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 2か月前に始めた社員のブログ。それには主に2つの目的がありました。1つ目は、単純に文章力を上げること。そして、2つ目が社員それぞれの人となりを感じてとっていただくこと。それらは『志高く』と同様です。これまでXで投稿していたものをHPに掲載することにしました。このタイミングでタイトルを付けることになったこともあり、それにまつわる説明を以下で行ないます。
 先の一文を読み、「行います」ではないのか、となった方もおられるかもしれませんが、「行ないます」も誤りではないのです。それと同様に、「おなじく」にも、「同じく」だけではなく「同く」も無いだろうかと淡い期待を抱いて調べたもののあっさりと打ち砕かれてしまいました。そのようなものが存在すれば韻を踏めることに加えて、字面にも統一感が出るからです。そして決めました。『志同く』とし、「こころざしおなじく」と読んでいただくことを。
 「同じ」という言葉を用いていますが、「まったく同じ」ではありません。むしろ、「まったく同じ」であって欲しくはないのです。航海に例えると、船長である私は、目的地を明確に示さなければなりません。それを踏まえて船員たちはそれぞれの役割を果たすことになるのですが、想定外の事態が発生することがあります。そういうときに、臨機応変に対処できる船員たちであって欲しいというのが私の願いです。それが乗客である生徒や生徒の親御様を目的地まで心地良く運ぶことにつながるからです。『志同く』を通して、彼らが人間的に成長して行ってくれることを期待しています。

2023年12月

2024.07.12Vol.27(改) 花と散るか、実を結ぶか(徳野)

 自発的ではないものの、去年から2ヶ月に1冊はビジネス書に触れるようになった。どの著者も、チームマネジメントおよびリーダーの在り方に様々な形で触れていたが、「優れたリーダーには同じ職場にいる全員を納得させる力がある」という認識は共通していた。卓越した能力でチームを牽引するのか、メンバーどうしの調整役に回るのか、方法は人それぞれだ。ただ、利害関係が複雑な政治分野の首長となると、対立する意見の双方に耳を傾けながら議論を円滑に進めるバランス感覚が求められることに疑いの余地は無い。
 しかし、その「常識」を覆そうとしている、というより破壊しようとしているとしか思えないのが、この度の東京都知事選挙の得票数で2位となった石丸伸二氏だ。YouTubeで公開されていたTBSラジオの開票特別番組で、彼がインタビューを受けている様子を初めて目の当たりにしたのだが、その時の衝撃は忘れられない。内容をまとめると、ライターの武田砂鉄氏が、石丸氏の著作中の「接している相手の問題がどうなっても知らないと割り切れるのが、自分のメンタルの強さに繋がっている」という記述に「ぎょっとした」とコメントした上で、「この選挙戦で色々な立場の人とお会いしてお話しすることがあったと思いますが、考えに変化はないですかね?」と問いかけた。しかし、石丸氏は「自分の責任の範囲を定義するという意味で書いた。政治において意見のやり取りをすることを否定はしていない。」という返答をするまでに二度の「逆質問」を投げかけた。その両方とも、武田氏がすでに説明した内容を繰り返す他ないようなものだった。俗に言う「石丸構文」である。(彼に投票した10代、20代の人たちに聞きたいのだが、会話におけるタイムパフォーマンスが低くないだろうか?)
前述の「ショック」の後、私は石丸氏が出演した番組を4つ、テレビ局のものとオンラインメディアのものを2つずつ視聴してみた。どれも用意されていた質問じたいは似通っていたものの、彼は後者に移った途端に柔らかな物腰でテンポ良く話を進めていた。動画アプリのユーザー層からの評価を念頭に置き、「腐敗したマスメディア」を相手取る姿をアピールする狙いがあるのは明白である。だから二面性を晒すことに躊躇が無い。確かに、日本テレビを始めとした大手放送局によるシナリオは紋切型の傾向が強く、インタビュアーの中には意地の悪い誘導尋問を試みているような者も存在した。しかしながら、やり取りの相手を「敵」と「味方」にカテゴライズし、対抗勢力に近しく、かつ自分に疑問を提示してくる人間を突き放す戦術が通用するのは選挙までだ。首長になる前提で戦略を定めているのであれば、限られた時間の中で誰とでも建設的な対話ができることを世間に証明しなければならない。せめて、あなたの考えを詳しく知りたい、もしくは状況を前進させたい、という誠実さを持って疑問や批判をぶつけてくる個人のことは、場所によらずもっと大事にしてほしい。
 石丸氏が躍進した背景には1990年代後半以降に生まれたZ世代からの支持があるというデータが発表されている。「他の候補者のことをよく知らないから」という消極的な理由だけでなく、ショート動画に切り取られた「他者を論破する姿」に魅力を感じる心理も大きく作用していると考えられている。共感はしないが理解はできる。私自身、高校の授業でディベートを経験する中で、「理屈で相手を打ち負かせないと優秀とみなされない」と教えられたのを鵜呑みにしていたからだ。教師を含め誰も「物事を多角的に見る」という本来の意義をきちんと捉えないまま、ディベートこそがコミュニケーションの真骨頂であるとみなしていた。そんな状態で議題に対する賛成・反対を各生徒に選ばせた上で討論を行えば、自分の主張を曲げないことが目的化してしまうのに加え、根拠をなるべく多く出せそうな立場を取る打算的な者を生み出す羽目になる。私が大学を卒業する頃に受けた教育学の講義では「ディベートは時代遅れだ」と強調されていたあたり、話し合いに勝負事を持ち込むことの弊害は全国レベルで明らかになっていた様子が窺える。ただ、大阪府立中学に通う当塾の生徒によると、今でも国語の授業に取り入れられているらしい。(「洋画を字幕版と吹き替え版のどちらで鑑賞するか」という程度のテーマだ)取り組みじたいは否定しないが、立場が異なる人と一緒に何かを作り上げる柔軟性に繋げていけるような機会があって初めて生きてくるものだ。だからこそ、「正解」が明確に定まっていない作文の添削において対話を重視している。その中で形成された人間性が、社会に出た時に「本当に信頼できる人物」を根拠を持って選び取る助けにもなると信じて。
 

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