2か月前に始めた社員のブログ。それには主に2つの目的がありました。1つ目は、単純に文章力を上げること。そして、2つ目が社員それぞれの人となりを感じてとっていただくこと。それらは『志高く』と同様です。これまでXで投稿していたものをHPに掲載することにしました。このタイミングでタイトルを付けることになったこともあり、それにまつわる説明を以下で行ないます。
先の一文を読み、「行います」ではないのか、となった方もおられるかもしれませんが、「行ないます」も誤りではないのです。それと同様に、「おなじく」にも、「同じく」だけではなく「同く」も無いだろうかと淡い期待を抱いて調べたもののあっさりと打ち砕かれてしまいました。そのようなものが存在すれば韻を踏めることに加えて、字面にも統一感が出るからです。そして決めました。『志同く』とし、「こころざしおなじく」と読んでいただくことを。
「同じ」という言葉を用いていますが、「まったく同じ」ではありません。むしろ、「まったく同じ」であって欲しくはないのです。航海に例えると、船長である私は、目的地を明確に示さなければなりません。それを踏まえて船員たちはそれぞれの役割を果たすことになるのですが、想定外の事態が発生することがあります。そういうときに、臨機応変に対処できる船員たちであって欲しいというのが私の願いです。それが乗客である生徒や生徒の親御様を目的地まで心地良く運ぶことにつながるからです。『志同く』を通して、彼らが人間的に成長して行ってくれることを期待しています。
2023年12月
2024.01.06Vol.10 「いつか」のための「今」(竹内)
気付けばもう年が明けて5日が過ぎている。そしてそれは中学入試が、あるいは共通テストが、もうすぐそこまで迫っていることを意味している。この時期はいろんな生徒のいろんな志望校の対策をするので、私自身様々な文章に目を通す。以下は、その中の1つの甲陽学院で出題された物語文である(宇山佳佑『恋に焦がれたブルー』より)。父からの反対を押し切って靴職人になった主人公が、5年間修業を積んだ後、父が癌で余命3ヶ月であることを知って、思いを込めて靴を作りたいと申し出るものの、頑なに拒まれてしまう。師匠からの助言を受けて、ずっと父と向き合うことから避けてきた自分に気付き、主人公は再び父の病室を訪れる。そんな場面が描かれている。
「僕はこの靴で一人前になってみせる。父さんの靴で、一人前の靴職人になりたいんだ」
何も言わない父に「ねえ、父さん」と呼びかけた。
父は視線だけをこちらへ向けた。その瞳がかすかに輝いているように思えた。
「僕は今まで父さんから何一つ教えてもらわなかったね。(中略)だから教えてほしいんだ。最後にひとつだけ、どうしても教えてほしいんだ。父さん、僕に……僕にさ……」
車いすの肘掛けに乗せてあった父の手に、歩橙はそっと手を重ねた。あまりの細さに涙があふれた。
「大切な人の靴を作る喜びを教えてほしいんだ」
父は力なく首を横に振った。父の手も震えていた。
「俺はお前の靴は履きたくないよ……」
「どうして?」
「だって――」
父の目から一粒の涙が落ちた。
「歩きたくなるだろ。お前の靴を履いたら、俺はまた、きっと歩きたくなる……」
その涙は薄くなった父の胸板を濡らし、細くなった腕を濡らし、もう立つことのできなくなった二本の足を濡らした。父は左手で枝のようになった太腿を強くさすった。
この場面に関して、設問では涙をこぼした父親の心情が問われている。自分を思って息子が作ってくれた靴を履いて歩くことが叶わないことへの無念をまとめることができれば、解答としては適切である。直後にも「悔しくて泣いている」という描写があるので、方向性は比較的押さえやすいだろう。
しかし、である。その「悔しさ」がどれほどに深いものであるかを、一体どれだけの子どもが分かるだろう。いや、私だって、その気持ちをどれだけ重く受け止められているのだろう。大人になった今でさえも、かろうじて体感しているのは、家族としての視点からの、細くなってしまった腕の切なさや、それを受け入れるしかない寂しさくらいかもしれない。主人公が同年代であったり、学校が舞台であれば、自分の経験と重ねられるところがある分子どもたちにとっては読みやすい。そうではない作品の場合でも、共感はできなくても、論理的に読み解けば問題に答えることはできる。ただ、何かが分かることと同時に「まだ分からない何か」があることも浮き彫りになる。解くことを通して、まだ味わったことのない思いがあることを知り、「これがあの気持ちなのか」と理解できるようになった時は、一つ成長した時でもある。何も「志高塾で読んだ文章にもこんな気持ち描かれてたな」と覚えていてほしいわけではないが、今教室で取り組んでいることはある種の「先取り」であって、確実にこれからに続いているのである。
毎年、「受験は通過点」という言葉を噛みしめる。そのように表すからには、振り返った時に確かに通った点であることを認識できるようにしてあげないといけない。受験を終えた時点では、子どもたちはまだ完成していない。これから先、学生の時期を経て、社会に出て、いろんな立場で長い人生を生きていくことでそれぞれが自分の形を作り上げていく。入試問題で取り上げられる文章は、その学校の在り方を最も分かりやすく示すものであるだけに、よく選び抜かれている。だからこそ、ただ正解か否かに一喜一憂するのではなく、そこからできる限り多くのものを得させてあげたい。
国語の講師としてできることは、1つ1つの文章とじっくり向き合わせて、「いつか」に繋がるようにしてあげること。そうなるようにとことんまで力を尽くして、この1週間を走り抜くのみだ。