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2024.12.17Vol.667 二人目が一人目、だからと言って三人目が二回目でもきっと一回目(今度こそ後編どすえの前編)

 思った以上に間が空いてしまった。さすがに今年中に書いておかなければ、という思いに背中を押された。
 その前に、先週あった面白い出来事を2つ紹介する。1つ目。西宮ガーデンズのプラス館1階にある創作串揚げ「べにゑ」に初めて行って来た。梅田、芦屋、京都でフレンチ串揚げを展開しているということもあり、シェフはフレンチ出身であった。今の会社に移ってくる前はお初天神にあるフレンチバルで働いていたこと、勉強のためにフレンチのお店によく食べに行くことなどを教えていただいた。年齢は32歳と伺った気がする。そこで、先週私が紹介した子供のサッカーつながりのお父さんのお店を知っているか尋ねたところ、そのフレンチバルの新メニューの監修を行っていたのがそのお父さんだったのだ。3カ月に1回、そのお父さんに新作を試食してもらう際は、どのような評価が下されるのか緊張でガチガチだったとのこと。何という偶然。しかも、高校卒業後、料理を学ぶために通ったのが辻調理師専門学校で、『美味礼賛』は入学式の日に渡され読まされるとのことであった。とてもおいしかったので、年内中にもう一度、今度は息子たちを連れて行こうかと考えている。そして、2つ目。「うちの主人は1回しか会ったことがないのに、何か知らないけど先生のことを信用しているんです」とこぼされたお母様から、「失礼な物言いをしたようで申し訳ございません」という詫びのメールをいただいた。電話をして「その言葉を聞いて、少しでも嫌な気分になったのであれば絶対にあんな取り上げ方はしません」ということをお伝えした。その後、「先生のあの旅行記シリーズ好きだったんですけど、いつの間にか終わってしまいましたね」「じゃあ、パリの家に泊めてもらって、それを文章にするしかないです」「そのときはオンラインではなく対面授業をお願いします」と話はすんなりとまとまった。社交辞令を言うようなお母様ではないのでそのまんま真に受けて、遅くとも2026年中には実行に移すと勝手に決めた。
 1カ月以上経ったのでどこから話を始めようか。あれからひと悶着あったものの、以前のように自然体で二男とのコミュニケーションを取れるようになった。数日前も「パパ、今年中にもう1回サッカーの試合見に来てよ」とお願いされた。明日、中学校の三者面談があるのだが、二男だけは妻ではなく私に来て欲しがる。長男と三男は別にどちらでも構わないというスタンスである。
 子供が幼稚園に行く頃ぐらいまでの父親の役割は、母親の手が回らないところの穴埋めだと元々考えていたし、実際に経験した後もそれが変わることは無かった。また、妻が望む子育ての初体験を父である私が奪ってはいけないという思いも持っていた。3人息子は2学年違いなので、三男が生まれたときに二男はまだ2歳で、妻は三男にほとんどの時間を取られ、長男ですらまだ4歳で手が掛かったので、私はとにかく二男と過ごす時間が多かった。それゆえ、フェイスブックやグーグルで「〇年前の思い出の写真」であがってくるのは断然二男のものが多い。プレ幼稚園も長男のときは基本妻が行き、二男のときは私であった。私の方がスポーツが得意で、二男の方が断然芸術的な才能があることを除けば、性格や頭の働き方なども似ている。父と私がそうであったように似た者同士の親子だとぶつかることも少なくないのだが、二男とは一緒に過ごした時間が長かったので似ていることが良いように作用して来た。それだけにうまく行かなくなったときに私自身がそれなりのショックを受けたのであろう。HPを少し変更したのだが、「オンライン授業」のところに写っている坊主頭が二男である。
 話は少しそれるが、まだ6年生であることを考慮しても、三男の考え方があまりにもゆるいので、3カ月ほど前にそのことについて「何でなんやろなぁ?」と長男と二男に話したとき、異口同音に「パパと話す時間が少なかったからじゃない」と返って来た。その発言から2人は私と話をすることにそれなりに意義を感じていることが分かって嬉しかった。そのようなこともあり、最近は意識的に三男と2人でいる時間を増やしている。先週のことになるが、サッカーの試合からの帰りの車の中で、「今日はだめだったけど何でなの?」と聞くと、「うーん、調子が悪かったから」という返答があった。「うまく行かなったのを調子のせいにする奴は何をやってもできるようにならない。調子が悪くても最低限の結果を出せるようにならなアカンねん」という話をした。こんな説教じみた話をすることはあまり多くないのだが、一緒にいるようになれば自ずとこういうやり取りも増えて行く。
 ここまで筆を進めて来たが、書きたいことがまだそれなりにあるので、この時点で「今度こそ後編どすえの前編」とした。今年最後になる来週、必ず「後編」を書く。二男は、自分のことがブログにこうやって書かれていることなんて知らない。読まれると逆に話題として取り上げづらくなるので今はその方が良い。でも、大人になったらいつか読んで欲しい。私が子育てをしている中で、「あのとき、親父は俺に対してどう思ってたんやろう?」となることがある。私が26歳のときに亡くなっているのでそもそも聞くことはできないし、存命であったとしても、日記でも付けていない限り、そのときに本当にどう思っていたのかを知ることはできない。人間の記憶などあいまいなのだから。もちろん、息子たちだけでなく、元生徒が子供を持って何か困った時などに、「もしかして参考になることがあるかもしれないから、あの先生のブログ読んでみよ」となれば幸せである。
 3段落目にある「ひと悶着」とは、Vol.662で触れた「北野(高校)に行きたければもっとやるはずやけど、全然やらへんやん。ほんまは行こうと思ってへんよな?」と私が聞いたことに関してのものである。もし、行きたいと思っていれば「そんなことはない」と反論するだろうし、そうでなければ「うん」と答えやすいようにあえて「行きたいよな」ではなく「行きたくないよな」とを選んだ。予想した通り「うん」と返って来たのだが、後日「本当は行きたいと思っているのに、あれはパパが無理やり『うん』と言わせた」と文句を言ってきた。その頃の関係は最悪であった。そして、そのように反論して迎えた2学期末試験。相変わらず全然やらないと思いながら口出しせずにただただ黙って見ていた。これまでも「もう少しやらなアカンのちゃう」というレベルの声掛けしかしてこなかったのだが、それすらも自粛した。結果は、主要教科はそこまで大きく落ちていないのだろうが、これまで最低でも80点後半ぐらいを取っていたはずの音楽と保健体育はそれぞれ68点と72点であった。音楽に関しては、90点以上が約10%、70点以上が約40%なので、とてもではないが北野を目指していると口にする人の成績ではない。その度数分布表も1週間前に渡されていたものが、昨日になってやっと出て来たような状態である。
つづく

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