2か月前に始めた社員のブログ。それには主に2つの目的がありました。1つ目は、単純に文章力を上げること。そして、2つ目が社員それぞれの人となりを感じてとっていただくこと。それらは『志高く』と同様です。これまでXで投稿していたものをHPに掲載することにしました。このタイミングでタイトルを付けることになったこともあり、それにまつわる説明を以下で行ないます。
先の一文を読み、「行います」ではないのか、となった方もおられるかもしれませんが、「行ないます」も誤りではないのです。それと同様に、「おなじく」にも、「同じく」だけではなく「同く」も無いだろうかと淡い期待を抱いて調べたもののあっさりと打ち砕かれてしまいました。そのようなものが存在すれば韻を踏めることに加えて、字面にも統一感が出るからです。そして決めました。『志同く』とし、「こころざしおなじく」と読んでいただくことを。
「同じ」という言葉を用いていますが、「まったく同じ」ではありません。むしろ、「まったく同じ」であって欲しくはないのです。航海に例えると、船長である私は、目的地を明確に示さなければなりません。それを踏まえて船員たちはそれぞれの役割を果たすことになるのですが、想定外の事態が発生することがあります。そういうときに、臨機応変に対処できる船員たちであって欲しいというのが私の願いです。それが乗客である生徒や生徒の親御様を目的地まで心地良く運ぶことにつながるからです。『志同く』を通して、彼らが人間的に成長して行ってくれることを期待しています。
2023年12月
2024.11.29Vol.41 F君の朗報(徳野)
先日、西宮北口校の元生徒で大学2回生のFくんに誘ってもらい、彼が学校の文化祭にて携わったサークルの展示会にお邪魔した。彼が中学2年次から通った約4年間の中で私が関わったのは高校2年次の12月頃からの1年弱だったが、ありがたいことに声をかけてくれたのだ。
Fくんは1浪を経て大阪大学基礎工学部に進んだ。そして、入学早々、「お出かけスポット紹介サークル」を立ち上げただけでなく、SNSでの活動報告の熱心さを買われて、外国人観光客向けのメディアを展開するJapan Travel株式会社の公式アンバサダーを務めている。現在は代表の座こそ他のメンバーに譲った様子だが、Xへの更新頻度は相変わらず凄まじいので、アカウントを覗いていただけるだけでも本人の励みになるはずです。
https://x.com/1IeqedjfwucuPu2
展示会では「ミュージアム同好会」との共同企画が印象的だった。発案者の一人であるFくんは学内にあるほぼ全ての文化系サークルの声をかけ、彼らの活動内容に関連する博物館や美術館を訪問してもらい、さらには作成してもらった個性豊かなレポートたちを公開していた。敬遠されることが珍しくない「ミュージアム」と名の付く場への心理的距離感を少しでも縮めたい、という熱意がひしひしと伝わってくる素敵な展示のおかげか、会場はなかなかの盛況だった。
そして、私が何よりうれしかったのは、人間的に成長した彼にも「変わっていない」部分がしっかり残っていたことだ。
ここまでの内容からは、元から社交的で人を巻き込むのが上手な青年像が思い浮かんでくるかもしれないが、今も抜きんでて社交的というわけではない。私がFくんの性格を一言で表すとしたら「猪突猛進」となる。目標に向かって脇目もふらずに走っていけるスタミナが強みである一方で、中高生の頃は自分の言動がどう受け取られるかに無頓着だった。(現役時代に共通テストの点数が振るわなかった旨をメールで連絡してくれた際、標題にでかでかと入れられた「悲報」にどきりとさせられたのは良い思い出だ。)それが原因で学校では周囲から浮いている様子が会話の端々から窺えたし、対人関係でひどく傷ついた経験もあった。その当時を思うと、「お出かけスポット紹介サークル」に7人のメンバーが集まり、自分のコミュニティを超えて交流の輪を広げている現状は感慨深く、持前の行動力や生真面目さが良い方向に働いていて本当に安心している。「自分の形」を削ることなく生活を充実させられている卒業生の姿を間近で見れたのは収穫だ。
そんなF君にとって志高塾が大切な居場所であったことに違いはない。だが、私自身が「以前通っていた塾の講師」以上の存在になれているか、となると話は別だ。F君が精神的に最もしんどかったであろう時期に私は西宮北口校には勤務していなかった。当時の彼の月間報告を担当し、中心的にやり取りをしてくれていた学生講師の女性Aさんによる尽力は他の社員から度々教えてもらってきた。F君が自身の作文にそのままぶつけたようなフラストレーションを受け止めつつ、客観的な視点を粘り強く示し続けた彼女の存在は、F君にとって教室に通う意味そのものだったはずだ。伸び伸びと言語化できる環境があったからこそ、元々持っていた長所が今に生きているのだけでなく、やり取りで真摯にボールを返してくれるAさんがいたおかげで、(まだまだ成長過程にいるものの)他者と関わっていく下地が形成されていったはずだ。
では、私はどうだっただろうか。F君が志高塾にいた最後の1年間を共に過ごしたことになるが、悲しいことに、読解問題を一緒に解く以上のことをしてあげられた記憶が全く無い。しかも、現役時代は京都大学を目標にしていたものの、共通テストの段階でそのレベルにまで届かせられなかった。また、F君は当塾を卒業した後は、ほぼ自宅での勉強だけで合格を掴み取ったと言える。受験専門塾では無いとはいえ、私は何も貢献できないのも同然なのだ。それにも関わらず、浪人中は何度かメールで近況報告や古文の質問をしてくれたり、今回もイベントにわざわざ招待してくれたりしたのは、ただただF君の律儀さゆえである。彼が手がけた展示に本当に招かれるべきだったのはAさんの方だ。彼らが連絡先を交換していなかったことが悔やまれる。
信頼や尊敬はまず行動に表れる。社員になってからF君以外には6人の大学受験生と関わってきたが、当塾を卒業してから連絡をよこしてくれたのはF君だけである。私は「わざわざ会いたい人」にはなれていないことを物語っている。かつての生徒たちが何か聞いてほしい見てほしいと思ったときにふらっと立ち寄ってもらえるようになりたい。そのためには問題演習の範疇を超えて、進路決定に代表される、生徒たちの「これから」に対して意識的にアプローチしていくのが私の課題である。