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2024.12.24Vol.668 二人目が一人目、だからと言って三人目が二回目でもきっと一回目(今度こそ後編どすえの後編)

 三者懇談のことから始める。二男の担任の男の国語の先生が、長男が中2のときの女の家庭科の先生同様に、あまりにもちゃんと話ができる人で驚いた。いずれのときも教室を出てすぐに「良い先生でラッキーやん」ということを息子たちに伝えた。半年に1回の面談の際などに、親御様から学校の先生のことを教えてもらうことは少なくないのだがまともな話を聞くことがほとんどない。それもあり元々期待していない。その心づもりでいれば、はずれの先生であっても「まっ、そんなもんだよな」で終わるので余計な負の感情を抱かなくても済む。武者小路実篤著『人生論・愛について』に「愚かな先生は、誠意はあっても、子供に正しくものを教えることは出来ず、ごまかしの生徒をつくり、意気地なしの、生長力の弱い生徒をつくる。人間の肉体が鍛えられるに従って丈夫になるように、又発達するように、人間の脳の細胞もよく働かすことによって、質を緻密にし、又よく活動するようになる。」とあった。最近の先生に感じるのはとにかく責任感がないということ。先生に限らず子供達と関わる者は、社会に出たときに彼らが自分らしく生きて行けるようにすることに対する責任を負っている。関わるのがたとえ小学生のときだけであったとしてもそれをイメージした上で接しなければいけない。我々で言えば学力を上げることが求められているのだが、ごまかしまやかしは許されない。仮に算数で10個のことを教えようとしても3個しか理解できない子がいれば、1~10のうち、どの3つに絞るか、3と4と8なのか、それとも1と5と10なのか、意図を持って選ぶ。たとえば、1と5と10を選択する場合、1ができればもしかすると2と3は自力でどうにかできるかもしれない、5を分かっていないと今後11以降の学習をする上では困るな、といった具合である。3つしか理解できない子なんかに考えさせてもしょうがないから、と、自らの頭で考えるの時間を奪い取り、何でそうなるのかということに興味を持たせること無く解き方を丸暗記させて5つ解けるようにする。そのようなことを繰り返すことによって中学受験では実力よりも少しだけ上の学校に合格し、親からは「この子をよくあの学校に」と感謝されるかもしれない。しかし、それと引き換えに、自分の頭で考える機会と自分で考えて理解できたからこそ得られる喜びを奪ったのであればそんな罪深いことは無い。考える喜びを経験させることによって、大人になったときに「学校の勉強は苦手だったけど、社会に出てからは」という人間になる可能性を高められるのだ。上の「誠意はあっても」の「誠意」は「子供への愛情」という言葉で置き換えらえるのだろうが、正しく教えられもしないのに先生になっている時点で私に言わせれば誠意がない。「誠意」と聞くと、真っ先に羽賀研二の「誠意大将軍」が思い浮かんでしまうからなのか、この言葉自体使わないのだが自らに当てはめると次のようになる。「志高塾に何ができて何ができないのか。それをきちんと把握した上で、興味を持っていただいた方に正確に伝える力を持っていること。場合によっては90%しか理解してもらえないかもしれないし、逆にできること以上の期待を抱かせて110%ぐらいで受け取られてしまうかもしれないが、せめて90%~110%ぐらいの幅に収めないといけない。お子様を入塾させていただいたときに、お伝えしたことを実践するだけでなく、1年、2年と通わせていただいてもその質を落とさないのはもちろんこと少しずつでも高められるようにすること」
 そう、二男の懇談。「お父さん、貫利(かんと)君はリーダーになれる子なんで期待してるんです」という言葉をいただいた。一方で、「40人いる生徒の中で、学校支給のタブレットで授業中にゲームなどをして遊んでいる生徒が10人ぐらいいます。教育委員会からそのデータが送られて来ていて、貫利君もその内の1人です」という話もあった。その晩、妻から面談の様子を聞かれ、リーダーの話をすると「それ、小学校のときからずっと言われてる」と返って来た。要はずっとなれていないのだ。チームにはいろいろな役割があるのでリーダーが偉いわけではない。そのことを踏まえた上で、「ありがとうございます。リーダーというのは誰もがなれるわけではないです。このぐらいの年齢のときは先生や大人の言うことを素直に聞くのがかっこ悪いという感情を持つのもよく分かります。でも、そういうことを期待されているんだったら、自分がしないのはもちろんのこと、周りの仲間にも言葉で『ゲームやめろよ』と直接的に伝えるのではなく、うまく巻き込んでそのような状態に持って行って先生たちから真に頼られるような人に欲しいです」ということを時々息子の方を見ながら先生にはお伝えした。もし、最初の3分ぐらいで「この先生に何話してもしょうがないな」となっていれば、「はい」、「そうですか」、「ありがとうございます」、「今後ともよろしくお願いします」というような受け答えだけしてさっさと席を立ったはずである。二男が中1の頃に一度顔を出した面談は正にそんな感じであった。その他、「正論を吐くけど行動が伴っていない」と情けないことまで言われてしまった。言行不一致の奴がリーダーになれるはずがない。
 字数的にそろそろ締めなければいけない。「誠意」にことのほか紙幅を割いたせいで、二男に関してものすごく中途半端な状態で終わりを迎えることになった。もう少し書きたかったのだが、子育ては現在進行形で、ひとつの問題が解決したと思っても、それが思い込みに過ぎなかったり新たな問題が発生したり、の連続である。たとえ一瞬のことであったとしても、年の終わりにタイミング良くすべてがクリアになるわけではない。一つ言えるのは、こうやって一定期間テーマとして取り上げたことで、材料を集めるためにいつもより二男のことを客観的に眺めることができ、また、声掛けをする際も「文章に書けるようなものにしないと」となったおかげで少し冷静になれた気がしている。それによって関係も以前のように滑らかなものになった。それも、1週間に1回、わざわざこのページを訪れて読んでくださる方がいるおかげである。それはすごくありがたいことであり、志高塾としてお子様の成長の一部に関わらせてもらえることもとてもありがたいことである。
 次回は年が明けて1月7日になります。1年間どうもありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願いいたします。どうぞ良いお年をお迎えください。

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