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 2か月前に始めた社員のブログ。それには主に2つの目的がありました。1つ目は、単純に文章力を上げること。そして、2つ目が社員それぞれの人となりを感じてとっていただくこと。それらは『志高く』と同様です。これまでXで投稿していたものをHPに掲載することにしました。このタイミングでタイトルを付けることになったこともあり、それにまつわる説明を以下で行ないます。
 先の一文を読み、「行います」ではないのか、となった方もおられるかもしれませんが、「行ないます」も誤りではないのです。それと同様に、「おなじく」にも、「同じく」だけではなく「同く」も無いだろうかと淡い期待を抱いて調べたもののあっさりと打ち砕かれてしまいました。そのようなものが存在すれば韻を踏めることに加えて、字面にも統一感が出るからです。そして決めました。『志同く』とし、「こころざしおなじく」と読んでいただくことを。
 「同じ」という言葉を用いていますが、「まったく同じ」ではありません。むしろ、「まったく同じ」であって欲しくはないのです。航海に例えると、船長である私は、目的地を明確に示さなければなりません。それを踏まえて船員たちはそれぞれの役割を果たすことになるのですが、想定外の事態が発生することがあります。そういうときに、臨機応変に対処できる船員たちであって欲しいというのが私の願いです。それが乗客である生徒や生徒の親御様を目的地まで心地良く運ぶことにつながるからです。『志同く』を通して、彼らが人間的に成長して行ってくれることを期待しています。

2023年12月

2024.05.18Vol.22 どこにだって(竹内)

 連休中のある日、小学校からの友人が西宮に帰省していたので、「明日空いてる?」と連絡をくれた。年末に会うことが叶わなかったため久しぶりに顔を合わせるチャンスだったのだが、「今、免許合宿中やねん」と泣く泣く断った。既に免許を取得している学生講師も多い中、30も超えてやっとの挑戦である。周囲には運転できる人が多いのと、電車があればどこにでも行けるというマインドであったため、長らく自分の生活には車が必須ではなかった。しかし姉二人は結婚して家を離れ、弟も仕事で静岡に転勤したことで関西に残っているのが自分だけとなると、少し話は変わってくる。実家で何かがあった時に動かなければならないのは私だ(こんなふうに書いておきながら、両親ともに元気に暮らしている)。先の友人にそのような心境変化を伝えて「えらすぎ」と褒められたのが合宿5日目で、その後の教習への励みになったのは言うまでもない。無論、スタートが遅すぎるだけなのだが。
 上記のような理由でゆくゆくは免許を取ろうという考え自体はあったものの、なかなか踏ん切りがつかなかったところ、今年のGWは例年よりも長く2週間教室が休みになることとなった。免許合宿は最短で2週間なので、今がその時だと受け取って車校探しを始めた。せっかくだし行ったことがない土地にしたいのと、時期的に閑散期ではあったので受け入れをしているところというので長野か香川か、というところまで絞り込まれて、仕事の休みのスケジュールとしっかり重なっているというのが決め手で香川県観音寺市に向かうことになった。実のところ長野の方に気持ちは傾いていたのだが、そこはこれから、自分の運転で訪れることにする。
 車にはとても死角が多い。ルームミラーやサイドミラーだけでは見落としがあるかもしれないので、最後には目視確認が不可欠である。常に前に横に、後ろに注意を払っていなければいけない。既に免許を持っている人からすればそんなことは至極当たり前のことであろうが、特に修了検定を終えて路上教習に移行してからは毎日気疲れがものすごかった。田舎の道でこれだったのだから、先が思いやられる。周囲への目配りがどれだけできているかが優良ドライバーになれるかの分かれ目なのだろう。まだ運転をし始めたばかりの頃はとにかく手元ばかりに目線を落としてしまっていて、それによって走行も不安定だった。もっと先を見た方が視界に入る情報自体が増えるし、どこをどのように通るべきかも判断することができるようになる。何だか自動車だけの話ではなくて、日常生活全般に当てはまることである。また、自分自身が合格しなければならない場面(しかも、終了・卒業検定ともに不合格であれば延泊が決まってしまい、仕事にも支障が出る)からは長らく離れていたため、緊張感を味わえたのも大きな経験になった。不安を払拭するには毎日のイメトレが欠かせなかった。指摘されたことを紙に書き出してみたり、ハンドルの操作を図式化してみたり、実際に頭の中に浮かべることや手を動かすことは物事の習得においてやはり大いに効果のある方法であることを身をもって感じることができた。
 田舎で免許を取ると自分の街に戻った時に怖くて運転できないとよく言われるが、田舎町の風景はやっぱり魅力的だ。自動車学校が提携していた温泉施設は有明浜という海辺に面しており、波の音や沈みゆく夕日の赤を毎日感じることができた。数種類のサウナを設けているのが売りで、特に連休中は観光客の利用もよく見られた。免許合宿の実施で若者を中心に呼び込むことも、町に賑わいをもたらすことに一役買っている。決してキャパシティが大きいわけではないのだが、それが丁度良かった。人が多すぎないことで、その町が持っているそのままの時間が流れていく。
 少し話が逸れてしまったのでまとめに。私と同年代で2週間の休みをとれる人はなかなかいないだろうと踏んでいたので、ひっそりと過ごすつもりだった。予想の通り同じ入校日の面々は年下ばかりだったのだが、近畿圏から来ている人が多かったのと、教習時間がよく被っていたので、指導員や地元のお店の人だけでなく、色々な人と話して楽しい時間になったのは良かった。メインの目的がそれであったわけではないものの、やはり「旅」は新しい何かと自分を繋げてくれる。今更ながらに、これから自由に色々なところに行ってたくさんの人やモノと出会えるのだと思うと、わくわくする。「いくつになっても合格は嬉しい」という思いを噛みしめながら、無事に延泊なしで卒業に漕ぎ着けたのだった。

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