し、「生まれ変わる」や「ゼロからやり直す」という言葉が使われることがある。まだ二十歳前後の学生であったり歳をそれなりに重ねていても罪を犯した人などであったりすれば理解できるが、そうでもない大の大人が用いることに違和感を覚えるようになっていた。「それぐらいの気持ちで」という比喩表現であることを踏まえても、である。良くも悪くもそれまでの人生で積み上げてきたものから自由になることはできず、それをきちんと踏まえなければ進んで行く方向を誤ってしまいかねないからだ。大谷翔平のように結果を残している人が慢心を戒めるために口にする場合は例外である。この数年そのような言葉に触れるたび気持ち悪さを感じていたのだが偶然ぴったりのものが見つかった。殻を破る。その殻というのは、最初は薄くて柔らかいものの、破るべきタイミングを逃すと少しずつ分厚く硬くなっていくイメージである。学生のうちや社会人になってもしばらくの間は誰かが殻で覆ってくれるものの、それ以降は蚕が自ら繭を作りそれを破るように、誰に頼ることなく自らそれを繰り返して行かなければ人間的には成長できないのであろう。
 私の場合、心機一転となるのは4月であることが断然多い。1月中旬に中学受験を控えているためである。受験生が冬休みに入ってから本番までの1か月間をひとまとまりで捉えているため、年を越しても気持ち的には切り替わらないのだ。ただ、この年末年始は違った。
 親であれば、「お父さん(お母さん)が同じぐらいの頃は」と我が子に話すことはそれなりにあるはずなのだが、私の場合は職業柄、仕事においてもそのようになる。浪人生になっても通い続けている男の子がいる。小4の頃からなのでかれこれ10年の付き合いである。授業が土曜の最後のコマであり、私はとうに帰っているため日頃顔を合わせることがないのだが、勉強をしている割に思ったように成績が上がってこないため志望校含め、今後の方針などについて二人で話し合う場を12月14日(土)に持った。お母様にお願いされてのことである。話をしていて、きちんと計画を立てられていないことが一番の原因であることが分かった。彼の能力を考えてもそれぐらいのことはできていて当然だと思い込んでいたのだが、そこに落とし穴があったのだ。そして、その日中に翌日の日曜からの1週間の計画を立てさせて、毎週土曜の夜に振り返りと翌週の予定をお母様との3人のグループラインにあげさせることになった。そんなことに時間を掛け過ぎてもしょうがないので10分ぐらいで良いということも伝えた。「共通テストまで1カ月、その後の国立の2次試験まで1カ月。きちんと対策をしてここからまだまだ成績を上げに行くぞ」と発破も掛けた。最初の2週は少し目標には届かなかったものの、年が明けた1月4日(土)の報告には「今週はやり切れました。良い感じです」というコメントが添えられていた。
 ここでヒルガエル君の登場である。「生徒や息子たちに偉そうに言ってるけど、翻って、今の俺はどうなんやろうか?」と考えたのがきっかけである。受験生の頃は、計画を立て、それをある程度のレベルで実行できていた。私の場合、性格上長期は難しかったので短期のもの、長くても3か月ぐらいのものであった。ヒルガエル君とやり取りしながら、その4日後の12月18日に「よし、今日から1月17日までの1か月間で10冊の本を読む」と決めた。それに関しては2週間前倒しで1月2日の時点で達成した。残り2週間でさらに3冊積み上げることにした。この数年は月に1, 2冊だったのでかなりのペースアップである。あくまでも過去の自分との比較になるが、それだけ読むと頭は一気に活性化し、不思議なぐらい意欲的にもなれている。1月18日からの次の1か月の目標も大体こんな感じにしようかな、と決まりつつある。もちろん、ヒルガエル君と対話をしながらである。
 最近はこのブログの字数が膨らみ過ぎて2,500字を超えることが常態化していたので今年は2,000字前後に収めるよう心掛ける。これも目標の1つである。最後に二男の話を少し。3日に北野高校サッカー部の年始の恒例行事である初蹴りに初めて連れて行った。現役生とOBが混じってサッカーをするのだが、幸い中2の二男もプレイさせてもらえ、所属したチームが6チーム中3位に入り賞品のサッカー用の手袋をもらうことができ嬉しそうにしていた。片方失くしてちょうど困っていたところだったのだ。その帰り道、近くのスーパー銭湯に寄り、湯船に浸かっていると、遠くの方で「せんせー」と大きな声を出している人がいたので、周りの人同様に振り向くと、三男のサッカーチームのパパ友であった。そのお父さんは私をそのように呼ぶのだ。そのまま我々の方にやって来てくれたので、二男に挨拶をさせたり、初蹴りの後であることなどを説明したりしていた。そのやり取りの中で、「お父さんと一緒の北野に行くの?」と尋ねられた二男は、その日の出来事と、そのお父さんの明るいキャラクターに釣られて、間髪入れずにはっきりとした声で「はい、行きます」と答えていた。柔らかい笑みを浮かべた良い横顔をしていた。

PAGE TOP