志高塾

志高塾について
志高塾とは
代表挨拶
通塾基本情報
アクセス
お問い合わせ
志高塾の教え方
指導方法
志高塾の作文
志高塾の添削
読解問題の教え方
使用教材と進め方
志高く
志同く
お知らせ
志同く


 2か月前に始めた社員のブログ。それには主に2つの目的がありました。1つ目は、単純に文章力を上げること。そして、2つ目が社員それぞれの人となりを感じてとっていただくこと。それらは『志高く』と同様です。これまでXで投稿していたものをHPに掲載することにしました。このタイミングでタイトルを付けることになったこともあり、それにまつわる説明を以下で行ないます。
 先の一文を読み、「行います」ではないのか、となった方もおられるかもしれませんが、「行ないます」も誤りではないのです。それと同様に、「おなじく」にも、「同じく」だけではなく「同く」も無いだろうかと淡い期待を抱いて調べたもののあっさりと打ち砕かれてしまいました。そのようなものが存在すれば韻を踏めることに加えて、字面にも統一感が出るからです。そして決めました。『志同く』とし、「こころざしおなじく」と読んでいただくことを。
 「同じ」という言葉を用いていますが、「まったく同じ」ではありません。むしろ、「まったく同じ」であって欲しくはないのです。航海に例えると、船長である私は、目的地を明確に示さなければなりません。それを踏まえて船員たちはそれぞれの役割を果たすことになるのですが、想定外の事態が発生することがあります。そういうときに、臨機応変に対処できる船員たちであって欲しいというのが私の願いです。それが乗客である生徒や生徒の親御様を目的地まで心地良く運ぶことにつながるからです。『志同く』を通して、彼らが人間的に成長して行ってくれることを期待しています。

2023年12月

2024.10.18Vol.36 いつか振り返るまで(三浦)

 すっかりオリンピックにまつわる話を聞かなくなった。塾では佐藤雅彦氏の著作である『毎月新聞』を読んだ上で行う作文教材があるのだが、この『毎月新聞』の中で、話題のタイミングについて書いている内容があった。紅白の話題は年末年始には盛り上がるが、それを少し過ぎると「その話、今じゃないよね」という時期になり、しかしそれを越えるとまた「あれは良かったよね」と振り返る時期になる、というものである。私の説明では不足しているので、またぜひ元の本にあたってほしい。つまるところ言いたいのは、タイミングを外した今だからこそ、じっくりとオリンピックについて考えられるのではないか、ということだ。
 開催当時に種目外でよく耳にしていた話題に、選手村の食事や環境のことが挙げられるだろう。批判的なものがほとんどだったので偏っているかもしれないが、食事は野菜がベースで、環境としてはやはりエアコンの設置がなかったことがすぐに思い出される。今になってようやく調べてみると、プラントベースの食事は栄養が偏るわけではないとか、そもそも欧州ではエアコンは一般的ではないとか、地熱冷却システムが外気より6~10度ほど温度を下げてくれる仕組みになっていたとか、そういった内容もちらほらと見える。今回のパリオリンピックは持続可能な社会を目指すための工夫が、そして実験が凝らされていた。その工夫は、快適で便利な生活とは共存し得ないものなのかもしれないが、これからの世で必要となるのは間違いない。まあ、一般市民が生活できるかどうかと、アスリートが最高のコンディションを保てるかという話はまたそれぞれ別なのだろうが。
 結果、先進国はエアコンを注文したり自国から持ち込んだり、外部の宿泊施設を利用したり、そして食事に関しても自国からシェフを連れて行ったりといった対策を行うことになった。そう、「先進国」は、そんな工夫ができる。だが、そんな余裕のない国は? 記事を見るに、希望すれば選手村から貸与されるとあったが、果たしてそうだったのだろうか。窓を開けて対策をした話のほうがよく耳にした気がする。
https://www.cnn.co.jp/style/architecture/35220836.html
 それから私の中でずっと渦巻いているのは、「エコ」と「平等」は相反するのでは、ということである。エコのために何かを削ったとき、そのしわ寄せは平等にはならない。当然のことではあるものの、目をそらしていたいことでもある。
そもそもスポーツそれ自体、ユニフォームや国の支援や環境など、様々な面でスタートが横並びではない。それでも、オリンピックという土俵に立った以上は、平等であってほしいと思うのも確かだ。
 少し話は違うかもしれないし、聞きかじったことではあるが、被災地では緊急を要するからこそ、「いらないもの」を考えるコストを減らし、とにかく「必要になりそうなもの」を送り続けることを優先するのだそうだ。場所ごとの偏りを考慮して調整する手間を取るよりも、オーバーしたとしてもまとめて対応した方が合理的なことには間違いない。優先順位は、「足りない」ことをなくすことが最優先なのだから。
 しかし、それができるのは資源が十分だからに他ならない。もっと切迫した状況であれば、必要なものを必要なだけ、という対策をするのは当然だ。例えそれが、時間的にコストのかかることだったとしても。そしてその結果、優先順位をつけざるを得なくなっても。そして資源が不十分だったとき、上記のように分配する仕組みではないのだとしたら、それはもちろん「力のある」方が手に入れることは明らかである。
 ところで、スポーツウォッシングという言葉がある。政治的、国際的に不祥事があっても、スポーツの熱狂により洗い流してしまおう、というものである。スポーツウォッシングといえば、この一連の記事は読み応えがあった。特にかつてのベルリンオリンピックをナチス政権が成功させ(てしまっ)た例は、当時のニューヨークタイムズの記事も相まって、なるほどと思わされる。
https://shinsho-plus.shueisha.co.jp/column/cc/%e3%82%b9%e3%83%9d%e3%83%bc%e3%83%84%e3%82%a6%e3%82%a9%e3%83%83%e3%82%b7%e3%83%b3%e3%82%b0
 今回、終わってみて振り返ったとき、オリンピックは大成功だというパリ市民は少なくないという報道を耳にした。開催前はパリを脱出する市民も多く、そのせいで飲食店などは打撃を受けたそうだったが、今はどうなのだろうか。やはり、良かったものだと振り返る人が多いのだろうか? あるいは、その報道自体が「洗濯」されたものなのだろうか?
 なんとなく、ずっともやもやを抱えている。世間から話題が去っていくまでずっと抱えていても、そうして冷静に振り返ってみようとしても、文章にうまく起こせるとは限らない。もっともやもやを抱え続けていれば、いつかこの時期を乗り越えて、はっとするタイミングが訪れるのかもしれない。いつかリベンジしたいテーマだ。

PAGE TOP