2023.10.31Vol.613 損とく勘定
週1回、授業に赴いている小学校で「『怒らないから言いなさい』と先生や親から言われたことがある人?」と質問をしてみた。そのとき扱っていた読解問題の本文で、主人公の少年がクラスメイトの絵の具を珍しさゆえに盗んでしまい、先生の部屋に呼ばれた場面が描かれていたからだ。本文は有島武郎の『一房の葡萄』という小説の一部で、調べてみると1920年に雑誌に掲載されたものであることが分かった。絵の具はまだ高価だったのだ。今とは異なる昔の時代背景を知ることができるのも読書の良さの一つである。そのような意味で、推理小説であれば松本清張を勧めることが多い。50年後であれば、東野圭吾を推すのかもしれない。松本清張の著作は推理小説に限定されていない。実際、アマゾンの著者紹介には次のようにあった。『点と線』でブームを巻き起こした社会派ミステリーを始め、歴史・時代小説、古代史・近現代史の論考まで多岐にわたり活躍。『小説帝銀事件』を読んだときに、「この人はこんなものも書くのか」と驚いたことを記憶している。実際に起こった事件が元になっていて、当初はノンフィクションとして世に出す予定であったのだが、社会的な影響力を考慮した出版社が小説という形を取らせたとのこと。それゆえ、正確には「ノンフィクション小説」ということになる。彼の推理小説が面白い理由をそこに垣間見た気がした。精緻に調べた上で想像力を発揮しているのだ。『点と線』の電車のトリックも単なる思い付きでないからこそ、時を経た今でも新鮮さがあるのだろう。今年の9月に三男と小倉城を訪れた際、その敷地内に「松本清張記念館」があるのを偶然見つけたのだが、時間の都合上寄れなかったのが残念で仕方がない。長男も私の影響でそれなりに彼の本を読んでいるので、そのうちに一緒に行こうかな。
さて、冒頭の質問に対して、ほとんどの生徒が手を挙げた。全員だったかもしれない。「正直に言った結果、怒られた人?」とさらに聞くと、誰一人として手を下げず、「あのときはだまされた」などと漏らしていた。そのようなとき、生徒にも子供にも、私は一度として前言を撤回したことがない。今朝、この書きかけの文章を目にした二男が、「あっ、昨日ちょうどそれ聞いた」と教えてくれた。「(持ってくることを禁止されている)スマホ持って来てる人、怒らないから正直に言いなさい」と担任の先生が言ったが、誰一人として名乗り出なかったとのこと。「僕は誰が持って来ているか知ってるけど」と付け加えていた。まだ我が子が小さかった頃のことだから、おそらく10年ぐらい前のことになるのだろうが、「言うこと聞かないんだったら置いて行くから」という親の言葉に違和感を覚える、ということをいずれかの『志高く』で書いた。残されたままの子供を私は見たことがない。そんなことを繰り返すから、言葉に重みが無くなるのだ。そんなことをしておきながら、「子供は私の言うこと聞かないんです」と嘆いても、後の祭りである。当然のことながら、そのような状況での子供への言葉は、脅しのためではなく、心を動かし、行動を変えさせるためにあるべきなのだ。
昨日、宿題をちゃんとやってこない小5の女の子の算数の授業があった。我々のところで始めて半年ぐらいだろうか。当初は、「やったのに忘れた」とよくある嘘を付いたり、「やってきました」と出すもののプリントの枚数が足りないので追及したりすると、「えっ、そんなはずない」などととぼけていた。「持って来てなければ一緒や」と居残りを伝えると、自分が悪いにも関わらず不貞腐れていたのだが、昨日は「プリント足らへんぞ」と指摘すると、しばらくしてから「あっ、やっぱりありました」といった感じでかばんの別のところから白紙の状態のものを出してきた。それを受けて、「あのな、残ることを受け止められるようになってきたことも、嘘を突き通さへんようになったことも評価するけど、大事なのはちゃんとやってくることやから」と釘を刺した。もう一人、私にこれまでどれだけの手を掛けさせてきたんや、という高一の女の子がいる。小2の頃からの付き合いである。物は考えようで、どれだけ私に叱責されても通い続けていることは一定の評価に値する。先日、授業の日に、本人が「先生、ハー、熱が出て、ゴホッ、しんどいので、フー、今日は、ウッ、休みます、オホッ」といった感じで電話をしてきた。その後、お母様に電話をして、「自分で連絡して来るようになったのは成長なのですが、いかにもしんどそうな風を醸し出すので、あれは止めた方が良いとお伝えください」とお願いした。それを聞いたお母様は、電話口でめちゃくちゃ笑っておられた。
小学校での授業において、その話題の締めに最近当て逃げをした芸人の話をした。好きの反対が嫌いでなく無関心であるように、損の反対を得ではなく徳と位置付ければ、傷口を広げずに済むのではないだろうか。思いがけず問題が起きた際、隠すことで得をする、正確には損をせずに済むということはあるかもしれないが、徳を積むことはできない。こういうことは、その状況に置かれてから考えているようでは遅い。物語の中の女性教師は、そっとひざの上に一房の葡萄を置いてあげただけで何も聞くことはなかった。そんな天使のような振る舞いは私にはできない。小学生に徳の話などしても理解できないので、問題を浮き彫りにした上で、正直に言うことで得するという経験を積ませてあげたい。それが損徳勘定で物事を考えられる人間になるための一歩である気がする。
2023.10.24Vol.612 分からんもんも結構分かる
文章が長くなりすぎる傾向にあるので2,000字前後に収めようとしているのだが、結局いつも2,500字ぐらいになってしまっている。
なんで今年に限って阪神が優勝するんや、と嘆いている受験生の母親は少なくないのではないだろうか。先日、6年生の男の子がいつもより集中して勉強をしていたので、「珍しいやん」と声を掛けると、「ちゃんとせな、お母さんに、阪神の試合見せてもらわれへんから」と返って来た。我が子だけ見ていると焦るかもしれないが、阪神のことで浮き足立っている受験生は少なくないので、それが理由で落ちることはない。関西の学校であれば間違いなくそうである。志高塾生に限れば、彼らは最低限やるべきことをやった上で、阪神のことも楽しんでいる。これが受験まで1か月を切っていれば話は変わるが、日本シリーズが終わってからまだ2か月以上も残っている。今、チャージしている精神的エネルギーを、追い込みの期間で思う存分開放すれば良いのだ。「あの受験の年は最高やった。阪神は優勝したし、第一志望に合格できたし」と彼らが振り返れるように、我々も生徒のためにできることをやるだけである。
「Vol.609 今がそのとき」は、「5年生の三男に向かって、『ほんと馬鹿だなぁ』という言葉を投げつけることが最近めっきり増えた。」の一文で始まっている。以下は、その次のVol.610の冒頭に持って来ていたものなのだが、字数が多くなり過ぎたために削ったものである。
今回も残念ながら三男にまつわる「ほんと馬鹿だなぁ」の新作から。一昨日の日曜日、安土城の営業開始の8時半に間に合うように7時10分に家を出ることになっていた。元々は先週の日曜に行く予定だったのだが、その前日の天気が悪かったから延期にして、代わりに大阪城を訪れた。これだけいろいろな城を巡っているのですべてをはっきりと覚えているわけではないのだが、安土城に関しては明確に記憶に残っている。卒園したての長男と2人、3月下旬の春の陽光の中を、天主閣跡を目指し、心地良い汗をかきながら長い坂を登ったことを。春と秋という季節の違いはあれど、それなりに似通った天候の中で歩きたかったのだ。一昨日は、昼ぐらいから雨予報だったので、少しでも早く行く必要があった。そのことを理由も含め前の晩から伝えており、当日の朝に起きてから念押ししたにも関わらず、「行くぞ」と声を掛けてから、バタバタと最後の準備を始めたのだ。まだ終えられていなかったことを玄関のドアを開けながら叱責し、怒りに震えながらエンジンをかけたものの、すぐ切って家に戻り、「もう、今日は無し」と伝えた。そこからダラダラと説教を始めるわけではなく、「ほんと馬鹿だなぁ」を投げつけて終わりである。その後、気分転換も兼ねてゴルフの打ちっ放しをしているときに、ふと「馬鹿に付ける薬はない」という慣用句を思い出した。辞書には「ばかをなおす方法はない。ばかな者は救いようのないことをいう。」とあったが、私は別の解釈をした。薬で対処療法的に治すことはできないからこそ、時間を掛けて根本的に改善を図る必要がある、と。これに関しては、もう1つおまけの話がある。週1回木曜に配達される『読売KODOMO新聞』の先週の一面が偶然にも安土城に関するものだったのだ。妻が、あえて何も言わずに、食卓の見えやすいところに置いていたにも関わらず三男はまったく気付いていなかった。親として、来週はこのシリーズをお休みできることを願うばかりである。
一昨日、二週間遅れでようやく安土城を訪れることができた。2人ではなく、クラブの試合があった長男を除いた家族4人であった。訳あって、前回より20分早い6時50分に出発予定であったのだが、三男は少なくともその5分前には出られる状態になっていた。子供たちと城巡りを始めてしばらくすると、いつの間にか100名城のスタンプ帳にスタンプを押すことが目的になり、急ぎ足で1日に3つの城を回ることもあった。それに気づいてからは「一日二城」を胸に刻んだ。もちろん、そんな四字熟語は存在しない。たとえば、今回、安土城の後に、「信長の館」を訪れた。長男のときは、その後に他の城に行く予定があったため、その存在すら知らなかった。そこには、1992年に開催されたスペイン・セビリア万博へ出展された原寸大の安土城天主(5・6階)が展示されていた。今回で言えば、「一日一城」であった。
算数において、1問に対して2問解けば、2倍のことをやったように感じるが、その2問は考えるのを早々にあきらめて解答を見て、何となく分かったような気になっただけかもしれない。直後の復習テストでは点を取れても3か月後にどうなっているかは分からない。それよりも1問をじっくり考え、どうにかして自分で答えにたどり着かせた方が長期的には効果があるはずである。「そんなことしてたら塾の宿題が終わらない」という声が聞こえてきそうだが、それは、そもそもその分量がその子には合っていないのだ。もちろん、ただ時間を掛ければ良いというわけではない。その考えている姿を見て、「じっくり」か「だらだら」かの判別はきちんとしておかなければならない。
安土城と「信長の館」において、そこにあった説明などを一緒に読みながら二男と三男に読みや言葉の意味を質問した。その一部を挙げる。極彩異形、恭順、行幸、南蛮、斬新、佐和山城、石山本願寺、石仏、歓待、武勲、饗宴、雲雀、仕度、遺恨、嘆息。復元された正八角形で朱色や金色に塗られている安土城天主を見れば「極彩異形」の意味が、一度だけでなく二度、三度と「行幸」という言葉が「天皇」という言葉とセットになって使われていればその意味が分かる。「恭順」に関しては、「恭しい(うやうやしい)」という訓読みも合わせて教えた。ほとんど頭には入っていないだろうから、言葉を覚えるということにおいては非効率的だが、言葉の感覚を磨くということにおいては効果的だと私は信じている。「分からん」、「知らん」で終わらせるのではなく、どこかに手がかりを見つけて、分かろうとすること、知ろうとすることはとても重要である。分かったときの喜び、知ったときの楽しさを体験させてあげたい。改めて言うまでもないが、もちろん生徒たちに対しても、である。やはり2,500を少し超えてしまった。
2023.10.17Vol.611 今は昔、とまでは行かないが
少し前に触れた中学生の頃の成績表に関して。以下は、3年時の担任の所見である。
1学期
みんなを元気づけたり、行事を盛り上げたりしてくれる時の発言や行動にはすばらしいものがあります。ただ、自分の感情(好み)を全面に押し出すのは、まわりへの影響が余りにも大き過ぎます。慎んでください。
2学期
言葉と行動の不一致が目立ちます。ともすればやすきに流れ、信頼を失う時もあります。クラスの中心にどっかり座り、進路に悩む仲間にとって、強力な助人になってほしいと願っています。
3学期
物事にこだわるのは悪い事ではありません。ただ、もう少しTPOをわきまえてほしいと感じるときもありました。何事にも納得しないと気がすまないのはよくわかりますが、回りにも同じような気持ちの人もいるのです。一歩引いて周りが見れるようになれば人の上に立てると思います。
これを読んだとき、私のことを知っている人のほとんどはきっと「分かるわぁ」となることであろう。指摘したい材料に事欠かなかったはずなので、何を書けばいいだろうか、と先生の頭を悩ませることは無かったであろう。その点においては貢献できたはずである。厳しいことを言うのも簡単ではないが、上のものを読む限り、特別言葉も選んでいないようなので、私の通知表を作成する上での苦労は少なかったと信じたい。この男の先生とは、10年ぐらい前に同窓会で、卒業後20年ぶりぐらいに顔を合わせた。私のことを嫌っていたと思い込んでいたのだが、話していると「意外とそうでもなかったんだな」という印象を受けた。よく考えてみると、その先生は1年の頃が副担任、2年と3年が担任であった。中学か高校のいずれであったかは忘れてしまったが、春休みに職員室に行った際に、先生たちが生徒の名前が書いた札を並べて、入れ替えたりしている場に出くわし、「見るな、出ていけ」と注意されたことがあった。積極的であったか消極的であったかは分からないが、その先生は私のことを引き受けたのだ。
当時、クラスで何かを決める際、自分の意見を通すために反対意見を言われれば強引にひっくり返そうとしていた。記憶は定かではないが、自分が多数派で、反対票が投票結果に影響を与えない場合ですら、そのように振る舞っていた気がする。今も、自分の考えを明確に打ち出すことに変わりはない。もしかすると、昔よりもそれは強くなっているかもしれない。志高塾のHPが正にそうである。明らかに変化したのは、自分の考えは数ある中の1つでしかないということを認識できるようになったこと。その上で、それについて丁寧な説明を心掛けるようになったこと。それによって親が求めている教育が志高塾に無いにも関わらず入塾する、というミスマッチが起こらないようにしている。それはほぼ解消不可能であるにも関わらず、そこに多大な精神的なエネルギーを注ぎ込むことになるからだ。それは双方にとって好ましくない。また、入塾当初はある程度ベクトルの向きが同じでも、そのずれの幅が大きくなっていくことがある。生徒が中学受験をする場合、我々は、人間的な成長を促すことで志望校の合格率を高める、という方針を取る。たとえば、入試本番まで1週間を切っていても、ふざけて目の前のことと真剣に向き合えていなければ、それまで同様に途中で帰らせるということはこれまでにも何度かあった。「今は大事な時期だから特別に許すけど、受験が終わったらちゃんとやれよ」なんてありえない。大事な時期にちゃんとできていないことを分からせてあげないといけない。そして、それは大事な時期だからこそより強く響き、その後に生きるはずなのだ。少し大げさに表現すれば、それだけの覚悟を持って生徒たちと接している。ちなみに、そうやって帰らせた生徒が第一志望の学校に不合格になったことはただの一度もない。
さて、ずれの幅が大きくなる話。2年生の3月から通ってくれていた生徒が、6年生になったこの春に辞めることになった。そのお母様は、半年に1回の面談の際、次の人がいなければ2時間でも3時間でも私と話をしていかれる方であった。我々のところに来たときには、既に進学塾に通わせていたはずである。志高塾の方針を理解し、大いに賛同して下さる一方で、どうにかして良い成績を取らせたいという拘りも強かった。3, 4年生の頃はそれなりの成績であったが、私からすれば5年生ぐらいのタイミングで落ちてくるのは明らかだったので、時間を掛けた上でもっと本質的な手を打って行かなければいけない、ということを折に触れ伝えていた。一例を挙げると、日頃の復習テストに必要以上に時間を掛けて、その点数によってクラスを維持してもだめなのだ。どこの進学塾も日頃の復習テストと実力テスト(公開テストなど)の成績によってクラスが決まる。その2つのクラス内順位はある程度同じレベルにあるべきなのだ。復習テストの方が良くて実力テストが悪い、というのは危険信号である。話を戻す。私の予想通り、5年生になり成績は下降し始めた。以前から志望校は聞いていて、6年生になってもそれが変わることは無かった。私は、その可能性がほぼゼロに近いこと、そのまま貫くのであれば、少しでも確率を上げるために取り組み姿勢の根本的な改善が必要であるということを改めて説明した。お母様はそれまでにも理想と現実の狭間で苦しんでおられたし、私はそのことを把握していた。面談をして、その後何回かのそれなりに長いメールのやり取りをした結果、お母様は決断を下された。その生徒が辞めることになったのは悲しい出来事ではあったが、そのお母様とは十分に意見交換をした。やれるだけのことはやったし、当然のことながら、それは私が精神的なエネルギーを注ぎ込むことに十分に値することであった。子供の頃、いや、20代の頃までの自分であれば、「なんでそんな当たり前のことが分からないんだ。あなたは間違えている」という対応をしていたはずである。話し合いを重ね、意見の相違の部分を解消しながら同じ目標に向かって進んで行く、ということは以前よりはできるようになった気がしている。1年時の通知表には、「謙虚さも社会生活の中では必要です」とあった。こと謙虚さに関しては、大して変わりがないのかもしれない。
2023.10.10Vol.610 自他責任
先に連絡から。高2のおくむらちひろさん(お母様より平仮名表記で、とお願いされたため)が、「第6回 世界青少年『志』プレゼンテーション大会」の第3次審査に通過し、2023年11月4日(土)に東京で行われる本大会に出られることになりました。第1次から3次まではすべて動画による審査(進むにしたがって制限時間が長くなるため、彼女は親に協力してもらいながら、その都度撮り直しを行い、内容自体もブラッシュアップしていきました)だったのですが、かなり良い仕上がりになっていました。他の候補者については知りませんが、あの内容からすると良い結果が得られるはずです。以下のURLから申し込めば、オンラインで参加でき、リアルタイムで見られなかった場合でも、後ほど動画視聴が可能とのことです。また、オンラインでも投票する権利があるとのことです。彼女のためにも、一番優れていると心から思えた場合に限り、一票を入れていただければ幸いです。
https://kokorozashi.me/wyk/2023.html
今回のメインテーマは社員教育である。少なくともこの3年ぐらいは社員会議をどれぐらいの頻度で行うか、何について話し合うかも含めてほぼ任せていた。特別なことが無い限り、私が議題を与えることも出席することも無かった。私が関与した分だけ、社員の自主性は失われると考えてのことだ。しかし、とっくの昔に結論は出ていた。自主性など生まれてはいないし、本来やるべきことがあるべきスピードでまったく持って決まって行ないことは明らかであった。そのしわ寄せが見えない形で生徒や親御様に及ぶのはもちろんのこと、社員自身が成長し、それを実感する喜びも奪っていたのだ。自戒の念も込めて、「不作為という無策」というタイトルにしようかと思ったが「自他責任」にした。何かがうまく行かなったとき、誰かのせいにせずに「自分の責任だ」と心の中で思うことはとても大切なことだが、上に立つ者がそれをそのまま口に出せば良いかというとそうではない。すべての責任を負ってしまえば、良い結果が出たときの手柄も全部自分のものになってしまうからだ。責任を持たせるというのは、自分の負担を減らすためではなく、うまく行ったときの満足感を与えるためであるのだ。「喧嘩両成敗」のように「両方」ではなく「他自」でもなく、「自他」であるべきなのだ。
先日、リニューアルした第1回社員会議を実施した。今後月に1回のペースで行っていく。もちろん、議長は私である。その場で、月に1回ずつ金曜日に、各社員が志高塾の公式Xに文章をポストすることを決めた。志高塾カレンダーの毎月度2週目が徳野、3週目が竹内、4週目が三浦の担当であり、既に先週の竹内の分は掲載されている。なお、1週目は、3人がそれぞれビジネス関連の1冊ずつ本を読んで、それに対する各人の感想文をまとめたものを載せる。1人の社員から、「載せる前に添削をして欲しい」とお願いされたが、「載せた後のものに関してはコメントするけど、前にはしない」と断った。すべて自分一人でやり切ることで緊張感が生まれ、それによって達成感や満足感が得られるのだ。実際、当日の朝、竹内に「文章はどう」と確認したら、「ほぼできあがっています」と返って来たのだが、アップされたのは日付が変わる直前の23時59分である。ぎりぎりまで修正を掛けていたのだ。もし、最終チェックを私がするとなっていれば、昼過ぎには私の手元に文章は届いていたはずである。なお、その文章に関しては、その翌日にメールで以下のような指摘をした。「『バスケ大会』だけでは意味が分かりません。『講師、生徒たちと行った志高塾のバスケ大会』などとすることで、『志高塾はそういうこともやってるんだぁ』ということも合わせて伝えることができます。」
次に、決定したことに関する狙いについて述べる。文章を書くことに関しては、作文を教える立場にあるため、自らのスキルを磨いておく必要がある。私がブログを始めたのも同様の目的からである。また、親御様にどういう人かを知っていただくことにもつながる。たとえば、高槻校に問い合わせをいただいた方に、「教室責任者はどんな人ですか?」と問われれば、「Xに教室責任者の三浦に文章が載っているので、読んでいただけないでしょうか」と返すことができるようになる。半年ぐらい前だろうか、体験授業に来られたお母様から、私のブログをかなり読んだことを教えていただいたので、「こうやって私と実際に話してみて、文章とのずれはありませんか?」と尋ねたら、「電話のやり取りからして思った通りでした」と返って来た。単に事務的なやり取りをしたに過ぎなかったのだが。また、ビジネス関連の本というのは、小説などではなく、今の社会を知るための本というイメージで捉えていただきたい。志高塾は、コンクールで賞を取るために作文を教えているのではない。上のおくむらさんのプレゼンテーションは、外食弱者(食物アレルギーがある人など)が感じる不便を工学の力で解決するために自分が何をするか、ということについてのものである。また、中3の生徒は「高円宮杯第75回全日本中学校英語弁論大会」の兵庫県大会において3位に入り、全国大会への切符を手にしたのだが、そのテーマは「日本におけるジェンダーギャップを無くすために」というようなものである。2人ともスピーチの中で今後自らが取り組むべき具体的なアクションプランを提示している。
社会に出たときに、個人でアイデアを生み出したりチームをまとめたりするのに役立つ力を、作文を通して養うのが我々の一つの役割である。それにも関わらず、社員の3人は社会を知らなさすぎる。進むべき方向が分かっていない状態で、生徒たちをより良く導けるはずはないのだ。その他、外部のセミナーに出ることも課した。企業で働いていた頃にそういうものにそれなりに出席させられたが大抵はつまらなかった。それを知ることも勉強である。
いつもながらに偉そうに述べてきたが、私が世の中のことを十分に知っているわけではない。社員に課す限りは、私自身がもっと学ばなければならない。それも、やはり「自他」の順番であるべきであろう。
2023.10.03Vol.609 今がそのとき
5年生の三男に向かって、「ほんと馬鹿だなぁ」という言葉を投げつけることが最近めっきり増えた。「めっきり」というのはちょうど今の時期がそうであるように「めっきり涼しくなった」や、子育てであれば「怒らないといけないことがめっきり減った」などとポジティブな意味合いで使う気がしていたので念のために辞書を引いてみた。「目立って変化するさま」とあったので、いずれの場合でも使えることが判明。
「Vol.606 棚卸作業をしたからこそ見えてきたこと」の冒頭で、9月20日(水)の夜に、三男を小倉駅でピックアップする予定であることを伝えていたが、結果的には宿泊地である門司まで一人で来させた。小倉駅から門司駅までは在来線で15分程度なのだが、知らない土地で乗り換えを経験するのも良いのではないか、と考えてのことである。21日(木)は下関で宿を取り、22日(金)は朝からふぐで有名な唐戸市場に行き、海鮮丼を食べる予定にしていた。それは、旅行前に三男がいくつか出したやりたいことの1つであった。その日の朝、早起きして私と一緒にお風呂に行き、三男はそのままそのフロアにある漫画を読めるスペースに残ることになったので、出発の時間と、準備をするためにその15分前には部屋に帰ってくるように伝えた。時間は守ったものの、あろうことか漫画片手に戻ってきたのだ。そこで、冒頭の一言である。しかも、その日は萩に移動し、松下村塾を含め、維新の志士に関わる施設を訪れることになっていたため、旅行情報誌に載っている分(たかだか見開き1ページ)に関しては事前に読んでおくように旅行前から伝えていたにも関わらず、それもしていなかった。そして、三男は、私が唐戸市場で朝ご飯を堪能している間、車に残ってその雑誌を読むこととなった。
私は、あれをしなさい、これをしてはいけない、といった形で、カチッと決め込むことを好まない。その理由は主に2つ。1つ目は、それさえクリアすれば良いんでしょ、いう打算的な考え方になってしまうから。2つ目は、指示待ちの人間になってしまうから。これは生徒たちに対しても同様である。決め事の数を必要最低限に絞り、かつそれらを意味のあるものすることが私の役割である。
「ほんと馬鹿だなぁ」は、頭が悪いということではない。これもやはり生徒も我が子も同様で、能力を否定することだけはしない。人の話を聞いていなかったり、それもあって同じ過ちを繰り返していたりという物事との向き合い方、取り組み姿勢に対する叱責である。
今回の旅で、三男の『日本100名城に行こう』というスタンプ帳を見て驚いたことがある。鹿児島城のところがブランクのままになっていたのだ。この夏の終わりに鹿児島に行った際には、既に訪れたこともあり立ち寄らなかった。そして、思い出した。「ただ行っただけでは意味が無いので、せめて自分でページを開いてどこに押すかが分かるようになってからスタンプ帳を与えよう。三男とはまた改めてこれば良い」と以前に考えていたことを。長男のスタンプ帳を見ると、鹿児島城のところには「15年3月24日」とあった。当時、三男はまだ2歳だったのだ。ちなみに長男は、埼玉の鉢形城、川越城と千葉の佐倉城、そして、東京の江戸城の4つを残すのみである。96城はすでにクリアしているのだ。
三男は、美術館などに連れて行っても作品をじっくりと見たり説明をきちんと読んだりすることができず、それが日頃の短絡的な思考と結び付いていると感じていたのだが、その原因が掴めた。二男は長男に少し遅れを取るもののどうにか付いて行けるが、三男は到底無理なので飛ばして行くしかないのだ。三男のペースに合わせてあげることが大事なので、4泊5日の旅から帰ってすぐ、「これからは想士(そうし)と月4回の日曜のうちできれば3回、少なくとも2回は2人で城巡りを中心にいろいろなところに行く」と妻に伝えた。長男は少なくとも年長のときには私と2人で遠出をしていたので、5年遅れていることになる。時々親御様から「もう手遅れですか?」と尋ねられることがあるのだが、決まって「そんなことはないです。気づいたときにやるしかありません」というような返答をする。今がそのときなのだ。
どこの城であったかは忘れてしまったのだが、毛利元就が信仰した三面六臂(さんめんろっぴ)の仏像、摩利支天(まりしてん)について、絵と共にそれに関して解説されていた。その絵を見ながら、「何が三で、何が六なんだと思う?」というような質問をした。子供時代に読書習慣が無かった私は、恥ずかしながら大人になっても「八面六臂(はちめんろっぴ)」という四字熟語を知らず、国語を教えるようになってから過去問で出て来たので慌てて意味を調べたものの一発で覚えられず、それを何回か繰り返し、ちゃんと頭に納まったのは最近のことである。だが、今回の一件でもう頭から抜けることはない。また、八面六臂が三面六臂から来ているということも知った。もしかして、と子供の頃アニメで見ていた『キン肉マン』に出てくるアシュラマンというキャラクターについて調べてみたら、「3つの顔と6本の腕を持つ魔界のプリンス『アシュラマン』」と出て来た。もし、そこに長男や二男がいれば、三面六臂に関して、上のようなやり取りを三男とすることは九分九厘無かったはずである。旅行期間中、ルビを振っていない漢字の読みを聞いたり意味を尋ねたり、それ以外にもいろいろ考えさせたり私が説明したり、とできる限りたくさんの会話をしながら見て回った。
真夏を迎えるとさすがに歩き回る気力が湧いてくる気がしないので、ひとまず来年の6月ぐらいまでは2人で楽しい時間を過ごす予定にしている。そのときには、「ほんと馬鹿だなぁ」はめっきり減っているはずである。