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2024.05.28Vol.639 欧州旅行記 ~急遽番外編~

 スポーツ観戦をしたことがある人には理解してもらえるはずなのだが、応援しているチームが得点を取ったり勝ったりすると、周りにいる人たちと一緒になって盛り上がる。先週の土曜、午前に西北で授業をした後、一人甲子園に向かった。阪神が点を取る度に例の如くハイタッチをして喜びを分かち合っていると、その内の一人である目の前にいた若い男の子が「間違えていたら申し訳ないのですが」と断った上で、「松蔭先生ですか?」と尋ねて来た。元生徒だったのだ。顔をまじまじと見ても誰だか分からなかったので名前を教えてもらい、「ああ」となった。開校時の生徒でもあったため当時のことはよく覚えていたのだが、まったく面影が無くなっていた。彼は現在27歳で、志高塾に通っていたのは中学受験までだったので15年の空白期間がそのようにさせたのだ。観戦しながらなのでたくさんの話はできなかったものの、どこの会社でどのような仕事をしているかなどを含め、充実した生活を送れていることが何となく伝わって来た。嬉しいことである。
 この欧州旅行記シリーズ、今回の分を含め、後2, 3回は行けそうである。5月12日(日)の17時にフランクフルトを発つことになっていた。フランクフルトは、ドイツとの国境に近いスイスのバーゼルから300km北上したところに位置している。10日の金曜の夜にバーゼルから、ドイツのフライブルクという町に入った。翌日の土曜の午後に、サッカー日本代表の堂安律が所属するチームのホームゲームを観戦するためである。フライブルクは、バーゼルとフランクフルトを結んだ線上に位置するため、そのような意味でも都合が良かった。当日、ユニフォームを買い、サポーターに混じって浮かれながらスタジアムに向かったにも関わらず、ゲートのところで脱がされる羽目になった。そこで初めて知ったのだが、チケットがアウェイチームのサポーターが陣取る一角のものだったからだ。我々の隣にいた幼稚園ぐらいの女の子を連れた3人家族も、堂安が見事に先制点を上げたときに控えめに喜んでいたので仲間だと分かり、完全アウェーのエリアで、敵のサポーターを刺激しない程度に我々夫婦はその子と小さくタッチをした。スポーツに国境はないとはよく言ったものである。
 ここから、旅行最終日にフランクフルト近郊のモーツァルトが半年ほど滞在したマンハイムという町で経験したコインロッカーのことから話を展開する予定にしていたのだが大幅変更。それに伴い、副題を「~仮説検証~」から「~急遽番外編~」とした。
 現在、27日(月)の午後12時過ぎ。いつ以来になるだろうか。土曜や夏期講習期間中のように午前から授業があるわけでもなく面談期間でもないのに朝から教室にいるのは。少なくともここ1年はなかったはずである。旅行に行ったことがきっかけで、もっと何かをしよう、もっと何かをしたいというのが内から湧いて来るようになった。その一環として、まずは現在の仕事の仕方から見つめ直すことにした。元々褒められたものではなかったが、自分の仕事のフォームが少しずつ少しずつ崩れ、さらに悪化していたことに気づいたからだ。一つ決めたのは、まずは教室にいる時間を長くしようということ。この週末、奥にしまってあったコロナ前に電車通勤をしていた頃のカバンを引っ張り出してきた。最寄り駅までは自転車で行くので、背負えるものがベストなのだ。残念ながら朝からの雨で正に水を差された格好になってしまったが、今後はできる限り電車を使う予定にしている。それによって、ポッドキャストを聴く時間は減る一方で読書の時間は確実に増える。
 10時前から教室で文章を書いていると、午前中に教室に届いた郵便物の中に元生徒の名前が書かれた封書があった。彼は、中学の途中で志高塾を辞め、大学受験前に二度私のところに進路相談に来た。当時のことは確か文章にしたはずである。かいつまんで説明すると、次のようになる。「大阪にある芸術系の大学に行く予定にしていたが、学祭で見た生徒の作品にがっかりしたことに加えて、芸術だけで生きて行くのは難しそうなので建築の道を目指そうと思う。京都工繊(京都工業繊維大学)の建築学科が第一志望なのだが、そうなると、これまでまったくやっていない数Ⅲ&Cをゼロからしないといけないから大変だ。先生はどう思うか?」というものであった。「行きたいところがあって、それに必要なんやったらやるしかないやろ」と返した。風の噂で二浪したことまでは知っていたのだが、彼と直接話したのはそれきりであった。封書に話を戻す。開けてみると、展示会の案内が入っていて、「針金アニメ-針金マキ」とタイトルがあり、その下に期間や会場などの情報が並んでいた。空白部分にお母様の字で、「(息子が)個展をすることになりました。宜しければ見てやってください」というようなことが書かれてあった。何のことやらさっぱり分からないので、早速電話をして、「東京芸大を目指したもののうまく行かずに二浪した後に武蔵美(武蔵野美術大学)に進んだこと」、「今は漫画家を目指していて、そのペンネームが針金マキであること」などを教えていただいた。6月1日(土)の夕方にオープニングレセプションがあるので、そこに顔を出せれば良かったのだが、外せない私用があるため9日(日)に行くことに。それに合わせてお母様も私に会うために来て下さるとのことだったので、会場の近くで一緒にランチをしてから行くことになった。話したのも5年ぶりぐらいで、10年近く会っていない。その彼は、何か壁にぶつかれば「先生に相談しようかな」であったり、「今までの人生で先生と呼べるのは松蔭先生だけや」などとよく漏らしてくれたりしているらしいのだが、今回の案内状も「送ろう送ろう」と言いながらそのままになっていたので、しびれを切らしてお母様が代わりに送ってくださったとのこと。「今も宇宙人のままですよ」とおっしゃるので、「変なままで良かったです。あのようなタイプの子を普通にしようと思ったら中途半端なできそこないができるだけなので、変な部分を大事にしてあげながらどうやったら社会で生きて行ける人間になるかを考えて接していましたので」というようなことを伝えた。
 ハンガリーの大学の医学部に通う女の子が帰国するという連絡が昨晩あり、今朝は教室に着くなり、中学入学のタイミングで志高塾を卒業した生徒のお母様が電話をくださった。土曜日からこの3日間、異常なぐらいの元生徒ラッシュである。子供の頃から、誰かに相談をされたら自分なりの考えを真摯に伝えるように心がけて来た。人に頼りにされることなんてそんなにない、という気持ちは昔から持っていて、これからもきっと変わらない。その貴重な機会を独り占めせずに社員にも分け与えるために、親御様とのやり取りを少しずつ任せるようにしていたのだが、自分がさぼる言い訳にしていた部分もあったのかもしれないと反省した。数年前から、開校以来10年以上続けていた教室の掃除も完全に社員に任せるようになり、花を自ら活けて教室の玄関に常に飾っておくという習慣もやめてしまった。0か1では無いので、昔のような頻度にはならないにしても、もう少し自分がやるべきことがあるはずである。もちろん、今日は掃除をした。
 なお、針金マキの展示会の情報は、この後、志高塾の公式Xでポストします。近くにお立ち寄りの際は覗いてあげてやってください。

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