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2023.07.04Vol.597 デクレッシェンドな文章

 字数の多い記述問題に臨む生徒よろしく、いつもは字数稼ぎのようなことをしてしまいがちだが、今回はストレートに本題から。私の場合、本題と絡める予定で副題を冒頭に持って来ているはずなのに、そこから話が違うところに飛んで行き、本題にたどり着けないまま終わる、ということが多い。それはそれで悪くないのだが、私は教える立場にあるので、いろいろな書き方を日頃から試しておく必要はある。『志高く』というのは、私にとって真剣な練習の場なのだ。
 「Vol.593 自伝的小説(未来編)を構想するにあたって」で、意見作文用の教材『毎月新聞』の「日常のクラクラ構造」に触れた。それと難しさにおいて双璧を成すのが「この話をするのは今しかない」である。共通しているのは、適切な題材が見つけづらいということ。1999年1月20日発行の文章の中で、筆者は前年末(1998年末)の紅白での和田アキ子の歌がいかに素晴らしかったかに触れ、「新鮮味には欠けるが、逆に、ある一定の期間(数か月、数年)を経れば、『あの時の和田アキ子の歌はかなり感動ものだったよあ』と息を吹き返すかもしれないので、話題にするには今がちょうどつまらない時期なのだ」と述べている。
 2週間前に発熱した。そして、9番目の、波と呼べるかどうかすら定かでは無いものに乗っかることになった。初めてコロナに罹ったのだ。そして、「日常のクラクラ構造」のとき同様に、「あっ、これや」となった。間違いなく、コロナは今が一番つまらない時期だからだ。頭の片隅にいろいろな未消化の問題を置いておくことはとても重要なことである。それによって、そのヒントや答えになるものが目の前に現れたときに見逃さずにきちんと捕まえられる可能性が高まるからだ。
 コロナの症状なのか年齢的な衰えなのか、原因は分からないが人生で初めて5日間も頭痛で苦しんだ。せめて事務仕事でも、と自分を奮い立たせようとしたが、熱は下がっていたのに信じられないぐらい気力が湧いてこなかった。病気がこんなにもやる気をくじくことを経験したのも、これまた初めてかしれない。少々大げさではあるが、「病は気から」には「病が本当にだめにしてしまうのは、体ではなく気から」という別の意味があるような気がしたぐらいである。数週間前、平均寿命と健康寿命の差に関して、「個人的には、3~5歳ぐらいであればまだ悪くはないかな、となる」と述べたが、「絶対に長すぎる」と考えを改めることになった。たった5日間ですら精神的に弱ってしまった自分が、年を取り、衰える一方のときに、3~5年も最低限の精神の平衡を維持できるとは到底想像し得ない。本題はこれにて終了。
 一定の期間を経て、息を吹き返す。我々もそのような存在でありたいものである。卒業してからしばらくは完全に忘れられるものの、大人になってふとしたときに、「あのときは何の役に立つかよく分からなかったけど、志高塾で作文を続けていて良かったな」となれば、それほど嬉しいことはない。小2から通っている高3の国立の医学部を目指している男の子、5月に行った面談で、お母様から「7月いっぱいで辞めると言い出したので、先生話してもらえませんか」とお願いをされた。それを受けて、本人に次のようなことを伝えた。「ここまで十分にやったし、第一志望の大学は2次試験で国語が必要ないから、このタイミングで、というのは分かる。ただ、週1回90分ここに来たから他の教科の勉強ができませんでした、とはならない。共通テストの国語はきちんと点数を取らないといけないのに現時点でできていないわけやし、古文も含めてその対策もやるから続けてみたら。高3の夏までと、高3の最後までというのは、期間として数か月の差やけど、後から振り返ったとき、やりきった、と思えることは意外と価値があるもんやで」。そのとき、私自身が中3の終わりまでピアノを続けたことを思い浮かべていた。小学校卒業とともに辞める予定にしていたのだが、先生から「続けていて無駄になるものでも無い」と説得された。その経験が今、自分の何の役に立っているのかを論理的に誰かが納得する形で説明することはできない。今後も鍵盤に触れたいとはきっとならないが、「俺は、あんなにも下手くそだったのに、中3の終わりまで続けだぞ」というある種の達成感のようなものが自分の中にある。生活の中に、何だかよく分からないけど良さそうなこと、もっと言えば悪くなさそうなこと、の居場所を少しだけでも作っておくこと、というのはとても大事なことである気がする。
 いつもは最後の段落や一文にそれなりに強めのメッセージを込めようとするのだが、書く順番を変えたせいで、どれだけ考えても良い結びが思い浮かばなかった。だから、「デクレッシェンドな文章」というタイトルを付けてみた。

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