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2022.12.06Vol.570 あのとき必要だったのは自身ととことん向き合うこと

2004年10月17日(日)(一部抜粋)
「とにかく人の話を聞くこと そこから始めよう」
決しておごるな。常に謙虚であれ。誰かに命令をするな。
自然と協力したくなるような環境を作る方法に関して熟慮しろ。

2004年4月21日(水)(一部抜粋)
「夢を持つこと そしてチャレンジすること 自分に負けないこと」
やはり自分の気持ちをコントロールするのは非常に難しい。
気を付けてみると、いかに自分がくだらないことに対して、くだらない考えを持っているかがわかる。簡単ではないが少しずつ変えていこう。自分のために。

2004年4月22日(木)(一部抜粋)
「夢を持つこと そしてチャレンジすること 自分に負けないこと」
自分がどういう感情を何に抱いているかに注意してみると、実にくだらないことに対してくだらないことを考えている。それが自分のプラスになるか?また、その対象となっている誰かの役に立つか?ほとんどの場合、答えはノーである。まず、このように考えることにしよう。人が完璧でないのは自分が完璧でないのと同じであると。人に求める余裕があるなら、まず自分に求めてみよう。それが何よりもいいと思う。しばらくはそれに気を付けながら生きることにしよう。

漢字、平仮名を含め、当時の表記そのままである。
 
 スペイン戦で勝ち越しゴールを決めた田中碧が試合後に宿舎で行われたインタビューで「日記に毎日ワールドカップで点を取ると書き続けていたんですよ」とコメントしていた。それを見た土曜の時点でブログのテーマが何も思い浮かんでおらず、それをどうにかして見つけるか、恥をさらすか、を天秤に掛けて、大して迷わずに後者を選んだ。
 もう捨ててしまったと思い込んでいた日記帳を、実家に置いたままの自分の荷物を整理しているときに偶然見つけた。1、2年前のことである。人生において日記を付けたのは、2004年4月12日から2005年1月9日の期間だけである。26歳から27歳にかけてのことであった。
 人の記憶なんていい加減なものである。もし、生徒がこのような表現をしたら、添削の際に「『人の(記憶なんて)』と一般化せずに『私の』とするのとどっちが良いか考えた上でそうしたんか?」ときっと突っ込む。こんなものに正解は無いので、意図的に言葉を選びなさい、ということを伝えたいがための指摘である。昨日は、週に1回小学校に教えに行く日で、生徒が黒板に書いたものを別の生徒が添削する、ということをさせていた。彼らにはこれまでにも何度か伝えてきたが、「添削は批評であって批判ではない。だから、添削する人は遠慮せずにやれば良いし、された人も『元の自分のものの方が良いのに』と腹を立てずに、自分のものとどこかどう違うかをよく見なさい」というアドバイスをし、「俺はこの歳になっても人の意見を中々受け入れられないけど、そりゃそれができる人になった方が良いよ」と付け加えた。高校時代の英単語帳にあった”critical”の先頭にあった意味は「批判的な」であり、クリティカルシンキングも「批判的思考」と訳されることが多いが、私の中では「批評的思考」の方が断然しっくりと来る。
 閑話休題。4月から始めたことは覚えていて、丸1年は続けたと思い込んでいた。しかし、実際はそうではなかった。ちなみに、なぜ4月1日ではないのかと言うと、思い立ったのがその日では無かった、というだけの理由。新年度を迎えるに当たって何かしよう、ではなく、ある日、急に「今日から日記を書こう」となった。ジャズ喫茶を経営していた村上春樹が、ヤクルトの開幕戦を観戦中に何の前触れもなく「小説を書こう」と決めたのとは随分とスケールが違う。それは偶然にも4月1日だったのだが、日本人は無意識のうちに4月の訪れとともに何かを始めたくなるのかもしれない。それであれば、欧米人は9月にそうなるのだろうか。
 日記の形式について少々説明を。掌サイズのメモ帳1ページを1日分としていたので、大体100字から200字程度であった。その日の記録を付けるという目的はほとんど無く、冒頭の例が示すように自分と向き合う手段であった。例外もある。フランス旅行中であった8月27日分には、ホテルから見えた世界遺産のモンサンミッシェルを描いた下手くそな絵が残されていた。また、始めたときは無かったものの、上で挙げたちょうど4月21日から「」を付けて冒頭に決まり文句を書くようになり、それは1冊を終える(約2か月間)まで変えなかった。ちなみに2冊目は「何もかも忘れるぐらいに物事に熱中しよう」で、「とにかく人の話を聞くこと そこから始めよう」が3冊目のそれである。
 当初は「ひとまず1年は続けよう」と思っていたはずなのだが、結果的にはその前に止めている。続けられなかったのではなく、次の段階に移るべきだと判断してのことである。当時、自分があれをしよう、これをしようと書き記したことの多くは未だにできていない。できるようになったからではなく、文字に起こす必要性を感じなくなったのだ。今も、それなりの頻度でセルフチェックは行っているが、今回いくつか読み返してみて分かったことがある。それは、あの時考えていたことが現在自問する際の問いになっている、ということだ。
 意見作文に取り組んでいる生徒たちに「耳触りの良いきれいな文章なんて書いたところで何も残らない。作文というのは自分と向き合う貴重な機会なんだ」と伝えることがある。これまでそんなことを考えたことも無かったが、一時期日記を書いて、私自身がその作業をしていたことと無関係ではないのかもしれない。

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