2023.05.09Vol.590 勉強を通して
『Jリーグと私 30年の物語』というNHKの番組の中で、カズこと三浦知良は、2003年から続けている、小学校を訪問し、夢を持つことの大切さを伝える「夢で逢えたら」のプロジェクトについて触れ、次のように語っている。
いつも夢についての作文を書いてもらって
もちろん夢って みんなが小学生のときに描いた
夢のとおりになっている人の方が少ない
でも努力したことだったり
そこに向かって頑張ったことっていうのは
違うことについても必ず役に立つと思う
とにかくあきらめずに夢を追うことっていうのは
純粋に大事なんじゃないかなと
そういうことを伝えるようにしている
また、卓球の石川佳純は、インスタグラムで引退を表明し、次のように締めている。
これからまた新しいスタートとなりますが、卓球を通じて学んだチャレンジ精神を忘れずに、いろいろなことに挑戦していきたいと思います。たくさんの応援を本当にありがとうございました
2人のコメントに共通していることは、スポーツを通して学んだことは他のことに活きる、ということである。カズはスポーツに限定していないが、自らのサッカーの経験に基づいている。彼らは共に超が付くほどのトップアスリートなので、それがどれぐらい一般的な人に当てはまるかどうかというのはあるが、子供の習い事レベルでも「スポーツを通して」という文言を、よく目にし、耳にする。それに比して、「勉強を通して」は圧倒的に少ないのではないだろうか。勉強の場合は、それ自体、それだけが目的となるのだ。実に不思議なことである。
中学受験後しばらくは通っていたものの、クラブが忙しくなり休塾になった生徒がいた。下の子が通塾し続けていることもあり、半年に1回の面談の際に、お母様とはどのタイミングで帰ってくるのか、というやり取りを定期的に行っていた。そういう時、大抵「早くした方が良いですよ」という提案はしない。「コマ数を増やした方が良いですよ」も同様である。本人、親御様が納得していない状態で、そのような働きかけをしても望んだ成果は得られないからだ。逆に言えば、私がそのように急かすときは、さすがにこれ以上放置しておくと、手遅れとまでは行かなくても、目標地点に到達するまでに必要以上に多くのエネルギーを要するときである。マラソンに例えるなら、トップ集団から遅れていても常に視界に捉えられる範囲であればラストスパートで追い抜ける可能性はある。しかし、離され過ぎると、まずはある程度の距離まで詰めるのにギアを上げて、さらにそこからもう一段上げなければならなくなる。それは体力的に、というよりも、精神的にきつくなる。「もう無理かもしれない」という諦めの心が生まれやすくなるからだ。
結果的に、予定より少し前倒しで、高1の途中で戻って来た。大学への内部進学で、希望の学部に進むためには定期テストである程度の成績が必要なので、その対策が主な目的である。学校のレベルは、中の下、もしくは下の上というのが適切な評価であろう。そんなことは私にとってはどうでも良いことである。これまでその子が通う学校の生徒に数学を教えたことは無かったのだが、とにかく先生がめちゃくちゃなのだ。図を描けば簡単に、瞬間で導けることでも、「これは覚えておきなさい」と指導していて、一事が万事その調子である。ある一つのAということだけであればそれでも良いのかもしれないが、それとBを組み合わせてCの式ができているということも少なくない。本来であれば、何一つ暗記しなくて良いのだが、三つのことを記憶しておかないといけないのだ。そんなのは無駄以外の何ものでもない。小学生の進学塾において、一番下のクラスは標準問題まで、真ん中のクラスは応用問題まで、一番上のクラスは発展問題まで、と最低限どこまで解くかを決めるのは良い。ただ、標準問題までしか解かない分、そこにエネルギーを注いでちゃんと理屈を理解できるように導くべきなのだが、それもやはり「これはこうやったら解けるから」というような指導方法なのだ。そして、訳も分からないまま反復練習をさせられる。これは「勉強を通して」の負の側面である。そのようなことを子供の頃に経験することで、大人になってからも、何かできないことがあれば、何の工夫もせずにとにかくたくさんの時間を掛けるという手段しか取れなくなってしまうからだ。ちなみに、先の高校生は、私が理屈から教えて理解できなかったことはただの1つも無い。私の教え方がうまいから、と言いたいところではあるが、教科書に載っているレベルのことを説明したに過ぎない。もちろん、集団と個人では異なるが、学校の先生は「これはこういう風にしたら導けるから、ちゃんと理解して欲しい。ただ、どうしても分からない子は丸暗記すれば良いけど、それはあくまでも最終手段やぞ。その手順を間違えるなよ」という声掛けをすべきなのだ。
さて、勉強を通して学ぶこと。社会に出て何かしら数字に関する仕事を頼まれたとき、「すみません。数学苦手だったんで」ではなく、「成績は良くなかったですけど、考えるのは好きだったので任せてください」となるかもしれない。親になり、子供に算数の問題について質問されたときに、「忘れちゃったけど、一緒に考えよう」となるかもしれない。「あきらめずに考えなさい!」の言葉より、親が一生懸命考えている姿を見せる方が子供の学ぶ意欲を向上させるには断然効果的である。ここで挙げた2つのことはいずれも数学、算数という教科の領域を出ていないが、もちろん、それだけに留まらない。大抵、物事には理屈がある。「それはそんなもの」で済ますのではなく、「それはなぜそうなっているのか?」と疑問を持てるようになる。それが思考のスタートラインなのだ。そして、ゴール目指して走る。小さいうちから、そういう反復練習を繰り返して欲しい。