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2024.11.12Vol.662 二人目が一人目、だからと言って三人目が二回目でもきっと一回目(後編やおまへん)

 長男のときではなく二男が生まれる前後のことだったと記憶しているのだが、私自身の死亡保険やがん保険を大幅に見直した。自営業者であるため、私が若くして亡くなったり大病を患い社会復帰ができなくなっても、妻が生涯路頭に迷うことなく、息子たちも社会に出るまで最低限望んだ教育を受けられるようにするためである。そういう金銭的なこととは別に、生きて行く上で大事なことは小5ぐらいまでにすべて伝え切ろう、という心持ちでいた。それは、いつ死んでも良いように、ということではなく、反抗期が来て、父である私のことが鬱陶しくなり話にまったく耳を傾けなくなっても良いように、という考えからであった。大きく括っても中学生、高校生、大学生、社会人それぞれの時期で話すべき内容は違うので、そんな早いタイミングで息子たちに対する父としての役割を全うできるはずはないのだが、いつまでも素直に聞いてくれることはない、ということを自分自身に言い聞かせていた。現在、それぞれ高1、中2、小6なのだが、3人ともよく話し掛けてくるし、「こういうことがあった」と私に褒めて欲しくてその日あった出来事を報告してくることもある。反対に、私が時事問題について「何でこうなってるんやと思う?」と仕組みを尋ねても、「どうでも良い」、「めんどくさい」などと返って来たことはこれまでにただの一度もない。いつ反抗期が来ても良いように、と小さい頃からたくさんコミュニケーションを取って来たことの結果なのだろう。1歳ぐらいから参加していた親子ベビースイミングも、大抵一緒に入っていたのは私で、お母さんたちの中でお父さんは私一人ということもよくあった。懐かしい思い出である。
 自分の至らなさを親の育て方のせいにして、「子供の頃にもっとこうしてくれてたら」と思うことは基本的に無いのだが、本を読むことの大切さだけは教えて欲しかったな、というのはある。それゆえ、息子たちには「本を読みなさい」はもちろんのこと、「物を知りなさい」、「仕組みを考えなさい」、「考え方を柔らかくしなさい」というようなことをこれまで口酸っぱく伝えて来た。後に続いている3つもすべて読書と関係の深いことである。二男に勉強のことで口出しをしないと決めた後、少し冷静になれたおかげで、「俺はもう十分過ぎるぐらいいろいろなこと(上のことも含めて)を伝えて来たやん」ということに初めて気付けた。二男の中途半端過ぎる勉強に向き合う姿勢を見て、自分の伝え方が不十分やからや、と思い込んでいたのだが勘違いだったのだ。今は、二男の中で化学反応が起こるのを待つしかない。今回もう1つ新発見があった。「期待する」というのは「期を待つ」ってことやん、と。私を含め親がその熟語の成り立ちを意識すれば、もう少し子供に対して辛抱強くなれるのではないだろうか。
 上のことに加えて、「子供は親を超えるもんや」ということも呪文のように唱えて来た。息子たちが「パパの子供の頃より~」と言ってきたときには、「子供が親を超えることは当たり前なんだから何でも抜いて行って」と返してきた。身長を、親を超えることの対象として特段意識することは無いが、除外することでもないのでそれもやはり超えて行ってくれたらいい。私が173ということもあり、一つの区切りとしてせめて175には、できれば180ぐらいまでなって欲しいというのがある。そのとき、どういう風に成長の過程を見て行くかと言えば、私自身の小学校卒業のとき、中学校卒業のときと比べるのだ。一見理に適っていそうだが、それぞれの時期では私より上を行っていてもその後伸び悩んで結果的には低くなるかもしれないし、もちろんその逆もある。昨日の夕方の時点でここまで書いていたのだが、昨晩、あるお母様からお借りした本を寝る前に読んでいて、「身長の遺伝率が66%、体重の遺伝率が74%」というものに出会った。この遺伝率というのは少々複雑で、身長で言えば66%が遺伝因子、残りの34%が環境因子やその他の因子によって決まるということではないのだが、ひとつ確かなのは2つを比較したとき体重の方が遺伝との結び付きが強いということである。テレビやラジオでも「あっ、ちょうど俺が考えてたことが話題になってる」と偶然に驚くことはあるのだが、本の場合だけそれを自らの手でたぐり寄せた喜びがある。この感覚は共感が得られるのだろうか。
 ここまで2回に渡って二男の勉強のことに口出ししないと決めた、ということについてつらつらと述べて来た。考えを180度変えたのは、「北野(高校)に行きたければもっとやるはずやけど、全然やらへんやん。ほんまは行こうと思ってへんよな?」と問いただしたときに、少し間を空けて「うん」と返ってきた、というやり取りがあったからだ。私と同じように中学受験で大阪星光を不合格になり、その時に「パパと同じ北野を目指す」と言っていたので信じていたのだが、2年生の夏休みをダラダラと過ごし、秋になっても一向にやる気配がないので疑いが生じ、それがどんどん膨らんで行き、本人の意志を確認するに至ったのだ。なお、「やらない」というのは、学校が無い土日、テスト期間中でなければ2日合わせて2時間もしないというレベルである。
 (前編)に手を付ける数日前、このことをテーマにするかどうかで正直迷っていた。書くのであれば学校名含め、ある程度具体的にする必要があるので内部向けの『志高く』で扱おうか、でも他に書く題材も浮かんでへんしな、という状態であった。決め手になったのは、中学受験を機に卒業した生徒のお母様から半年ぶりにメールをいただいたことである。お子様の近況報告はもちろんのこと、今もブログを読んでいただいていることなどが述べられていた。それに加えて、「中2は難しいと聞いているので、何かあれば力を貸してください」とあったことである。それであれば、中2の二男のことについて書く意味はありそうだな、と。次回のタイトルだけは決めた。括弧書きの部分を「今度こそ後編どすえ」にする予定である。
つづく

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