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2020.09.15Vol.463 伝家の宝刀

 切れ味を確認するためにはたまには使ってあげないと、ということで抜いちゃいます。2年ぶりぐらいのような気がする。その前に、来週は教室がお休みになるのに伴いブログもお休みです。
 最近新たに加わった大学1回生のアルバイト講師の研修中のレポートを紹介する。一つ目は、「志高塾の教え方」というテーマに関するもの。これに関しては最初の2段落だけである。3段落目からは具体的な教材の教え方に移行しているからだ。

 志高塾における、授業全体と各教材の教え方、また教えていくにあたって大切にしなければならない事柄をまとめた。
まず、授業全般について述べる。授業中、教師は手を挙げた生徒の元へ行き、その生徒が取り組んでいる教材の内容確認や添削を行う。その際、一方的に教師が話す時間ではなく、生徒が考える時間にする。具体的に言うと、教師は生徒に質問を投げかけ、その返答を待つ。教師自身の答えがまとまらず、考える時間が必要な場合も、教師が考えていることを生徒に伝え、生徒も一緒に考えるようにする。生徒が考える間は口出しせず、生徒が発言するまで教師はその様子を見守る。ただし、どうしても答えが出ない場合や集中力が切れて考えることを放棄している場合は声をかけ、ヒントを出す。または何に悩んでいるのかを尋ねる。ヒントを出す際も質問形式を用いる。教師が生徒に質問する時、はじめは抽象的な質問をし、生徒が自ら思考する力を高める。その後、何度かやり取りを重ねていくにつれ、大きく解釈が異なっていた場合や難しい問題だった場合は二択に絞って具体的に質問したり、穴埋め形式で質問したりする。教師は常に生徒の発言を大切にし、その発言を活かしながら良い作文を作れるようにサポートすることに徹する。解釈が間違っていた場合も、単に教師がその間違いを指摘するのではなく、生徒がその間違いに自ら気付き、納得できるよう指導する。このことは、教師のサポート無しで生徒がより良い作文を作成出来るように成長することに繋がる。授業中、教師が生徒と対話する時間とそうでない時間の両方を大切にしなければならない。

 20コマの研修をすべて終えた後に出してもらったものなのだが、我々がどのように生徒と関わっていくかというのをきちんと理解していることが読み取れる。
そして、もう1つが「志高塾に通う生徒に将来どのような人材になってほしいか」。これは全文掲載する。なお、私の手は一切入っていない。

 私は生徒たちが将来自分で考える力を持つ大人になって欲しい。こう考える理由は主に二つある。
 まず一つ目は、与えられることをこなすだけでは生きていけなくなるからである。高校生までは、主に学校で、すべきことを与えられてそれに取り組むことが多い。そして指示通り完璧に取り組んだ者は褒められ、怠った者は注意される。当然ながら、この過程は重要である。これによって、多様な知識を身に着けることが出来るからだ。また、学習の仕方や規則を守る大切さを学べる。さらに自分だけでは知り得なかった世界が見えてくることもある。しかし、他者に与えられることには限界がある。他者以上のものが生まれない。それに、大人になると、与える立場の人間がいなくなる。そして様々な情報が溢れている世の中で、いかに自分で取捨選択しながら生きていくかが重要になってくる。そのためには自分で物事を考え、判断する力が必要になってくる。
 二つ目は、一つ目の理由と被るところがあるが、社会の物事が非常に複雑な仕組みでできているからである。学校教育では、「何かをしたら何かになる」といった単純な構造が機能している部分がある。例えば、「〇単位取れば学校を卒業できる」「教科書の〇ページを暗記すればテストに合格する」といったように、結果が予想できる、得られるものが確定している仕組みが成り立っている場合が多い。しかし、普通に生活していても感じるように、世の中はこのような単純な仕組みばかりで成り立っているわけではない。大人になり、一歩社会に出ると、物事の複雑さを実感することとなる。実際は結果を保証してくれるものばかりではないのだ。例を挙げると、「結婚したら幸せになる」「貧乏になると不幸になる」とは限らない。「幸せになる」ことや「不幸になる」ことを決定づける条件など存在しないのである。このような状況のもとで正しい判断をし、思うような結果を得ようとすることは難しい。いかに正しい道へ進み、他者と協調するかが重要になってくる。その際、自ら考え、行動する力が必要になってくるのではないかと考える。
 以上のような理由から、自分で考えることが大人になるにあたって必要になると考えているが、ただ考える力を身につけるだけでは不十分である。その出来上がった自分の考えを活かすために、それを適確に他者に伝える力が必要になるのではないかと思う。つまり、私は生徒たちが言葉を通して自分の意見を述べることができる人間にもなって欲しい。そのためには文章力、語彙力が必須である。近年、スマートフォンが普及するにつれ、言葉を使わずに動画や写真で情報を共有する機会が増えた。さらにメールのやり取りにおいても、それがあまりにも身近な存在になったため、簡素な言葉を使うことが多い。これらの状況は、良い面も含んでいるが、この状況に慣れすぎると、社会で働くときに言葉を適切に使うことができなくなる。どんなに優れたアイデアを持っていても、それを正しく他者に伝えられなければ宝の持ち腐れである。
 また、自分で考えるには外部からの意見を正しく理解する力も必要となる。独りよがりな考え方では他者に受け入れてもらえない。他者の意見を正しく読み取る必要がある。この力はまさに志高塾で、漫画や文章の読解を通して養われている力なのではないかと思う。
志高塾に通う生徒が、塾の授業で、多くの文章を読み、自ら考え、読む人が分かりやすいような文章を作成する行為を通して、将来役に立つ力、必要となる力を身に着けて欲しいと思う。

 内容的にはありがちなものになっている。そのことは本人にも伝えた。ただ、この文章が表面的でなく、説得力を有しているのは自分が考えていることを言葉にしているからだ。
 先週だけで3人の面接を行った。何回か前に述べたように、講師は充足しているので良い人がいれば採用する、というのが現状だ。結果、全員仲間に加わってもらうことになった。良い人に出会えることは幸せである。各人の力が活きるような、また、メンバー同士が良い化学反応を起こせるような環境を整えることが、私の大きな大きな役割である。

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