
2か月前に始めた社員のブログ。それには主に2つの目的がありました。1つ目は、単純に文章力を上げること。そして、2つ目が社員それぞれの人となりを感じてとっていただくこと。それらは『志高く』と同様です。これまでXで投稿していたものをHPに掲載することにしました。このタイミングでタイトルを付けることになったこともあり、それにまつわる説明を以下で行ないます。
先の一文を読み、「行います」ではないのか、となった方もおられるかもしれませんが、「行ないます」も誤りではないのです。それと同様に、「おなじく」にも、「同じく」だけではなく「同く」も無いだろうかと淡い期待を抱いて調べたもののあっさりと打ち砕かれてしまいました。そのようなものが存在すれば韻を踏めることに加えて、字面にも統一感が出るからです。そして決めました。『志同く』とし、「こころざしおなじく」と読んでいただくことを。
「同じ」という言葉を用いていますが、「まったく同じ」ではありません。むしろ、「まったく同じ」であって欲しくはないのです。航海に例えると、船長である私は、目的地を明確に示さなければなりません。それを踏まえて船員たちはそれぞれの役割を果たすことになるのですが、想定外の事態が発生することがあります。そういうときに、臨機応変に対処できる船員たちであって欲しいというのが私の願いです。それが乗客である生徒や生徒の親御様を目的地まで心地良く運ぶことにつながるからです。『志同く』を通して、彼らが人間的に成長して行ってくれることを期待しています。
2023年12月
2025.03.08vol.51 あの時へのひとつの答え(竹内)
そういえば、と思って過去のドキュメントを探した。この「志同く」を始める前、社員間での共有に留める形で10本ほど文章を書いていた。もう3年前になる。その中のとある1本をここに載せると結構なボリュームになってしまうので、それはこの後noteの方に掲載させてもらうことにする。ただ、それに関する内容が全くない状態だと話の繋がりが分かりにくいので、ChatGPTに要約してもらったものを以下に貼り付ける。余談だが、初めにAIにお願いした段階では、もとの文章の前半部分にもある程度の字数を割いてまとめてくれていた。しかし今回は後半に重点を置きたかったので、指示を出して1回修正をかけてもらっている。そのうえで、私の方でも手を加えた。
<ChatGPTによる要約:文章タイトル「難問」>
生徒と関わる中で、「本気になること」の難しさを目の当たりにすることが多い。勉強でも部活動や習い事でも、結果が突きつけられたときに誰もがそれを原動力にできるわけではない。とある高校生への指導を通じ、問題意識を持たなければ変化は生まれないことを実感する。社会に出ると責任感が求められるようになっていくが、その前にここで「本気を出す場」を提供し、意識を変える手助けをしたい。教育とは、知識を持たせるだけでなく、自らと向き合う姿勢を育むことでもある。
なぜこの話題を今になって持ってきたか。それは2月半ばに上記に登場する当時の「高校生」であった生徒からメールが来たからだ。彼は昨年度までで志高塾を卒業し、今年度は大学浪人していた。それが決まった旨の報告を受けてから、それ以降は動向が気になりつつも、「便りがないのは良い便り」ということでこちらからはあえて連絡を取っていなかった。なお、同じく浪人中の元生徒がもう一人いるのだが、その彼は夏休みあたりに予備校生活と勉強の悩みを引っ提げて顔を見せにやってきた。
さて、先の彼は共通テストも終わって私大の前期試験も終了し、いよいよ国公立の二次試験が迫っているというタイミングで連絡してきた。私が浪人生だったころの記憶だと、センター試験以後は志望校対策が本格化することもあって、それまでの予備校でずっと誰かと同じ講座を受けるという感じではなかった。思うように結果が出た子も、そうでなかった子もいるはずで、何となく自分の状況をオープンしづらいなというときに、気楽に伝えることのできる相手として思い浮かんだのだとしたら嬉しいことだ。その時点での結果や受験予定校の報告もそこそこに、実は本題は別にあって、この直前期に2時間半ぶっ通しで読み切ってしまった本があったので、それを紹介したかったとのこと。今回の本屋大賞にノミネートされているうちの1つで『禁忌の子』という作品だったのだが、メッセージを受け取った時ちょうど外出中だったこともあり、その足で本屋に行って早速購入した。西宮が作中の重要な事件発生の舞台となっており、特に西北校に通っている生徒や親御様には聞き覚えのある地名や、この辺りかなと予想できる場所が多く登場する。ミステリー×医療ものなのだが、これまでにも書店で目にしていたものの自ら手に取ってはいなかった。月1のビジネス書紹介でジャンルが広がった気でいたがそうでもないのだということを実感したし、良い機会をもらえたと思っている。終盤に点と点が結びついて「そういうことだったのか」と唸らされる展開は面白く、新鮮だった。次は彼と同学年で同じ教室で授業を受けており、今年度から数学の講師としてアルバイトしている元生徒に貸し出すことにしている。
全然読書しないわけではなかったが、高3の頃には優先度は下がってしまっていたため、興味のあるテーマであったとはいえこの時期に本に時間を割いていたのは彼にとって状況が芳しくはないことを意味していたかもしれない。自身の課題とどれくらい向き合えただろうか。そう考えたら、「便りのないのが良い便り」なんて都合よく言わずに、鬱陶しいくらいこちらから連絡を取るべきだった。彼の方から今回アクションがあったのはもちろん良かったけれど、たとえそれが貰えなくなってしまうとしても、自分から近況を掴みに行くべきだった。その役割を果たせる関係性にあったのだから。
別の生徒の話に。いつか呼んでよと厚かましくもお願いしていたこともあって、ここ1か月の間に2つの部活動の公演に行かせてもらった。1つは管弦楽団の定期演奏会、もう1つはコーラス部の卒業公演である。前者の生徒は現中3だが、中学入学と同時に新たに楽器を始めたこと、そのヴィオラパートは退部者も続出して人数が安定していなかったことから、彼女自身も前向きではない時期があった。また、小学生の頃から基本的にそつなく物事をこなすその子にとって、できないことにぶつかっていると認識したのはほとんど初めてのことだったはずだ。しかし、「これ以上人数が減るのはまずい」と昨年の夏ごろから自ら口にするようになり、少ない人数でも音を出すために練習に励むようになっていった。なかなか壁は乗り越えられなかったが、それをすぐに避けるのではなくて、その前でしばらく立ち止まっていたことで結果的に自分で突破口を見つけることができたのだ。また、後者の生徒が所属しているクラブは全国レベルである。指揮者の先生があいさつの中で振り返っていたのは、一人一人が自分の希望する進路と全国の舞台に立つことの両方を実現するために生徒同士で話し合いを重ね、全員が揃う日が少ない分、個々のスキルアップを図るという練習の跡だった。自分が欠かせない一員であるという自覚や、同じ方向を向いているのだという信頼が、どう取り組むのかを決めていく。音色や歌声が響き渡るまでに濃密で真剣な時間が確かにあることが伝わってきた。
勉強であれ部活であれ、比重の置き方はもちろん人それぞれ異なる。かけることのできる時間も決して無限ではない。しかし、せっかくなら打ち込むべきなのだ。その方が確実に自分の糧になることも、それが簡単ではない現実も、色々な生徒たちを通じて見てきた。そのうえで私ができることは、彼らがそうしようと踏み出せるように対話し続けること、いつかそうなる時が来ると信じて見守ることなのだ。