
2020.05.19Vol.446 引き算から始めよう
「自粛疲れ」が叫ばれているが、「調整疲れ」も相当なものではないだろうか。
私は名目上「経営者」ということになるが、経営しているという感覚はほとんどない。売上や利益のことをほとんど考えないからかもしれない。個人的な話で言えば、物欲がないわけではない。プロのスポーツ選手や芸能人などが、あえて身の丈以上の家に引っ越したり高級車を購入したりすることで自分にプレッシャーをかけるということがあるが、私には当てはまらない。彼らは結果を出すことで報酬が増えるわけだが、私の場合、志高塾で結果を出さなくてもそれが可能になるからだ。少なくとも一時的には。親御様を不安にさせて、必要でない授業をどんどん勧めればいいだけの話なのだ。その上で、講師もぎりぎりで回せば当然のことながら利益は増える。志高塾において、結果を出す、というのは生徒の考える力を伸ばして(もちろん、それによって成績も上がる)、親御様に満足感を得ていただくことに尽きる。そのためには、働いている人たちがやりがいを感じられるようにしなければならない。私にとって数字と言うのは、そういうことをどれだけ実践できたかの結果でしかない。一般的な人より数字に強いだろうし、データを効率良く管理している自負もある。実際、データ作成のための入力作業は毎月1時間も必要ないし、出て来た数字を5分も眺めはしない。数字よりも自分の感覚が大事だ。それは生徒の成績に関しても同様である。もし、私自身が生徒の成長を実感できていれば思い通りに成績が上がってこなくても「俺の感覚がおかしいのか?」とはならない。そのうちに間違いなく結果が出るようになるからだ。その逆もある。手応えがないにも関わらず結果が上向き、親御様から「志高塾に通わせて良かったです」と感謝の言葉をいただいてもまったく喜べない。すぐに落ちるのが分かっているからだ。その上下動で本人も親御様も精神的なダメージを被り、前進するエネルギーが奪われてしまうだけに厄介である。一喜一憂が一概にいけないわけではない。私の場合、自分の感覚と生徒の成績UPにずれが無ければ素直に喜ぶ。それは私の心の中だけの話であって、生徒に対してどう表現するかは別である。「ちゃんとやったから結果が出てん」とさらなるやる気を引き出そうとすることもあれば、「1回ぐらいで調子に乗るなよ」と油断を戒めることもある。
「コロナ疲れ」は「将来の不安疲れ」を除けば、ほぼ「自粛疲れ」と「調整疲れ」で占められている。そして「調整疲れ」は、「物理的なもの」と「精神的なもの」に大別される。似たような規模、形態の塾の中で、3月以降の売上減少率の大きさでかなり上位に食い込める自信がある。逆説的な表現になるが、売上をそれなりに減らしたことで、ここ数か月間は「経営している」という実感がある。もし、私が売上を維持することに拘泥していれば、「調整疲れ」は今とは比べものにならなかったはずだ。学校の先生は大変である。休校の期限が延長されるたびに、スケジュール調整しなければならないからだ。本来は引き算から始めないといけないのに、やるべきことを残りの期間で割りに行くから夏休み返上や7時間授業などという話が出てくる。寝だめができないように、子供たちは休みだめなどできないのだ。今、先生達は夏休みにどのように授業をするかを考えているのに、その期間に予定通り授業が行われることはない。そうなると、また割り算のし直しである。ひと月ほど前に、中学受験生の親御様に「5年生で成績が下がったのに、6年生もこれまで通り塾のペースに合わせてうまく行くはずがないです」という話をした。6年生の分量はどれだけ少なく見積もっても5年生の20%増しにはなる。それに加えて、5年生のマイナス分も埋めないといけないのだ。進学塾は無意味に量をやらせるので、その余計な部分を引いてあげれば、相対的な順位は間違いなく上がっていく。
引き算から始めて良かったとつくづく感じている。それによって、精神的な調整疲れはほぼゼロだからだ。プラスの要素の方が圧倒的に大きい。学校が休みなので授業を増やしたいという要望やオンライン授業の要望をいただき、それに応えることができているからだ。もし、通塾できない生徒すべてにオンライン授業を勧めていたら、めちゃくちゃになっていた。今回のことがきっかけで、新たに何人かのお母様がこのブログを楽しみにしてくれていることを知ることができたのも私にとって大変嬉しいことである。そのような数少ない親御様だけは何としてでも引き算されないようにしなければならない。
あきられないように頑張りますので、温かく見守ってやってあげてください。