
2024.11.26Vol.664 スモールデータの収集
大学の推薦入学の志願理由書や就活のエントリシートなどを、短期間で集中的に指導する授業を始めようかとひと月ほど前から考えている。新しく生徒を募集するということである。主にオンラインをイメージしている。
先週火曜の時点で今回のテーマとそれに伴いタイトルもほぼ決まっていて(元は「スモールデータ」であった)、日曜の夕方にはこの文章をある程度書き上げていた。すると偶然にも、日曜の晩にアメリカの高校に通う元生徒のT家の二女から次のようなラインが届いた。「大学に提出するパーソナルステートメントとかエッセイ書きに志高塾いきたいです」、「だれかわたしの作文みてくれるような人いらっしゃいますか?」、「私はもう日本に帰って来てます」。それに対する「嫌々俺がみてあげてもえーけど」には「ほんまですか!」と返ってきて、その後日程のことなどに関するやり取りが続き、「嫌々待ってる」、「たのしみにいきます!」で暴投だらけのキャッチボールは終わりを迎えた。詳しくは聞いていないが、おそらく日本の大学を帰国子女枠で受験するのだ。
前回、字数がそれなりになったため入れ込めなかった内容について。2か月ほど前の話になるが、第2回「beforeとafterの間」を行った。卒業生が、志高塾の生徒や親御様に、これまでとこれからについて語るオンラインイベントである。第1回のK君は学生時代に起業し、プレゼンテーションをする機会が多かったこともあり、1時間弱、基本的にK君が一方的に話をするスタイルを取った。第2回のTさん(T家の長女)も同じように進める予定にしていたのだが、イベント時の学年が3年下で、まだそこまで経験を積んでいなかったこともあり、パワーポイントとそれを元にした話に若干の粗さがあった。そのこと自体、私はまったく気にならなかった。例えるとこんな感じである。日本人がネイティブに、中身がまったくない話を流暢な英語で話しているのと、興味深い話を拙い英語で話すのと、どちらが良いかということなのだ。K君のように、興味深い話を流暢に話せるのがベストであるのは言うまでもないことだが、後者であれば、聴衆は一生懸命耳を傾けて理解しようとするだろうし、場合によっては通訳のような役割を果たしてくれる人を間に立てれば良いのだ。「まだそこまで経験を積んでいなかったこともあり」と述べたが、彼女は3年生にして既に複数回学会で発表をしており、それが評価されて賞ももらっている。そんなわけで、私が質問をし、伝わりづらい部分を明らかにするという方法に早い段階から切り替えた。小4から高校卒業まで勉強を教えていたことに加えて、大学に入ってからの情報も私にはそれなりに入っていたので、できる限りそれらを頭の隅に追いやり、知らない人が「もっと詳しく説明して欲しい」となるところはどこだろうか、と想像することを心がけた。イベント翌日の日曜日、「1回目とはまた違って、とても良い会になった」と満足感を得ていたのだが、ふと「みんなが引っかかっていた部分を解消するための問いを投げ掛けられていたのだろうか?」という疑問が頭をもたげ始めた。週明け、社員と顔を合わせたときに、「否定的なことは言いづらいやろうけど、『俺、みんなが知りたい部分に関してちゃんと聞けてたやろうか』」と尋ねた。想定内の返答があったのだが、それで私自身が納得できるわけではない。そんなやり取りに意味がないと分かっていながらも聞かずにはいられなかったのだ。すると、「beforeとafterの間」の立案者のお母様が面談の際、私がその話題を持ち出したわけでもないのに、「この前の『beforeとafterの間』も良かったですね。先生が、私が聞きたいな、と思うところをことごとく質問してくれました」というようなことをおっしゃってくださった。もう5年以上の付き合いで、お世辞を言うような方ではないので、その言葉には十分すぎる価値があった。そのお母様から、2年ほど前に「卒業生の話を聞く機会があればありがたいです」という話をいただいたことがきっかけで「beforeとafterの間」を始めることができたので「立案者」なのだ。
もう1つ、「本音を知りたいからこそ尋ねない」に関する話を。「Vol.658 基本的には質×量」で、大学の看護学科の推薦入試に合格した女の子のことを取り上げた。その子のお母様が面談で、「書き上げた志願理由書を学校の先生、しかも4人から娘は見せるように言われたんですよ」と切り出された。その瞬間、「ああ、異口同音にめっちゃ褒められた」という話だと分かったのだが、あろうことか「『こんなんじゃアカン』と4人ともから書き直しを命じられたんですよ」と予想外の展開になった。そして、「でも娘は、『松蔭先生と一緒に完成させたから』と学校の先生の指示には従わずに、そのまま出したんです」と続いた。ものすごく嬉しい報告であった。この事実の前では「信頼しています」の言葉がいかに陳腐であるかがよく分かる。日頃から、生徒たちには「『楽しかった』という言葉を使わずに、楽しかった、ということを読み手に伝わるようにせなあかんで」というような指導をしている。
冒頭の話に戻す。大学の推薦入学の志願理由書や就活のエントリシートなどにおいて我々が役に立てるのは分かっている。通常は面白い作文を書く生徒ですら、そのようなものになると変にかしこまった、よそ行きの中身の無い文章になってしまうことが少なくないからだ。ただ、それを求めている人たちがどのようなもの(授業内容に加えて、金額、回数など)を求めているのかを掴めていないこともあり、まずは「要望を教えてください」という形で希望を伺って、それを元に生徒ごとに対応し、ある程度経験を積んだ上で、4回、8回、16回コースなど、いくつかのパッケージを用意しようかと考えている。
推薦入試の時期でもあることも手伝って、この1カ月は志願書関連の添削を私自身がすることがかなり増えている。その1つに、高一の男の子の、多くの志願者の中から選ばれた少数の者だけが参加できる、中高一貫私立高校のニューヨーク研修も含まれている。次回、そのビフォーアフターを中心にしようかと考えていたら、たった今(11月26日(火)A.M.9:26)、お母様からメールが届いた。その一部を紹介して締めとする。
「成績の悪い息子の志望理由書としては、これ以上ないと思うくらい最高でした!」
「どのような結果になったとしても、今回応募した事は息子にとってプラスに働く、またはもうすでに働いていると考えています。」
2024.11.19Vol.663 本音を知りたいからこそ尋ねない
ブログをアップした翌日、今度は半年空けることなく3週間弱でメールをいただけた。それは次のように始まっていた。「書く『決め手』になれて、光栄です!タイトル、秀逸でした」。「タイトルのこと誰か褒めてくれないかなぁ」というのが、恥ずかしながら私の文章に出てしまっていて、それをくみ取って伝えてくださったのであろう。大元の「二人目が一人目、だからと言って三人目が二回目でもきっと一回目」自体かなりのお気に入りで、前回の「後編やおまへん」も、「一発目が『上』やったら、『下』との間に『中』を挟めるけど、『前編』としてしまったからどうしたもんやろか」となっている中で閃いたものだった。韻を踏めたこともあり、本当は誰かに「あのタイトルどう?」と聞きたくてしょうがなかったのを我慢していたのだ。「面白かったです」などとしか答えようがなく、本心かどうかが分からないからだ。返信のメールで喜びとお礼を伝えた上で、「タイトルの説明をするなんて野暮ですから」ということを述べたのだが、それはここだけの話である。
続きを書くと宣言しながらそのままになってしまうこともあるし、書き切った場合でも「言ったからには書かないと」と後ろ向きなときもある。水曜日の段階で、「今度こそ後編どすえ」は先延ばしにすることを決めていた。二男とのことは、文章にすることで自分の頭や心が整理されていることを実感していることもあり積極的な延期である。どういう心境でそのような判断をしたのかを明確には覚えていないのだが、「じっくりと時間を掛けながら現状を見つめ、着実に前に進めて行くために」というような思いは働いていたはずである。ところが思わぬ事件が勃発した。木曜日に仕事から帰りご飯を食べていると、ソファに掛けた私のアウターに、クラブ後お風呂にも入っていないにも関わらず二男が上半身裸のままで寄り掛かっていたのだ。「脂が付くからくっつかないで」と普通に伝えたのだが、「外の空気に触れても脂が付く」とか訳の分からないことを言い返して来て、その後も「パパは最近すぐに突っかかってくる」などと顔をしかめながら不満そうにぶつぶつ言うので、当然のごとく私の頭には血が上り、「こっちに来い!」と目の前に座らせた。そして、そこから15分ぐらいの言い合いが始まった。一進一退とか三歩進んで二歩下がるという表現を充てることが多いのだが、計測器があるわけでもないので、二男との関係がどうなっているのかは実際のところは分からない。一歩進んで五歩下がったぐらいの感覚なのだが、四歩下がっていたとしても、ただ三歩下がるだけのマイナス3よりは随分意味がある気がしている。ある期間で見たとき、結果的に何歩下がることになろうが、一歩でも二歩でも前に進むというプロセスがそこに組み込まれていることが大事なのであろう。着実に前に進むなんてありえないな、ということを学んだ出来事であった。そもそも、そんな簡単に解決する問題なのであれば、これほど反抗期が世の中で話題になることは無いのだ。現時点で他に書きたいテーマがあるので、「今度こそ後編どすえ」はさらに1週間後ろ倒しになるかもしれない。
先週、文章をいろいろといじっているうちに他との関連が無くなったために削ったものの、「来週以降使えるかも」と取って置いた面談に関するものをそのまま貼り付ける。それゆえ、一文目の「昨日」は先週の月曜のことを指している。
半年に1回の親御様との面談の日程を西北校は昨日ですべて終えた。生徒たちから、「『先生と何話したん?』ってお母さんに聞いたけど、また勉強と全然関係の無いどうでも良い話しかせえへんかったんやろ」と言われることがよくある。それに対して、「あのな、きみらの親が半年に1回のタイミングでちょうど大きな悩み事を抱えてるわけちゃうやろ。勉強や成績の話をしてないだけで、意味のない話をしてるわけちゃうから。そういう話を通して、俺のことを信用できると思ってもらえたら何か問題抱えたときに相談してみようかな、ってなるし、逆にこいつはアカンな、となったら、他のところに行くだけのこと。それに、他愛もない話で気が緩んでいるときにその人の本性みたいなもんが垣間見えることがあるから、俺が本当はどういう人かを分かってもらうにはそういう話の方がええねん」それに続けて、「そんな言うんやったら、授業中も余計な話せんと、勉強に関することだけにしよか?」と問うと、「それはやめて。絶対嫌や。それじゃあ松蔭先生ちゃうやん」と返って来て、「せやろ」で締める。生徒たちが面談の話をしたとき、大体こういうお決まりの流れになる。
その「昨日」に当たる最終日に小5の男の子のお父様との面談があった。おそらく今回が3回目か4回目である。「宿題は先にやった方が思い切り遊べるやろ?」、「前の晩に準備していた方が朝に慌てなくて済むやろ?」といったように、「正しい」ことをお子様におっしゃるので、「それは間違えてはないんですけど、それだけに子供はしんどいです。そんなことより、本人に責任を持たせた方が育つはずです」というようなことをこれまでお伝えして来た。今回は、「サッカーでレギュラー取りたいんか?」と聞くと、「うん」と答えるのに、頑張らないんですよ、であった。「私が恋愛に例えると、大した経験も無いのに、といった感じで生徒のお母様に笑われることがあるんですけど」と断った上で、「別れようと思っていても『私のこと好き?』って聞かれると、まだ決心するに至っていなかったら「好きやで」ととりあえず答えるじゃないですか。一週間後に別れを切り出して、『一週間前に好きって言ったのに、あれは嘘だったの?』と言われても困りますよね。だから、そんな質問をして期待する答えを引き出したところで意味は無いんです」という説明をした。もし、どうしても尋ねたくなったら、私が二男に「北野(高校)に行きたければもっとやるはずやけど、全然やらへんやん。ほんまは行こうと思ってへんよな?」と聞いたように、Yesという答えが自分の望むものでないような問いかけ方をするべきなのだ。これに関してもその後ひと悶着あったのだが、それについてもまた今度、ということで。
2024.11.12Vol.662 二人目が一人目、だからと言って三人目が二回目でもきっと一回目(後編やおまへん)
長男のときではなく二男が生まれる前後のことだったと記憶しているのだが、私自身の死亡保険やがん保険を大幅に見直した。自営業者であるため、私が若くして亡くなったり大病を患い社会復帰ができなくなっても、妻が生涯路頭に迷うことなく、息子たちも社会に出るまで最低限望んだ教育を受けられるようにするためである。そういう金銭的なこととは別に、生きて行く上で大事なことは小5ぐらいまでにすべて伝え切ろう、という心持ちでいた。それは、いつ死んでも良いように、ということではなく、反抗期が来て、父である私のことが鬱陶しくなり話にまったく耳を傾けなくなっても良いように、という考えからであった。大きく括っても中学生、高校生、大学生、社会人それぞれの時期で話すべき内容は違うので、そんな早いタイミングで息子たちに対する父としての役割を全うできるはずはないのだが、いつまでも素直に聞いてくれることはない、ということを自分自身に言い聞かせていた。現在、それぞれ高1、中2、小6なのだが、3人ともよく話し掛けてくるし、「こういうことがあった」と私に褒めて欲しくてその日あった出来事を報告してくることもある。反対に、私が時事問題について「何でこうなってるんやと思う?」と仕組みを尋ねても、「どうでも良い」、「めんどくさい」などと返って来たことはこれまでにただの一度もない。いつ反抗期が来ても良いように、と小さい頃からたくさんコミュニケーションを取って来たことの結果なのだろう。1歳ぐらいから参加していた親子ベビースイミングも、大抵一緒に入っていたのは私で、お母さんたちの中でお父さんは私一人ということもよくあった。懐かしい思い出である。
自分の至らなさを親の育て方のせいにして、「子供の頃にもっとこうしてくれてたら」と思うことは基本的に無いのだが、本を読むことの大切さだけは教えて欲しかったな、というのはある。それゆえ、息子たちには「本を読みなさい」はもちろんのこと、「物を知りなさい」、「仕組みを考えなさい」、「考え方を柔らかくしなさい」というようなことをこれまで口酸っぱく伝えて来た。後に続いている3つもすべて読書と関係の深いことである。二男に勉強のことで口出しをしないと決めた後、少し冷静になれたおかげで、「俺はもう十分過ぎるぐらいいろいろなこと(上のことも含めて)を伝えて来たやん」ということに初めて気付けた。二男の中途半端過ぎる勉強に向き合う姿勢を見て、自分の伝え方が不十分やからや、と思い込んでいたのだが勘違いだったのだ。今は、二男の中で化学反応が起こるのを待つしかない。今回もう1つ新発見があった。「期待する」というのは「期を待つ」ってことやん、と。私を含め親がその熟語の成り立ちを意識すれば、もう少し子供に対して辛抱強くなれるのではないだろうか。
上のことに加えて、「子供は親を超えるもんや」ということも呪文のように唱えて来た。息子たちが「パパの子供の頃より~」と言ってきたときには、「子供が親を超えることは当たり前なんだから何でも抜いて行って」と返してきた。身長を、親を超えることの対象として特段意識することは無いが、除外することでもないのでそれもやはり超えて行ってくれたらいい。私が173ということもあり、一つの区切りとしてせめて175には、できれば180ぐらいまでなって欲しいというのがある。そのとき、どういう風に成長の過程を見て行くかと言えば、私自身の小学校卒業のとき、中学校卒業のときと比べるのだ。一見理に適っていそうだが、それぞれの時期では私より上を行っていてもその後伸び悩んで結果的には低くなるかもしれないし、もちろんその逆もある。昨日の夕方の時点でここまで書いていたのだが、昨晩、あるお母様からお借りした本を寝る前に読んでいて、「身長の遺伝率が66%、体重の遺伝率が74%」というものに出会った。この遺伝率というのは少々複雑で、身長で言えば66%が遺伝因子、残りの34%が環境因子やその他の因子によって決まるということではないのだが、ひとつ確かなのは2つを比較したとき体重の方が遺伝との結び付きが強いということである。テレビやラジオでも「あっ、ちょうど俺が考えてたことが話題になってる」と偶然に驚くことはあるのだが、本の場合だけそれを自らの手でたぐり寄せた喜びがある。この感覚は共感が得られるのだろうか。
ここまで2回に渡って二男の勉強のことに口出ししないと決めた、ということについてつらつらと述べて来た。考えを180度変えたのは、「北野(高校)に行きたければもっとやるはずやけど、全然やらへんやん。ほんまは行こうと思ってへんよな?」と問いただしたときに、少し間を空けて「うん」と返ってきた、というやり取りがあったからだ。私と同じように中学受験で大阪星光を不合格になり、その時に「パパと同じ北野を目指す」と言っていたので信じていたのだが、2年生の夏休みをダラダラと過ごし、秋になっても一向にやる気配がないので疑いが生じ、それがどんどん膨らんで行き、本人の意志を確認するに至ったのだ。なお、「やらない」というのは、学校が無い土日、テスト期間中でなければ2日合わせて2時間もしないというレベルである。
(前編)に手を付ける数日前、このことをテーマにするかどうかで正直迷っていた。書くのであれば学校名含め、ある程度具体的にする必要があるので内部向けの『志高く』で扱おうか、でも他に書く題材も浮かんでへんしな、という状態であった。決め手になったのは、中学受験を機に卒業した生徒のお母様から半年ぶりにメールをいただいたことである。お子様の近況報告はもちろんのこと、今もブログを読んでいただいていることなどが述べられていた。それに加えて、「中2は難しいと聞いているので、何かあれば力を貸してください」とあったことである。それであれば、中2の二男のことについて書く意味はありそうだな、と。次回のタイトルだけは決めた。括弧書きの部分を「今度こそ後編どすえ」にする予定である。
つづく
2024.11.05Vol.661 『志同く』が暗示する志高塾の現在地
先週、「期待をちゃんとした上で、イライラしないように気持ちをコントロールできるようにするのが、二男に対して今親としてするべきことなんだな」と書いた。私は時に、この『志高く』を決意表明の場として利用する。格好良く言えば、言ったからにはやらないと、と自分を追い込むためなのだが、特段大きな目標を掲げるわけではない。タイトルからも分かるように前回の続編ではない。他に書きたいことが出て来たというのもあるが、せめてもう一週間経過観察をしようとなったことも関係している。二男のやる気のない態度に改善が見られないどころか私が何も言わなくなったことで悪化すらしている気がしているが、現状、不思議なぐらい腹は立たなくなっている。次回は、後編をお届けできるはずである。
マラソンや駅伝で這いつくばってでもゴールをしようとしたり襷をつなげようとしたりするシーンというのを映像で見ることがある。それらに共通しているのはランナーの意志の強さである。後者はそれに責任感が加わる。個人競技では無いからだ。約1年前に始めた社員のブログ『志同く(こころざしおなじく)』において、3人の社員間で襷がつながらない。2023年12月にHP上の『志同く』のページで私は以下のように述べている。
2か月前に始めた社員のブログ。それには主に2つの目的がありました。1つ目は、単純に文章力を上げること。そして、2つ目が社員それぞれの人となりを感じてとっていただくこと。それらは『志高く』と同様です。
(中略)
航海に例えると、船長である私は、目的地を明確に示さなければなりません。それを踏まえて船員たちはそれぞれの役割を果たすことになるのですが、想定外の事態が発生することがあります。そういうときに、臨機応変に対処できる船員たちであって欲しいというのが私の願いです。それが乗客である生徒や生徒の親御様を目的地まで心地良く運ぶことにつながるからです。『志同く』を通して、彼らが人間的に成長して行ってくれることを期待しています。
社歴が長い順に、竹内、三浦、徳野であり、ブログの担当もその順番である。先週の金曜の段階で各13回ずつ担当する機会があったのだが、残念なことに期限を守れている(金曜日にHPにアップできている)のは三浦のみであり、竹内と徳野はそれぞれ複数回破っている。つまらない自慢をすると、私はこれまでただの一度も日をまたいだことは無い。また、竹内に関しては一度無断で文章を飛ばしている(それゆえ、本来であれば13回/人×3人=39回となるはずが、1回少ないため先週の時点でVol.38である)のだが、その次の回で謝罪することはおろか触れることさえしなかった。
プロスポーツの監督が新聞記者などを使って選手に間接的に不満を伝えるのと同じようなことがしたいわけではない。ここで書いていることはこれまで2人にはその度ごとに話してきたことであり、また昨日の時点で、「明日は前回の続きではなく、『志同く』の期限を守れていないことなどについて書くから」と私の口から直接伝えている。先週、週1回の小学校での授業の際に、「スパイって何から一番情報取るか分かる?」と尋ねたところ、一人の女の子が「新聞とか」と答えた。各国の情報機関は、諜報活動の9割以上を、新聞・雑誌・テレビ・インターネットなどのメディアなどから情報を得る「オシント」(OSINT; Open source intelligence)に当てると言われている。映画で見るような、協力者を使う「ヒューミント」(HUMINT:Human intelligence)や盗聴器を仕掛ける「シギント」(SIGINT:Signals intelligence)は合わせて1割にも満たないのだ。ちなみに3つに共通している”intelligence”とは日本語の「インテリ」とは違い「情報」という意味である。もし、毎週金曜の『志同く』を楽しみにして下さっている方がいるとすれば、金曜にアップされないことに気付いたり何のお知らせも無く順番が飛んでいることに疑問を持ったりするはずなのだ。そうやって読んでくださる方がたとえ一人もいないとしてもいい加減な現状は許されることでは無く、0であるのなら1に、そして5に10にとファンを増やして行かないといけない。三人三様という言葉があるようにそれぞれの個性が良い方向に出て相乗効果が生まれたり、三人寄れば文殊の知恵という言葉があるように、三人ともが同じテーマについて3週連続で書くなどの工夫をしたりするから、来週も読んでみようかな、と思っていただけるのだ。また、ジャズのように即興で、と表現すると大げさだが、何の決め事も無しに前の内容を受けてリレー形式で、いや駅伝形式で次へ次へとつないでいくこともできる。
内容についての話をすると、「Vol.38自分の形は削らない」に関して、「わざわざ時間掛けて読んでくれた人に何を得て欲しいと思ってあれを書いたのか?」という質問を徳野にぶつけた。それを意識していないので答えられなかった。もう1つ、「あれだけ小難しいことをぐちゃぐちゃと書いたら、良くない意味で徳野さんらしいな、って思われてまうで」と苦言を呈した。これは随分前の話にはなるのだが、時間割に無い生徒が振替授業の日を間違えて来たときに彼女がそのまま帰したことがあった。そのようなときは、その生徒が忙しいかどうか、家から教室までどれぐらい時間が掛かるかなどを考慮した上で判断をしなければならない。もし、自転車で10分ぐらいのところから来ていて、他の習い事などでスケジュールが埋まってないのであれば、「悪いけど、今日は先生に余裕が無いから帰ってもらっても良い?」としてもそれほど大きな問題にはならないが、ある程度遠い所から来ているのであれば「添削でちょっと待ってもらわなアカンかもしれへんから、90分ではなく120分ぐらいになるかも知れへんけど、折角来たんやから授業やろか」などの提案をすべきである。それに留まらず、親御様が車でお迎えに来られるのであれば、電話をして、事情を説明しなければならない。今、ちょうど半年に一回の面談の時期である。私は親御様からの相談に基本的にその場で解決策を提示する。そして、これまでの経験上、間違えたことを伝えてしまった、と後から訂正が必要になったことはほぼゼロである。その解決策が一般的に優れているかどうかはさておき、私の答えは時間を置いたところで変わらない。私の頭の回転が速いからそのようになるのではなく、これまで文章を書く時に教育、子育てに関する様々なことをいろいろな角度から考えて来たからできるだけの話なのだ。教室内で起こる出来事に、咄嗟に正確に対応するためには教室外での訓練は欠かせず、『志高く』、『志同く』はその絶好の機会なのだ。
自主性に任せる、という美名のもとに社員の日頃の仕事に対して管理を怠って来た私の責任は大きい。それに対しては、今後どのように対策するかは先週社員に伝えた。『志同く』を通して、我々が人間的に成長したことを披露することをここに約束する。