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2024.06.25Vol.643 Aを通してBを獲得する

 旅行記をちょっと一休み。
 Aを通してBを獲得する。「獲得する」は、Bの言葉によって「身に付ける」などと適切なものに変える必要はあるが、いずれにせよそのような類のものになる。Aに「受験勉強」、Bに「第一志望校の合格」を入れ、「獲得する」を「勝ち取る」にすると、「受験勉強を通して第一志望校の合格を勝ち取る」という一文が完成する。間違えてはいないが、それほどの納得感はない。なぜか。当たり前のことを言っているに過ぎないからだ。AとBが直接結びつくものほどそのようイメージを与える。
 自分の中にぼんやりと存在していた考えが、ある瞬間明確な輪郭を持つことがある。それには大きく分けて2つのパターンがある。1つ目は、「そうそう俺が考えてたことってこういうこと」と本など外部から得た情報によってそのようになるパターン。もう1つは、自らそれに気づくパターン。すっきりすることにおいては共通しているが、それに加えて後者は、自ら掴んだという満足感が得られる。今回のものは後者に当たる。
 東大生の多くが子供の頃にやっていた習い事としてピアノとスイミングが挙げられる。「東大生 習い事」でググると、いかにもという記事が並ぶ。真に受けた我が子を東大に入れたい親が、自分の子供にもさせるわけだが、だからと言って合格できるわけではない。東大生の何割がその2つをやっていたかではなく、その2つをやり、少しでも良い学校に入れるべく中学受験に向けて早くから勉強をさせていたのに、箸にも棒にもかからなかった子供がどれだけいたかというデータこそが参考になるのだが、そのようなものは存在しない。「ピアノとスイミング」と「東大」の間には因果関係は成立していない。最近ポッドキャストで、「ステーキを食べると長生きするのではなく、長生きするような人は80歳や90歳になってもステーキをペロリと平らげてしまう」という話を聞いた。このステーキのような話だと「そりゃそやな」と冷静に受け止められても、自分の子供のこととなると周りが見えなくなってしまい、「やれピアノ、やれスイミング」となってしまう親は少なくない。そのような親の中では、「ピアノやスイミングを通して東大卒という学歴を手に入れる」となっている。このように言葉にすると明らかにおかしいことに気づける。もう少し現実的なものにすると、「スイミングを通して中学受験を戦い抜く体力を身に付ける」となる。私は、仕事柄、何でも受験に結び付けるのは良くないということを経験上知っているので、3人とも習わせたが、「スイミングを通して他のスポーツの基礎になる体を作る」ぐらいに捉えていた。3人には何かしらの球技を真剣にやって欲しかったからだ。ちなみに、3人それぞれ、生け花、アートスクール、陶芸を習っているが、「芸術に親しむことを通して正解のないものにこそ興味を持ち、より良いものを求めようとする心を育む」という考えが私の根底にあった。お受験をした、もしくは、小学校の低学年から中学受験に向けて勉強して来た生徒の中に、正解が1つに決まらないものに関してアレルギー反応を示す子がいたからだ。
 助産師を目指す元生徒である高校3年生の、推薦入試に向けての小論文対策をお願いされた。期間は、1学期の期末試験が終わった7月初旬から本番までの約3か月である。初回の授業までに、願書と共に提出する志願理由書を完成させて来るように伝えた。その際、「貴学が第一志望です」、「助産師になって~なことをしたいです」ということをどう入れるかを考えるところから始めるのではなく、まずは助産師とはどういう仕事であるか、やりがいと辛さの両方をよく知ること、その大学の看護科でどのようなことが学べるのかを調べることが大事だ、ということなどを話した。そのようにした結果、看護師を目指すことに変わりないものの助産師以外の方が自分には向いている、となるかもしれないし、そもそも看護師とは別の道を目指すことになるかもしれない。また、推薦入試で工学部を目指していた同じく高3の生徒が、急遽医学部に興味を持ち始めた。どちらにするか本人が決めかねているため、面談で親御様が「医学部が第一志望になりつつあるのに、推薦入試の志願書を書くのはどうなんでしょう?」と疑問に感じられていたため、「世の中に楽しいことは一つではないため、工学部でやれる楽しいことを探して、それについて論理的に書くことには意味があります」と述べた。この2つの事例に関する私の意見は正反対のように感じられるかもしれない。助産師と決め付けるなと言いつつ、工学部は楽しいという前提で書き進めるべき、と提案をしているからだ。しかし、そこに矛盾はない。それなりに魅力的な選択肢を複数持つことが必要だ、という考えが根底にあるからだ。後者の生徒の場合は、元々工学部と医学部と2つの異なる学部に興味があるので、それぞれについて考えれば良いのだが、前者の生徒は現時点では助産師一択だからだ。いずれの生徒の場合も、「志願書の作成を通して自分が将来やりたいことをより明確にする」となる。
 Aを通してBを獲得する。Bに何を入れるべきかを吟味し、それを意識することでAという行為の質は上がるはずである。

2024.06.18Vol.642 欧州旅行記 ~舞台~

 ある高校生が、舞台を暗くし客席を照らしてはどうか、というような提案を意見作文の中でしていた。テレビで見た、「みなさんのお顔が見たいので、客席を照らしていただけますか」と女優の吉高由里子が舞台からお願いしたシーンに着想を得ていた。いつもと反対の状況に置くことで、客は、見られているかもしれないという緊張感を持ち、また、客席の側から漏れた光だけが頼りなので目を凝らして集中しながら観劇する効果が期待できる、と考えてのことである。5年前にウィーンを訪れた際、元旦に日本でもテレビ放映されるウィーンフィルのニューイヤーコンサートが行われるウィーン学友協会に演奏を聴きに行った。舞台正面の一番良い席に陣取っていた日本人のツアー客のうちの何人かが薄明りの中でずっと爆睡しているのが、私のいた2階席から見えた。あんな良い席なのにもったいないなぁ、と思いながら眺めていたのだが、照らされていると明るくて寝づらい、という効果もあるかもしれない。日本人のツアー客、と述べたが、会話を聞いたわけでも近くで見たわけでも無いので、実際のところはどうであったのかは分からないが、間違いなくそのように思った。あの時点では、まだ「アジア人のツアー客=日本人」というのが自分の中にはあったのだ。
 これまでに何度かここでも書いたはずだが、20代の頃、私の中には高齢者向けのビジネスプランがあった。「少子高齢化」が盛んに言われ出したのは2000年前後であると記憶している。調べてみると、「少子化」という言葉が政府の公的文書に初めて登場するのは、1992年に出された国民生活白書「少子社会の到来、その影響と対応」においてであることが分かった。「地球温暖化」に関して、随分と前から警鐘が鳴らされていたものの、多くの人が実感し始めたのは「100年に1度の大雨」が毎年のように起こるようになったこの5年ぐらいではないだろうか。線状降水帯という言葉が市民権を得たのも最近のことである。未来を危惧する言葉が世の中に現出してから、その言葉が重みを持つまでにそれなりの年数を要するのだ。「少子高齢化」について、私が関心を持ったのは「高齢化」の方である。定年を迎えたある程度お金に余裕のある男性をメインターゲットとしてイメージしていた。それは自分が男とであることと密接に関係している。退職をするまではバリバリ働いていたのに、それを境に、立場がプレーヤーからオーディエンスに変わり、孫の運動会や学習発表会を見に行くことだけが楽しみになるのは寂しいと感じたからだ。私はそのビジネスプランを「ステージ」と名付けた。「舞台」と人生の一つの「段階」であることの2つの意味を持たせた。客席側ばかりではなく、回数は減ったとしても舞台に上がってスポットライトを浴びる機会を持ち続けましょう、という意味を込めた。現役を引退した10人ぐらいでメンバーを組み、たとえば、ツアーガイドをしていた人であればみんなを旅行に連れて行って引率し、料理人であれば料理を振る舞う。歴史に詳しいのであれば歴史について教える。結局それ以上アイデアを掘り下げるのを止めてしまったのだが、「特別披露するものがない人はどうしたら良いのだろうか?」という自問に対して、自答できずじまいであった。
 さて、話は変わらない。あなたがこれまで訪れた美術館の中でお気に入りの3つを教えてください、と言われたら、フランスのニースにあるシャガール美術館とオランダのアムステルダムにあるゴッホ美術館の2つまでは迷わず挙げられるものの、残り1つは難しい。要は、私の中でその2つが飛び抜けているのだ。前者は習作のステンドグラスが地中海の真夏の光で鮮やかな色を発し白い壁が赤や青に染まっていたこと、後者は吹き抜けのエントランスロビーに置かれたグランドピアノの生演奏を聞きながら鑑賞したことをはっきりと記憶している。シャガール美術館を訪れたのが冬の曇りの日であったら、また、ゴッホ美術館で演奏が行われていなかったら、私の印象はまったく違ったものになっていたかもしれない。大学生の頃、フィレンツェに3日間ぐらい滞在したが、ずっと天気が悪く、私自身風邪気味であったので良いイメージが無い。今回、習作ではなく、教会でシャガールのステンドグラスを初めて見ることができた。スイスのルツェルンという町に、ピカソとシャガールの作品がたくさん展示されているローゼンガルコレクションという美術館があるのだが、シャガールがステンドグラスに取り組み始めたのが実は70歳を超えてからだったということをそこで知った。制作意欲が衰えないことに感嘆したものの、それ以上に、その歳になっても活躍する舞台があることに羨ましさを覚えた。
 最後に余談を一つ。ローゼンガルトコレクションに展示されているピカソの作品の一つに女性の肖像画があった。ピカソと聞いて想像するキュビズムのそれではなく、一般的な描き方がされていた。それを見たときに「これ誰かに似てるなぁ。あっ、そうか」となった。冒頭で述べた高校生の女の子のお母様とそっくりだったのだ。そのポストカードを買ったこともあり、彼女に「これ、お母さんにめっちゃ似てへん?」と問いかけると、「くれるんですか?」と返ってきた。単に見せたかっただけなのに、不覚にも「お、おう」と答えてしまった。
 途中、「さて、話は変わらない」などとややこしい表現を使った。名前が出てきたのは後半になってからではあったが、今回は珍しく、予告通り最初から道をそれることなくずっとシャガールにつながる話をしていた。
 このシリーズ、まだ後1, 2回は行けそうである。

2024.06.11Vol.641 欧州旅行記 ~仮説検証~

 ようやくマンハイムに到着。ヨーロッパ旅行の際には、ある一定以上の硬貨を持ち歩くようにしてきた。美術館のような施設でもトイレが有料であることがあり、しかも硬貨しか使えないからだ。日本では、100円玉しか使えないロッカーのあるところには大抵両替機が備え付けられているが、向こうではそれも無い。そのロッカー、ありがたいことにカードが使えるようになっていた。それゆえ、旅の途中からその数を減らしていたら、最終日に立ち寄ったマンハイムで初めてその状況に置かれた。一番近くの売店で水を買おうとしたら500円ぐらいしたので、少し離れたところで200円程度のものを見つけてようやく小銭を手に入れることができた。そのように苦労したこともあり、帰国後初日の中高生が4人いた授業で、「ヨーロッパやと硬貨しか使えないロッカーがあるねんけど、何でか分かるか?」と質問をした。誰も答えられなかったので、「それはな、向こうは偽造紙幣が作りやすいからや。それを判別する装置を付けるのにお金が掛かるねん」と説明し、その後、いつものように教室に置いてあるタブレットで検索して、「ほらな」と見せる手順を踏んだ。私はこの順番をとても大事にしている。仮説を立てた上で検証を行うのだ。
 志高塾では、記述問題は自分の言葉で書くこと、選択問題は消去法で解かせることを徹底している。また、講師たちには、丸付けの際には解答を見ながらではなく、生徒の記述を読むこと、選択肢を消去する根拠の説明に耳を傾けることを大事にするように、と伝えている。生徒がどのように考えて答えまでたどり着いたのかを把握するためである。それによって、適切なアドバイスがしやすくなる。私は初見の問題でも基本的には本文だけを読んで丸付けに臨む。大学受験の2次試験の過去問レベルになるとさすがにそれでは準備が不十分なので、予め記述問題は解く。生徒と自分の答えを突き合わせて、本文のどこをヒントにしたかなどのやり取りをある程度した上で、赤本の解答を確認する、という流れになる。これも一種の仮説検証である。特に京大の赤本の解答の質は低いと言われているので、それをあてにし過ぎるのは非常に危険ということもあるが、仮に解答、解説共に適切であったとしても、授業の前にそれらを頭に入れ込んで、こことここをヒントにして、それをこういう風につなげれば丸になる、という説明はしない。それだと、生徒が「ふーん」となって終わってしまうからだ。
 さて、選択問題。中学受験レベルのものでも私が答えを外すことは普通にあり、逆に生徒が合っているということもある。その場合でも、丸付けの際には自分のものが正解だと思い込んでいるので、生徒の答えが誤りである理由を本文と照らし合わせながら論理的に説明をする。そして、自信満々に解答を見て、「あれ?」となり、少々焦る。間違えていたことを謝った上で、自分が論理的だと思い込んでいたもののどこがずれていたのかを把握して、「俺のここの解釈が間違っていてんな」と明確にして、次の問題に移る。そんなことだらけだと「あの先生、よお分かってへん」と生徒の信頼を失うが、許容範囲内であれば、「先生間違えたけど、俺(私)は合っててん。先生に勝った」と生徒の自信や満足度を上げることにつながる。
 閑話休題。ロッカーの一件、「ほらな」ではなく、「あれ?」がやって来た。随分と時間が経ってしまったので検索ワードを正確には覚えていないが、「ヨーロッパ ロッカー 紙幣 偽造」といった感じで調べたはずである。すると「ロッカーで紙幣が使えないのは偽造されやすいからではない。高度な技術が用いられているため、それは不可能に近いが、コインを補充することが困難なのがその理由である」というような説明がされていた。自動販売機でジュースを買おうとしたら、時々「釣銭切れ」と出てくるときのあれである。そのときも、その場で「全然違ったわ、ごめん」と間違いを訂正した。区別が付かない偽造紙幣がそんなに簡単に作られてしまうのであれば、人間がその確認を行うレジなどではいくらでも使えてしまうことになるので、私の仮説は明らかにおかしかった。その晩、時差ボケ真っ只中だったので変な時間に目が覚めた。余程授業でのことが気になっていたのか、暗闇の中、近くに置いてあったタブレットで、「東急 券売機 ATM 理由」と打ち込んだ。そして、やっぱり、となった。何年か前に、東急電鉄が駅の券売機にATMの機能を追加した、というニュースを聞いたのが頭に残っていのだ。1万円札だけを引き出せるようにすることで、お釣りとして使われることが絶対にない1万円札が券売機に溜まるのを防ぐことができるのだ。要は、溜まったお札を取り除いたり、逆に不足しそうな硬貨を補充したりするには人手が必要になるのだ。こうやって文章を書いていて、別のことも思い出した。孫正義が若かりし頃、アメリカでインベーダーゲームが流行っていたのを目の当たりにし、向こうで下火になったタイミングで、中古のものを輸入して日本の喫茶店などに置いてもらうということをビジネスの一環として行っていた。ある日、故障したから来い、と怒りながら呼び出されて行ってみると、実は硬貨を入れるボックスがいっぱいになっていただけだった、ということがあった。頭の中でばらばらになっていた情報が何かをきっかけにしてつながるとちょっぴり嬉しくなる。
 前述した東急電鉄の記事を読んでいただく必要は無いのだが、それなりに面白いので、URLを貼り付けておく。
https://news.livedoor.com/article/detail/16569673/
 次回は画家のシャガールの話から始める予定にしている。

2024.06.04Vol.640 欧州旅行記 ~番外編の続き~

 2週間前に、ここで「(タイパ)=(効果)÷(時間)で表せるが、『タイパ』と口にする若者の多くは、(時間)に入れる数字がどれも小さいのだ。」と述べた。先週、ヤフーニュースのトップページで、「1試合3分 プロレスにもタイパの波」という記事を見つけた。時間を短くすればタイパが良くなるわけではない。このタイトルは明らかにおかしい。
 大谷翔平やダルビッシュ侑らが所属するメジャーリーグ・ベースボールでは、昨シーズンからピッチャーがボールを受け取ってから投球動作に入るまでの時間が制限されるようになった。試合時間を短縮するためである。もし、上のプロレスのように「効果」を無視すれば、現行の9回ではなく6回までにする、スリーアウトではなくツーアウトチェンジにする、などということになってしまう。前回紹介したハンガリーの大学の医学部に通う女の子は、小1から大学受験が終わる高3まで志高塾に通い、算数、数学のかなりの部分を私が教えたこともあり、帰国した際に算数の授業を手伝ってもらっている。私の指導方法を最もよく理解しているからだ。今回、勤務日時に関して以下のようにやり取りをした(必要な個所以外は省略しているが、原文のままである)「6月24日(月)、28日(土)、7月1日(月)に西北に入って欲しいです。また予定を聞かせてください」、「24日、1日は何時でも大丈夫です。28日の金曜日は何時でも大丈夫ですが、29日の土曜は16時まで可能です」。この気遣いのある返信にはとても感心させられた。28日は金曜日なのだが、私は「28日(土)」と間違えてしまった。普通であれば、「28日(金)ですか、それとも29日(土)ですか?」と聞き直すところなのだが、それをせずに両日の都合を伝えて来たのだ。ラインの一往復分のやり取りが削減されたことではなく、私のミスを浮き彫りにせずに、かつ私が求める情報を提供しているのだ。「コスパ」という言葉自体好きではないが、もし使うのであればこういう時にこそ、である。
 先週、元生徒ラッシュであったことに言及したが、不思議なことに木曜にも同様のことが起こった。インターナショナルスクールに通う中2の元生徒のお母様から、夏休みが3か月ぐらいあるため何か良いプログラムを知りませんか、と尋ねられた。また、高校からアメリカの現地校に入学した高3の女の子が、夏休みになったタイミングで帰国して私を訪ねて来た。そして、「日本の大学を帰国子女枠で受ける予定にしているのだが、そのためには履歴書に書けるような課外活動をする必要がある。何をすれば良いか」と相談された。夏休みに子供や学生向けのプログラムは数限りなくあるが、それっぽいもので溢れている。今調べたわけではないが、きっと「自然」、「コミュニケーション」、「自立」などの言葉がそこかしこに散りばめられているはずである。そこに「英語」が加われば、貴重な体験を積ませたい親にとってばえるプログラムとなること間違いなしである。息子たちがまだ園児だった頃は、お遊びで良かったのでYMCAの宿泊キャンプに参加させていたが、小学校に入ってからは一度もない。
 そこで、大学生の頃に教えていた当時高校生であった元生徒に連絡することにした。彼は、現在38歳で、30歳で会社勤めを辞め、その後は独立して「旅」をキーワードにしていろいろな仕事をしている。無人島に大学生たちを連れて行くこともあれば、旅好きが集まるシェアハウスを東京でいくつか経営したり、その経験が評価され、大学に非常勤講師で呼ばれたりもしている。フェイスブックでその活躍ぶりを見ていたので、彼であれば本物の体験をさせてくれるはずだと期待してのことである。結果的に、千葉県の館山市が協力している、ある物件の実際のリノベーションに関わらせてくれることになった。町おこしの一環のプロジェクトである。自然の中で、椅子やら棚やらを作る工作ではなく(それを全否定する気は無いが)、その建物で実際に使われることになる家具などを製作するのだ。高一の長男も夏休みに入ってすぐの7月末に参加させる予定でいる。このように書くと、「元生徒のために親身になって相談に乗る良い先生」というように映るかもしれないが、そんなことはない。今回の件で言えば、元生徒と連絡を取るきっかけをもらえたのだ。用もなく「最近どう?」と声を掛けるのは気が引けるが、具体的に相談したいことがあれば、それを理由にコンタクトを取ることができる。
 この週末、土曜から月曜に掛けて二泊三日で、一人で福岡に行ってきた。3月に初めて北海道でゴルフをした際に、そのことを嬉しそうにフェイスブックであげたら、それを見た元同僚が、「福岡で一緒にゴルフをしませんか」と声を掛けてくれたからだ。20年ぶりぐらいに会ったので、当然のことながら積もる話がたくさんあり、彼自身も経営をしているので、何気ない会話の中にためになる話がいくつもあった。また、向こうでの友人も何人か紹介してくれた。それゆえ、早くも9月の再訪の日付まで決まった。
 この1週間、元生徒が私に連絡をしてこなければ、次回こそマンハイムのロッカーの話をする予定にしている。冒頭のプロレスの記事を読んでいただく必要は無いのだが、一応、URLを貼り付けておく。
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/e6afaa3d5746952f790f7d1728e295af6f4bca46

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