2か月前に始めた社員のブログ。それには主に2つの目的がありました。1つ目は、単純に文章力を上げること。そして、2つ目が社員それぞれの人となりを感じてとっていただくこと。それらは『志高く』と同様です。これまでXで投稿していたものをHPに掲載することにしました。このタイミングでタイトルを付けることになったこともあり、それにまつわる説明を以下で行ないます。
先の一文を読み、「行います」ではないのか、となった方もおられるかもしれませんが、「行ないます」も誤りではないのです。それと同様に、「おなじく」にも、「同じく」だけではなく「同く」も無いだろうかと淡い期待を抱いて調べたもののあっさりと打ち砕かれてしまいました。そのようなものが存在すれば韻を踏めることに加えて、字面にも統一感が出るからです。そして決めました。『志同く』とし、「こころざしおなじく」と読んでいただくことを。
「同じ」という言葉を用いていますが、「まったく同じ」ではありません。むしろ、「まったく同じ」であって欲しくはないのです。航海に例えると、船長である私は、目的地を明確に示さなければなりません。それを踏まえて船員たちはそれぞれの役割を果たすことになるのですが、想定外の事態が発生することがあります。そういうときに、臨機応変に対処できる船員たちであって欲しいというのが私の願いです。それが乗客である生徒や生徒の親御様を目的地まで心地良く運ぶことにつながるからです。『志同く』を通して、彼らが人間的に成長して行ってくれることを期待しています。
2023年12月
2024.12.07vol.42 みんなで耕す(竹内)
国語の力を高めるための柱として我々は作文を大事にしているが、それと同時に読書も子どもたちの世界を広げ、想像が及ぶものを増やすために大きな意義がある。そんなわけで本の貸し出しには力を入れている。当時中2だった元生徒が、学校の図書委員に立候補しなかったことを受けて志高塾に「図書委員」が登場し、最近6周年を迎えた。最終的には「顧問」という形で長きにわたってその役割を担っていてくれていた彼が卒業してからも、多くの生徒に声をかけ、取り組んでもらってきた。本に抱いた印象を深掘りするやり取りを通じて、初めに読んだ時点では生徒の中でもまだできていなかった消化を促すのは、夏期講習期間に設けている読書感想文の講座と同様である。また、その子自身の考えが反映されたものへと完成させると同時に、そこで終わらずに、取り上げた作品を誰かが手に取ってくれるかどうかというのも忘れてはいけないところである。教室では生徒たちの間で「これ面白かったで」「確かにそうやったわ」というような会話が時々聞こえてくるのだが、自分が良いと思ったものを他の人も評価してくれるということは単純にうれしい。何度か委員を任せている生徒などは、そのことを実感していることもあり「出だしどうしよう」というように熟考に熟考を重ねられるようになってきている。図書委員経験者たちをこれからも増やしていくことで、その苦労への共感を「じゃあ次はこれを読んでみようかな」というきっかけにしていけるはずである。
もう一つ、勤務している講師たちからおすすめ本を募り、それを新たに掲示するという取り組みも行っている。最近は、推薦の際に「この生徒に読んでほしい」というように具体的な対象者も可能な限り挙げてもらうようにしている。それによって、当該の生徒の手に届くのはもちろんのこと、例えば「西北校のAさんにこういう理由で紹介したい」というのが出てきたときに「豊中(高槻)校のあの子もそういうところあるな」と教室間でも選書のヒントを共有することができる。
さて、そんな講師からのおすすめ本の秋募集の際には面白い化学反応があった。豊中校の講師が、本ではないのだがある映画を紹介してくれた。「耳の聞こえない両親のもとに生まれた、聞こえる子ども(=コーダ)」の苦悩や、親へのいら立ち、そしてそれが少しずつ溶けていく様を描いた『ぼくが生きてる、ふたつの世界』という作品である。その原作者による他の書籍を西北校の講師がちょうどおすすめに挙げており、映画を観たことによる感動を自分の中だけに留めておくべきではないと思い至ったそうだ。私は上映情報そのものは知っていたものの「まあ都合が合えば見ようかな」くらいの気持ちでいたのだが、そのくらいのスタンスだと九分九厘サブスクでの配信待ちになっていただろう。これは背中を押されているのだと捉えて、大阪ステーションシネマでの上映期間ぎりぎりに滑り込みで観に行くことができた。
映画を観た勢いでそのまま原作を一気に読み終えることができたのだが、私の積読はものすごいことになっている。Amazonプライムのウォッチリストにもとりあえず興味のあるものを押し込んでそれきりになってしまっている。そのような状態なので、自分の読書経験だけで本の貸し出しを行うと偏りが出てしまう。他の生徒や講師がしっかりと向き合って一冊一冊に込めた思いを受け取り、新たな生徒に伝えることがそんな私がすべきことである。誰かのお墨付きを得た本がたくさん詰まった本棚は、きっと充実している。志高塾に関わる全ての人のおかげで、それは作り上げられ、これからも進化していく。
上記の映画に関するメールを講師から受け、鑑賞した後の返信の中で、私は次のように述べた。
「私には大馬鹿者で映画好きの弟がいて、これと出会ってくれていたら良いなと思いました。」
教室では基本的に本選びを手伝うが、ここでは「自分で出会う」ことを望んだ。それがなぜなのか、ということに踏み込みたいのだが、それは次回とさせてもらいたい。