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2023.04.18Vol.587 時間の有効利用

 中3になった。「それにしてもうまく行かないことが多いなぁ」というのが、これまで長男に抱き続けてきた親としての印象である。友達付き合いも勉強もスポーツも。家では2人の弟から一目置かれることはなく、外ではリーダー的な存在になりたいもののそれだけの力はなく、誰も付いて来てくれないことにイライラしていた。幼稚園の頃からずっと。たとえば、遊びに誘い、自ら作ったルールを説明しても守ってくれなかったり、最初は仲間になってくれるもののすぐに抜けられてしまったりといった感じで。「力はなく」というのは、リーダーシップが取れるわけではなく、勉強やスポーツが特別できるわけではないということである。3人の息子たちに「リーダーになりなさい」と命じてはいないが、「批判するよりされる側に回った方が断然学ぶことは多い」ということは常日頃から話している。二男は、小学生の頃まではそんなことは無かったのに、どういう風の吹き回しか学級委員に立候補した。入学間もないこともあり、選挙に備えて、顔を覚えてもらうために全クラスメイトに話し掛けたことを教えてくれた。結局、じゃんけんで決めることになり、見事に負けた。事前に、「選挙にしてください」と先生にお願いしたが、「まだ、みんなよく(立候補者を)知らないから」という理由で却下されたらしい。それもまた勉強である。ちなみに、対抗馬の子は「内申を上げるため」が手を挙げた理由とのこと。それが本気なのか冗談なのかは分からないが、「その子のことはどうでも良いけど、そんなしょうもない理由でやるならしない方がましだ」ということは伝えた。ありのままの自分で勝負をして、期待したような評価が得られないのであれば、自分に何かが足りないのだ。それときちんと正対して、また前に進んで行く。それを繰り返して行くことで、少しずつでも人として成長して行くことができる。
 私が独立をした理由の一つは、自分に対する人の評価に納得が行かなかったからだ。上で述べたことと矛盾しているようだが、正反対ではない。「もっと評価されても良いはず」よりも「もっと人の役に立てるはず」の方が強かった気がする。訳の分からん上司に訳の分からん評価をされるせいで、力が発揮できないことにいら立ちを覚えていた。一方で、その環境に身を置いているのは自分の責任なので、その評価を受け止めざるを得ないことは頭のどこかでは最低限理解していたはずである。志高塾を始めて、思い描いたように生徒が集まらず、「他のところより良い教育をしているはずなのに」と不満を覚えはしたものの「これが今の自分への評価だな」と納得はしやすかった。そこに訳の分からん上司は介在しなくなったからだ。一方で、私は評価する立場にもなった。できる限り公平性を保てるように気を配っているつもりである。社員は3人しかいないこともあり、現在はその3人の前でそれぞれどのような理由でどれだけ給与を上げるかを伝えるようにしている。一方、社会人講師、大学生講師の給与はパフォーマンスではなく、300時間入ることに時給が100円ずつ上がって行く仕組みなので、評価と給与が直結しているわけではない。ただ、コマを各講師に機械的に割り振っているわけではなく、高く評価している講師ほど、難しいことをお願いするようにしているし、なぜそれを任せるかをできる限り説明するようにしている。私自身がそうであったように、人からの評価を受け入れることは難しい。ただ、各講師の満足度を少しでも上げるようにするのが私の役割である。それが生徒により良い授業を提供することに繋がるからだ。
 さて、その長男、クラスメイトにアメリカの現地校から編入してきた男の子がいて、その子が自分と同じサッカー部に入り、しかもうまいらしいということを私に話してくれた。男親の多くはそんなもんだと思っているのだが、子供の担任の先生の名前はおろか、大抵は性別すら知らないままクラス替えが行われる。話に出てくる友達の名前も、何度聞いても覚えられない。それゆえ、「その子何クラブの子?」、「どこから来てる子やったけ?」と同じような質問を繰り返すことになる。ただ、今回、その子の名前を聞いているうちに「待てよ」となった。それが先週金曜のことである。苗字がそこまで珍しくは無かったものの、よくあるものでも無かったからだ。今、検索してみたら、その苗字の人は全国に2,400人いると出てきた。「明日、その子に、お父さん北野のサッカー部じゃなかったか聞いてみて」と伝えた。ビンゴであった。私の一年後輩だったのだ。それが土曜のことである。そして、翌日の日曜に、仲間内でやるフットサルにその親子を呼んだ。社会人になって間もない頃に一度会っているのでおよそ20年の月日が流れたことになる。車でピックアップしたのだが、乗ってわずか数分でまたもや飛び出した。「松蔭さん、全然変わってないじゃないですかぁ」。そして、今回は「髪型も」というおまけ付きであった。今週土曜の夜、もう一人の後輩も呼んで、フットサルに行くことになった。これまた数十年ぶりの再会である。その彼には、人の内面を見抜ける力があること期待している。その力が備わっていれば、「ほんとにあの松蔭さんですか」ぐらいの言葉が自然と出ちゃうはずなのだ。
 長男、いろいろな面でようやく少し上向き始めた。親なので順調に行ってくれることを望んでいたが、気づいたらヨーイドンの合図と共に転んでしまっていた。特別スポーツができたり勉強ができたりしたらもっと英才教育をしたかもしれないが、そうではかった。当然のことながら注意したり怒ったりはするものの、自分にも子供にも「今はこれで良い」と言い聞かせながら育ててきたように思う。
 大人になってから、「あの時は、なんであんなにも焦ってたんだろう」と振り返ることがある。子供は概して先のことまで見えない。先頭で、先頭集団で、走れるに越したことはないが、遅れを取ったのであれば無理に差を縮めに行かないことである。周りで慌てている他の子供よりも長い期間を使って、徐々に詰めて行ければ、気づいたらそれなりのポジションにはいるはずなのだ。時間を味方につけて子供をじっくりと育ててあげること。それは、大人だからこそ務まる、大事な、とても大事な役割である。

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