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2022.06.28Vol.548 断片集(スポーツ外編)

 6月26日(日)午前8時過ぎ。機上の人である。旅のエッセイを綴る物書きにでもなったような気分を味わっている。
 有効期限が迫ったマイルがあり、少しは暑さがましな北海道に行こうとなり、どうせならガンバ大阪の試合が行われるタイミングで札幌に飛ぶことに。14時からサッカー観戦をして、夜は幼馴染との飲み。サッカーの試合まで少し時間があるので、何をしようかと考え、北海道立近代美術館に行くことに。ドレスデン国立古典絵画館からフェルメールの絵が来ているのだが、今日が特別展の最終日。ラッキーである。なお、その『フェルメールと17世紀オランダ絵画展』は、7月16日(土)から9月25日(日)の期間で、大阪市立美術館にて開催される。20代の頃、オランダに行った際に、彼の代表作の1つである『真珠の耳飾りの少女』を見るために、アムステルダムから電車で1時間ほどかけてマウリッツハイス美術館を訪れたことを懐かしく思い出す。
 そして、6月27日(月)午前9時過ぎ。早くも帰乗の人である。字を当てればこんな感じになる。当初の予定では、今日は仕事を休んで自然を感じながら一人でゴルフをして最終便で帰阪する予定だったのだが、右手の骨折で泣く泣くキャンセル。それでは本編へ。  


「上司の顔よりお客様を見て」売上過去最高を更新したオルビス最年少女性役員の手腕
https://president.jp/articles/-/58638?page=1

 その時々ではあっても、ある程度の期間を通して、特定の先生や上司などの顔色を伺って生きてきたことなど無かった気がしていたのだが、思い起こすと一時期だけは確実にあった。5年の頃である。野球チームの監督の指示には従っていた。当時、5、6年共に15人ぐらいずついる中で、5年で1人レギュラーをもらえていた。7番から始まった打順もすぐに6番、1番と上がり最後までその座を守り続けた。新チームになってから1年間、一度もレギュラーを外されることは無かった。特に最初の頃は「とにかくお前の役割は塁に出ることだから、ホームランを狙ったらレギュラー外すからな」と釘を刺されていた。同級生の中では体は大きい方だったのだが、6年の中に混じるとそれほどでもなかったためである。少し専門的な話になるが、右バッターの場合、ヒットを打つには、ピッチャーから右の方を狙う方が確率は上がる。要は、そっちに打て、と指示されていたのだ。その教えを忠実に守って、たとえば、セカンドゴロやファーストゴロでアウトになり、悔しさと共にベンチに戻ると、「今の、良かったぞ」と時々声を掛けられていた。もし、「試合に出してやってるんだから、ちゃんと結果出せよ」と叱責されていたら、「言われた通りにやって文句言われるんやったら、好きにやってやる」となっていたかもしれない。自分の中の奥底で熟睡していた記憶なのだが、もしかすると、その監督が、良い失敗の大切さ、その瞬間結果が出ていないだけで後につながる失敗には本人にきちんと伝えてあげることの大事さを私に教えてくれたのかもしれない。ここまで小さな自慢を含めながら、話を展開してきたが、5年でレギュラーであったことにもう1つ大きな意味がある。当時、6年で3番を打っていた人が、その後、高1のときから4番で甲子園に出場し、その後プロ野球選手になり、今は一軍でコーチをしている。試合をテレビ見ているとベンチにいる姿が映り、「すごいなぁ、俺もがんばろ」となれる。もし、私が他の同級生と同様にベンチから眺めているだけであったのなら、それほど身近に感じられなかったであろう。ちゃんと生意気だった私はかわいがってもらったが、他の同級生はほとんど話すらできなかったからである。現役時代、そこまで突出した成績を残せなかったが、今なおその世界でやれているのは人間性によるところが大きいと感じている。
 上司の顔の話に戻す。正確には、私はその監督の顔色を伺っていたのではなく、その指導方針に納得が行ったから指示にしたがっていたのだ。一方で、ネチネチとして嫌味なコーチが一人いたのだが、その人には反発していた。コーチだから下に見ていたわけではない。もし、その監督とコーチの立場が逆で、私が信頼していた人がコーチであったなら、私はやはりその人の言うことを聞いたはずである。
 志高塾では当然のことながら私は上司の立場にある。講師たちに私の顔色に注意を払って欲しいとは思わないし、そもそもその必要がない。体験授業の際に、親御様の求めることと、我々が大事にしていることとのすり合わせを行っている。そのずれが一定の範囲内に収まっていなければ基本入塾するとはならない。講師の場合も同様である。採用面接の際に、その確認作業は基本的に済ませている。親御様が求めていること、生徒のためになること、志高塾がやりたいこと、講師のやりたいことのベクトルの向きはある程度同じ方向を向いているので、後は、どれだけその矢印を伸ばしてあげるかを考えれば良いだけなのだ。


「恥を知れ」市長提出の議員半減案否決、議会との根深い対立 広島・安芸高田
https://www.sankei.com/article/20220610-WISAFCOD7FPBRBAZYIQ4BPZASA/ 

 広島県安芸高田市で、石丸伸二市長(39)は本会議で「居眠りする。一般質問をしない。説明責任を果たさない。恥を知れと声が上がってもおかしくない」と議員らを激しく批判。「議員の削減で年間約4,500万円圧縮できる」と提案理由を説明した。
 彼の気持ちはよく分かる。正義感や責任感が無く、権力の座にしがみつこうとする人は世の中に少なくない。社会人になり、それを肌で感じるようになった。逆に言うと、そんなことも分かっていなかった私が馬鹿であったのだ。上司の顔色なんて伺わなかったので当然のごとくしょっちゅうもめていたが、志高塾を始めたことで、基本そういうこととは無縁になった。私が1つ解せないのは、なぜ彼は市長になったのだろうか、ということ。自分のこと、社会のことが分かっていれば、うまく行かないのは明確なはずなのに。私なら絶対にその道を選ばないが、もし、ある朝起きて、彼と立場が入れ替わっていたら私はどのように振る舞うだろうか。20代の頃とは違うので、無闇に事を荒立てることなく、根回しなどをした上で改革を成し遂げられる人になれていたりしないかな、と淡い期待を抱いている。それはさておき、「あれじゃ、うまくいかんやろ」と思っているが、あれでうまくいくところを見てみたい気もしている。動向を見守っていきたい。


バイトをクルーと呼ぶ「まやかし」今野晴貴さんが見抜く悪い言葉遊び
https://withnews.jp/article/f0220617001qq000000000000000W08u10101qq000024833A

 以前、志高塾での呼び方のことをここで取り扱った。ここからは、社員、アルバイトという言葉を一般的な意味で用いながら話を進めていく。社員であろうが、アルバイトであろうが、入っている授業で生徒を成長させるための責任を同様に負っている。どれだけのコマに入るかが違うだけである。そのように考えると、常勤、非常勤という分け方ができるが、これだと上下の関係のようになる。現在、社員、社会人講師、学生講師と3つの呼称を採用している。アルバイトを社会人と学生の2種類に分けた。それは私の求めていることが違うからである。社会人には人生経験を還元して欲しいし、学生には新しい風を吹き込んでほしい。それを求めていることと、それだけを求めていることとは違う。もちろん、社会人講師にも新しい風を吹き込んで欲しい。社員は、講師以外の仕事もあるので「~講師」としていない。「社会人講師」、「学生講師」というのは少々まどろっこしいが、まったくもってまやかしではない。結構良い呼び方なんじゃないか、という気がしてきた。

 扱った記事はスポーツ外でも、野球のことに多くの字数を割いた。まだ溜まっている記事はそれなりにある。次回はどうしようか。はてさて。

2022.06.21Vol.547 断片集(スポーツ編)

 前回触れたラインの「Keepメモ」に取り溜めていた記事を扱う。このタイトル、以前にも使った気がしたのでさらっと調べてみたが見当たらなかったので採用。見落としていないことを祈るのみ。


筒香嘉智が金属バットの弊害について言及 野球指導者らとオンラインで懇親

筒香嘉智が金属バットの弊害について言及 野球指導者らとオンラインで懇親

 4年生の三男、2年生のときに野球を始め、そのタイミングで初心者用のバットを購入した。体が大きくなったこともあり、もう少しちゃんとしたものに買い替えようと3か月ほど前に2人でスポーツショップへ。店員が勧めるものの中に、3万円前後する「ビヨンドマックス」があった。直訳すると「マックスを超える」となる。通常のバットであれば、大人の握りこぶし大ぐらいの「芯」と呼ばれる場所があり、そこで捉えれば一番飛び、そこから離れるほど打球は弱まる。しかし、そのバットの売りは、当たり所が悪くてもよく飛ぶ、というもの。製造元のミズノのHPには「自分史上最高の飛距離を体感せよ!」とある。バットの大いなる助けを借りて、自分の持っている力以上のものを出してどうするのか。そんなものを使ったらうまくならないので、「一生懸命練習して、そのバットを使ってる子よりも打てるようにならなアカンで」の言葉と共に、我が子には1万円もしないごくごく一般的なものを買い与えた。単にお金を出し渋っただけだという噂もちらほら。それはさておき、特に小学生の頃は、良い道具を使うことよりも、道具を大事にすることを覚える方が重要である。


小学生の全国大会「意義あるのか」 室伏長官が柔道の大会廃止に見解
https://www.asahi.com/articles/ASQ4M532BQ4MUTQP013.html

金メダルだけが柔道か 井上康生氏「ブランド価値を高めたい」
https://www.sankei.com/article/20220430-4QTGZBKQZ5O6RB7IFGLSLGXXE4/

 勉強に置き換えると、「合格だけが受験か」となる。これは、志高塾のHPのトップページ下にある「受験専門塾ではない、とはどういうことか」に通ずるものがある。このように表現すると、「合格はどうでも良いのか?」、「受験には力を入れないのか」と誤解される。
 意識してそのようにしているわけではないが、私は「成功体験」という言葉をほとんど用いない。もし、誰かに「あなたの成功体験は何ですか?」と尋ねられたら間違いなく答えに窮する。受験において、第一志望に合格することが成功で、それ以外が失敗なのであれば、私の場合、中学受験は失敗体験で、高校、大学受験は成功体験ということになるが、それらがその後の人生に与えた影響に優劣はつけられない。また、第一志望というのもいい加減なものである。自分の手が届くところに設定して、そこに自分は行きたいと思い込んでいるだけの話かもしれないからだ。室伏広治も井上康生も、勝とうが負けようがどっちでも良いと言っているわけではない。勝ち方の話をしているのだ。そこにこだわらないと、未来につながっていかないからだ。生徒たちに成功体験を積ませたい、とは思わない。でも、良い体験は積ませてあげたい。良い体験とは、その後の人生に役立つものである。何ができて何ができなかったのは。なぜそのようなことになったのか。そのような検証ができれば、次に生かせるはずである。その1つ1つの体験に「成功」もしくは「失敗」のラベルを貼り付けることに私は意義を感じない。


伊東純也 強豪校進学を選択しなかった理由にスタジオ騒然…大久保嘉人氏も驚き「よく日本代表になれた」
http://sp.mainichi.jp/s/news.html?cid=20220417spp000002017000c&inb=so

 進学塾は、「受験にうまく行った人の多くは、こういうやり方をしていましたよ」とさもその方法だけが正しいかのような宣伝の仕方をする。しかし、それはただ進学塾にとって望ましい方法を押し付けて、「進学塾の言うことだから正しいに違いない」と信じ込んだ親が多かった結果でしかない。そのやり方でうまく行かなった人がどれだけ多いことか。野球でもサッカーでも良いのだが、強豪校に行くことがプロへの近道と考え、その権利を得るために必要以上の無理をしたり、入学後の厳しすぎる練習で本当はプロに行く才能があったのに怪我をしたり、好きでなくなったりで途中で辞めた人も少なくないはずだ。だから適当にやりましょう、と言いたいわけではない。自分に合ったやり方なんて中々見つけられるものではない。でも、目標地点にたどり着くための道筋というのは、思っているよりもたくさん世の中に転がっている。それを知ることで1つのやり方に縛られすぎずに済み、その結果、自分により合った方法を見つけられる可能性が高まる。


全国優勝2回、プロも輩出する静岡の強豪シニア 控え選手も高校で活躍できる秘密

全国優勝2回、プロも輩出する静岡の強豪シニア 控え選手も高校で活躍できる秘密

 本文に「チーム作りで特に意識しているのは、レギュラー以外の指導だ」とある。「手の掛かる生徒たちをどうにかしてこそ志高塾だ」と日頃から考えている。そのような子たちは、手を変え品を変えしても中々うまく行かない。それでも投げ出さずにどうにかしようとする。そのためには、その子たちへの愛情や責任感が欠かせない。そして、もう1つ重要なのは、手が掛からないというだけの理由で「この子は大丈夫」と思われがちな子たちの抱えている課題を見落とさずにきちんと対策を講じることである。その2つがきちんとできていれば、放っておいてもそれなりにできる子たちには、志高塾だからこその何かを提供できているはずなのだ。
 記事は次のように締められている。「チームの勝利と選手の育成。全国屈指の強豪は、守備力強化で“2つの成功”を目指している。」志高塾に置き換えると次のようになる。「受験の合格と将来に役立つ力の育成。関西のちっちゃな塾は、国語力強化で“2つのこと”を真剣に追い求め続けている。」

2022.06.14Vol.546 セールストーク

 手帳などの決まったものにメモを取ることは完全に無くなった。理由は単純で、どこに何を残したのかを管理できないから。会社勤めをしていた20代の頃に情報の整理術に関する本を何冊か読んだが、手間が掛かりそうなものばかりだったので本気で実践することは無かった。分かったのは、どれも自分には向かないということ。それはすごく価値あることではないだろうか。あれもこれもだめ、となれば、自分でどうにかしよう、となれるからだ。志高塾もその一例である。自分にとってのユートピアのような職場がどこかにあるはずだと期待して探していたが見つけられず、あるタイミングで「自分に理想的な企業というのは世の中にほとんどないし、それに出会え、さらにそこで採用されるとなれば確率はほぼゼロになる。じゃあ自分で作ろう」となれたからだ。時には捨てないといけないこともあるが、人に多大な迷惑を掛けないのであれば、自分の中に湧き上がった、ああしたい、ああなりたい、を大事に持ち続けた方が良い。大抵の人は身の丈にあった範囲でしか物事をイメージできない。それなのに、無理かな、と諦めたり、やる前からその8掛け、7掛けを目指していては満足の行く結果が得られるはずがない。偉そうに語ってみたが、私自身気づけば縮こまってしまっていることが少なくないので、2割増し、3割増しぐらいでちょうど自分サイズになるのかもしれない。
 おそらくこの数年は、特にアイデアに類するものはメールだけで一元管理していた。移動中や寝る前などに何か思い付けばスマホからPCにメールを送る。今のようにPCと向かい合っているときであればPCからPCに送る。処理をすれば細かく分けたフォルダに移動させる。未処理のものは受信トレイに残ったままなので一目瞭然である。1年ぐらい前からであろうか、それに加えてラインの「Keepメモ」という機能を利用するようになった。気になった記事があれば、そのURLをコピーしてそこに保存しておく。いつかそのことについて書こうと思いながらそのままになったものが溜まって来たので、今回はそのいくつかを紹介する予定だったのだが、情報の整理について考えを巡らせていたら外山滋比古(とやましげひこ)著の『思考の整理学』のことを思い出した。
 初めて読んだのは、志高塾を始めて間もない30代の前半の、さらにその前半の頃である、おそらく。読解問題で時々扱われていたこともあり、「一度読んでみるか」となったのがきっかけだったような気がする。内容はまったく覚えていないのだが、少なくとも「評判のわりにつまらない」という感想を抱かなかったので、それなりに面白かったのだろう。食べ物が栄養として体内に吸収されるときに原形を留めていないのと同様に、読み物もその方が良い。私にとって最も消化しやすいのは小説で、その対極にあるのがハウツー本である。書籍になっていることからして、それなりに多くの人が、それなりに大きな悩みとして抱えている事柄が対象になっている。そんなものが簡単に解決するはずは無いのだ。「これをすればうまく行く」が正しかったとしても、これをすること、し続けることが難しいのだ。ダイエットはその典型である。提案する側は、その一歩手前の「これをする」ための「~すれば(これができる)」、もしくは、「これをしなくてもうまく行く」を示さなければいけないのであろう。読書は何も国語のためするものではないのだが、ここでは単純化して「読書をすれば国語ができるようになる」を例に取る。読書習慣が無かった子供にそれをさせるのは容易ではない。小4ぐらいまでであれば、進学塾に通っていてもまだ時間があるので入塾してすぐに2,3割の子は本に親しむようになる。そうで無い子には、授業の前後に読書の時間を取る、面白そうな蔵書を揃えておく、講師がその中からその子にあったものを薦める。それ以外にも、親御様に協力していただき家庭での読書時間を作ってもらうようにする。そういう様々な「~すれば」を実践することで、「読書をすれば国語ができるようになる」のスタートラインに近づけるのだ。一方で、高校生にもなると打てる手は限られてくるので、自ら読書をするようになればラッキーぐらいの感覚で、それをあてにせずに、読解問題を通して、知識などを吸収させていく方法を取る。口先だけの「読書しいや」では何も変えられない。
 さて、『思考の整理学』。きっと、今日であれば同じ内容でも出版社の編集者は『思考の整理術』、『思考の整理法』の方が売れますよ、というアドバイスをするのではないだろうか。時間を掛けずに手っ取り早く結果に結び付きそうなものの方が以前にも増して好まれるようになっているからだ。いつの時代も思考がそんなに簡単に整理できるはずがないのだ。インプットした知識を組み合わせ、さらにそこに自分なりの考えを交えてアウトプットする。それを何度も何度も繰り返す。時間を掛けた分だけ自分なりの思考が作り上げられていく。その試行錯誤に作文ほど効果的なものを私は知らない。

2022.06.07Vol.545 意見作文の要諦

 「話は変わる。生徒たちにも我が子にも、私自身ができていないことはできる限り包み隠さずに見せるようにしている。」前回、5段落目はこのように始まっていた。この2文の間に以下の文章を挟んでいたのだが、字数の関係上、削ったので紹介させていただく。

変わる話に行く前に、話を変える(転じる)ことについての話を少々。私は一度たりともそのようなことをした記憶は無いのだが、「起承転結」という型をさもありがたいもののように教えるというのはどうなのだろうか。仮に文章をこの4つで構成する場合、「転起承結」となることもあれば、「起転承結」となることもある。「結転起承」でも「起承転転結」でも構わない。どのような順番であろうが、「起」は「本題を提起すること」であり、「転」は「本題から転じた話をすること」であり、「承」は「『起』を受けること」である。私は、「俺が読んで面白い文章にしてな」、「読み手を引き込まなアカンで」、「いつも同じような書き方をするなよ」というようなことを伝える。「結」が充実しているのはもちろんのこと、少なくとも800字以上にもなれば「転」をどこかに挟まないとリズミカルなものにはならず、いろいろな順番で書けるように試行錯誤しなければならない。ひと段落したので「変わる話」へ。

 体験授業に来られた、特に小学生を持つ親御様に次のような話をすることは少なくない。

修学旅行で広島に行くので、その勉強のために学校で戦争について作文をさせるのは理解できる。しかし、そんなものを書かせても得られるものはほとんどないからこの教室ではわざわざそのようなことはさせない。「私も友達とけんかしたとき、話し合いをして仲直りできたので国同士もそのようにすれば良いのに」となるのが関の山だからだ。パレスチナで和平交渉が行われ、停戦合意がなされてもすぐにそれは破られる。安易に戦争反対を唱えるよりも、なぜそれが無くなっていないかを知る方が先である。だから、入塾したら、まずは要約作文を通していろいろな言葉を使いながら論理的に文章を書く訓練を徹底的に行う。途中から、それと並行するような形で読解問題に入る。本文で環境、文化などが扱われている問題を解きながらそのようなテーマに対する考え方のようなものを1つずつ身に付けていく。考え型と表現しても良いかもしれない。そのためにも、記述問題をおろそかにしてはいけない。そこでは筆者の主張をまとめることなどが求められるからだ。さらっと読むだけでは自分の中に落ちてこない。ある程度ベースが築けて、ようやく意見作文に移行して行くのだ。

 以前にも紹介した『職業としての小説家』の中で、村上春樹はこのように述べている。

その次に ―おそらく実際に手を動かして文章を書くより先に― 来るのは、自分が目にする事物や事象を、とにかく子細に観察する習慣をつけることではないでしょうか。まわりにいる人々や、周囲で起こるいろんなものごとを何はともあれ丁寧に、注意深く観察する。そしてそれについてあれこれ考えをめぐらせる。しかし「考えをめぐらせる」といっても、ものごとの是非や価値について早急に判断を下す必要はありません。結論みたいものはできるだけ留保し、先送りするように心がけます。大事なのは明瞭な結論を出すことではなく、そのものごとのありようを、素材=マテリアルとして、なるだけ現状に近い形で頭にありありと留めておくことです。

これを読んだとき、体験授業の際の私の「戦争の話」などを盗み聞きして、「意見作文」を「小説」に置き換えているだけではないのか、という気がした。今度、窓の隙間から顔を覗かせていないか気を付けて見てみることにしよう。
 一昨日の日曜日、二男のサッカーの試合を見ながら日本の総合電機メーカーに勤めているお父さんと話をしていた。東大、京大、阪大卒の社員の特徴について語っていたが、京大卒は概して「我が強い」とのこと。となると、私のおしとやかさは希少価値として武器になりうる。それをどのように生かしていくかを考えるに際して、まずはその私のおしとやかさなるものがどのような要素によって構成されているかを子細に観察するところから始めなければならない。
 さて、そのお父さん、ちょうど今、新入社員研修の担当をしていて、日報を読まないといけないのだが、「今日の研修を受けて、品質の大切さが分かりました」などといったあほみたいなものが多いらしい。意見作文に取り組み始めた中学生、最初の頃こそ筆が進んでいても、3か月もすれば鈍くなる。初めの段階では、どうでも良いことやどこかで聞きかじったことをあたかも頭を使って考えた、と錯覚しながらスラスラと書いているだけに過ぎない場合がほとんどだからだ。中2のある生徒が、苦戦しているテーマについて家で話したのに対して、お母様が「こういうこと書けば良いんじゃない」とアドバイスをしたら、「志高塾じゃあ、それでは丸もらわれへんねん」と答えたらしい。大きな成長である。そのようなやり取りがあったことを面談のときに教えてくださった。変わったことを書きなさい、と指導しているわけではない。同じような結論になるにしても、テーマに対する一般形(型)のようなものが頭に入っていれば、そのまま出すわけにはいかないので少なくともひと手間加えなければ、となるはずなのだ。その度ごとのひと手間がアイデアを生み出すための土台を作っていくのだ。
 今日の文章を読んで、意見作文の大切さが分かっていただけただろうか。

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