2024.02.20Vol.628 名称はそのままで
この決断をできるのは私だけである。
よほどの悪手でない限り、私は社員を含め講師たちからの提案に対して、「いいんちゃう、やってみたら」というようなことを伝える。何も仕事に限ったことでは無いので、子供に対しても同様である。いずれも創業者であるサントリーの鳥井信治郎、パナソニックの松下幸之助の「やってみなはれ」を真似しているわけではない。ただ、特に20代の前半は経営者の本ばかりを読んでいたので、無意識のうちにそうなっているのかもしれない。何かしらのアイデアに対して、言下に却下することは無く、むしろもっといろいろなものを出してくれることを期待しているし、そういう環境を整えているつもりである。それでも、この決断どころか、提案をできるのは私だけである。
2月9日の『志同く(こころざしおなじく)』で三浦が、「小学生だか中学生だか忘れたが、その年の頃になにかの本でこの『反芻』という表現を見かけ、『なんかめっちゃかっこいいやん、使えるようになろ』と思った」と述べていた。小1の3学期、体育の授業で若い女性の担任の先生がドッジボールのチーム決めをした。ここぞとばかりに、「先生、おれのチーム、ざこばっかやん」と抗議をしに行き、その直後、ビンタをくらった。近所の公園で、野球やサッカーをやる際に、取り合いじゃんけんをする年上の子が使っていたので口にしてみたかったのだ。「雑魚」と書くことなど当然知る由もない。年末に千葉の成田から箕面に引越しをし、3学期からその学校に通い始めたこともあり、いつの出来事かを明確に記憶している。担任の先生をあえて「若い女性の」と形容した。まだ20代であったはずである。体罰が良いとは思わない。ただ、40年前のその時点では、先生は、「これをしたら、保護者からクレームが来るかもしれないからやめておこう」ということをほとんど考える必要は無かった。そんなことばかり気にするから、若い先生が心を病むのだ。上の者が、彼らが思い切ってやれる環境を整えてあげれば良いのだが、残念ながらそのような気概のある先生は決して多く無い。
私は、行為としては「反芻」をしているのだろうが、その言葉を頭に思い浮かべることは無い。それは、自分自身のことを信用していないからだ。私をよく知る人に「自分自身のことを信用していない」ということを伝えたら、どちらが多いかは分からないがおそらく大賛成と大反対に二極化する。賛成派の意見はこうである。「確かに、信用できへんわな」。一方、反対派は「めっちゃ自分のこと信じてそうやけど」などとなるはずである。では、どうするのか。ただ繰り返すだけではだめで、自分に何度も何度も強く言い聞かせるのだ。教室の掃除をするのも、1週間に1回、教室の玄関に花を生けることも10年間続けた。初心を忘れないためである。さすがに、心に刻めたかな、となるのにそれだけの年月を要した。掃除を社員に任せるようになり、生け花をしなくなってからは以前のような頻度では無くなったものの、折に触れそのようなセルフチェックは行っている。
十分に前置きをしたので、そろそろ、その提案、決断の内容に。これまで17年間、何度もやめようかな、となったものの「これだけはアカン」とその度に思い直した月間報告をこの3月をもって終わりにする。体験授業に来られた方に、月間報告の具体例をご覧いただきながら、「これは『報告』という名がついているのですが、親御様に渡すためだけではなく、これを講師が作成し、それについて修正箇所のやり取りを私や各校の責任者とすることが研修の役割を果たし、それが志高塾の教育の質を一定以上に保つことにつながっているのです」と説明することは少なくない。その私の思い入れを知っているだけに、誰も提案すらできないことなのだ。ただ、西宮北口校だけのときはもっとうまく回っていたものの、教室が増え、私がすべての生徒の分を管理できなくなってから、少しずつ少しずつ澱のようなものが溜まり始めた。もう10年ぐらい前になるだろうか、確か漬物屋を例に取ったはずだが、「『伝統を守る』というのは味を守るのであって、作り方をそのまま受け継ぐのではない」ということを『志高く』で書いた。材料や気候などが変化しているので、同じやり方では同じ味にはならないはずなのだ。場合によっては、味に手を加えることも必要になるかもしれない。それで言うと、「月間報告」という形式を守ること自体が目的ではないのだ。そして、新しく「隔月報告(かくげつほうこく)」を始める。先週の土曜の朝、教室に向かうために車を運転し始めて、何の前触れも無く思い付いた。30分後、駐車場に着く頃には、偶数学年は偶数月に、奇数学年は奇数月に報告することなどを含めて概要は固まっていた。例えば、中2は8年生になるので、4月、6月といったように2カ月おきに報告することになる。成績が思ったように伸びず、進学塾を辞めて志高塾一本で中学受験に臨む生徒がいる。一気に勉強時間が減るので、「このままで大丈夫だろうか」と心配になった親御様から連絡をいただくことは少なくない。「必要以上の問題量をこなすためにたくさん勉強していたのに成果が出なかったから辞めることになったので、その時間を維持することを目的にしてもうまくは行きません」と返答する。たとえば、だらだら勉強していた10時間をまず5時間にして、その浮いた5時間の3時間は読書、残りの2時間は外で遊ぶことにでも使った方が間違いなく成績は伸びる。そして、勉強の質が高まってから、理想の勉強量に近づけて行けば良いのだ。それと同じで、私や社員を含め、すべての講師がこれまで月間報告に費やしていた時間が計算上は半分になる。それによって生まれた時間の半分ぐらいを使って、講師の質を上げることに費やす予定にしている。これに関しては、私の中には既に具体的なアイデアがあるのだが、社員からそれを遥かに超えるアイデアが出ることを期待している。思い付いたらすぐに口にする私ではあるが、先週の土曜からこれまでの間、誰にもこのことを伝えていない。
そうそう、名称は「月間報告」のままにする。隔月にしたことで本当に教育の質を上げられているだろうか、ということをその都度確認するためである。