2024.09.10Vol.654 大きな絵
「『自分は~ができているのだろうか?』という疑問が頭をよぎった」というような表現をよく用いている気がする。ワンパターンとも言えるのだが、そのような自問から思考をスタートさせることが多いのも事実である。その問いに対する自己評価が「できているような、でもそうでないような」とボーダーライン上にあるときは、「いや、やっぱできてへんな」と決め付ける。自分に厳しいわけではない。「それなりにできている」と及第点を与えてしまえば思考停止になってしまうからだ。「志高塾を経営する上で、自分は大きな絵が描けているのだろうか?」。これに関しては、悲しいことに「まったくもってできていない」と断定せざるを得ない。
20数年前に遡る。新入社員研修で性格診断のようなものを行った。確か10ぐらいに分類されたのだが、30人弱いた同期の中で私だけが経営者タイプであった。研修の担当者が「生まれつきこのタイプの人はいなくて、マネージャーとしての経験を積むことで後天的になるはずなのに」と首をひねっていた。大学生の頃に松下幸之助、盛田昭夫、本田宗一郎はもちろんのこと、大企業の経営者の本を読み漁っていたのがそのようになった理由のはずである。その頃も大きな絵を描けていたわけではなかったが少なくとも眺められてはいたのであろう。
私が描くべき大きな絵と言うのは、5年後、10年後に世の中がどのように変わるかを予想し、志高塾がどのような価値を提供して行くかを決定し、それを実現するための方策を講じることである。言い換えれば、未来で大きな実がなるような種を蒔くことである。ChatGPTの登場によって、今後より人間味のある文章が評価されるようになる、というのが私の見立てである。人間味がある、というのは、その人らしい、と言い換えても良い。それは我々のような作文を教えている教育機関の価値が高まることを意味している。それが私の未来予測である。しかし、それとは真逆のことを考えている人が大半ではないだろうか。実際、レポート課題が楽になった、と考えている現役の大学生は少なくないはずである。ChatGPT以前は、テーマによっては求めているネット記事を探すのにそれなりに苦労したはずだが、今後そのようなことも無くなる。作文でもレポートでも書き上げることは一つの目的ではあるが、入試などにおける小論文試験などでない限りは、その過程でいかに考えたかが重要なのだ。それが自分の血となり肉となる。そうでないとすれば、私がここまで積み上げて来たこのブログにおける650以上の文章は単なる時間の浪費だったということになってしまう。その時々で気になっていた事柄に対して自分なりに考察をしてきたから、生徒の意見作文を添削しているときや親御様に相談をされたときに、ある程度内容のある指摘や提案ができるのだ。文章を書くことを通して少なからず自らの成長を実感できているからこそ、作文に後ろ向きな生徒たちに対して、少しでも楽しさを感じられるような声掛けをしよう、となるのだ。
話を戻す。自らが大きな絵を描けていないこと、描こうとしていないことについては前々から気になってはいたのだが、どこかで見て見ぬふりをしていた。改めてそれを強く意識し始めたのは今回の自民党総裁選が関係している。連日のように各候補者が掲げる政策がマスメディアで取り上げられ、それに対する意見が述べられるからだ。小泉進次郎は「最高のチームを作る」と会見で述べた。良いメンバーを集めて、彼らが仕事をしやすい環境を整え、チームを一つにまとめられれば結果を出せる可能性は高まる。ただ、どこに向かわせるかを決めるのはリーダーである。そこを誤れば大した成果は期待できない。小泉進次郎が総理大臣になれば、その参謀役を務めるのは菅前首相である。わずか1年と少しの在任期間で、新型コロナ対策においてワクチンを確保し拡大を防いだことや携帯料金の値下げを実現したことなどが評価されているが、見方によってはいずれも目先の問題を処理したに過ぎない。コロナに関することで言えば、世界がよりボーダレスになり今後パンデミックが起きる可能性が高まることを踏まえると、今回の経験を次にどのように生かすのか、また、通信関連では次世代通信規格6Gで日本が少しでも優位な立場を確保するための施策を講じることこそが国家元首に求められている大きな役割の一つである。エネルギー問題においても、原子力を含め、どのようにして今後必要な電力量をまかなおうとしているのかがまったく見えてこない。どれも一筋縄で行かない問題だからこそ、先を見据えた手を打たなければいけないのだ。
現在、オンラインの生徒を増やすことに力を入れようとしているが、それも含めて、今行っていることの延長にあるようなことは大きな絵に描き入れることではない。大きなカンヴァスを前に途方に暮れてはいるものの、その前に立とうとしたことだけは評価しても良いかもしれない。